精神病院の問題を書くにあたって、私自身のあまりに生々しい経験があり、直視したくない気分もあって、切り口を探すのに苦労した。

 私は、2014年夏頃、今でも理由の分からない不可解なユスリカの大発生に遭って、気づかないうちに死骸粉末を吸い込むことで、間質性肺炎を発症し、やがて肺線維症に進んだ。

 元々、私は呼吸器系アレルギーがあって、幼い頃から喘息に苦しんでいた。いわゆる「名古屋喘息」という金属工場の大気汚染アレルギーだった。
 これがユスリカアレルギーで爆発的に発症したのだが、近所に住むプロ泥棒のAが、私に対する嫌がらせのため、庭で燃した大量の化学物質の煤を送り込んでいたことも大きいと思う。家の中は不可解な黒い煤が積もっていた。
 私は、ブツブツバリバリという蜂巣肺の呼吸音が出て、一気に肺の呼吸能力が半分以下に低下した。

 そうなると、庭のゴミを片付けるだけで激しく息切れをし、トイレに立って布団に入るときも、しばらく息切れで寝られない。我が家は、たちまちゴミ屋敷と化した。
 毎日が絶望的になって、私は強い鬱病を発症した。
 何をするのも億劫になり、ものごとを直視して思考することに疲労感を感じて、ひたすら横になっていたかった。
 なんで生き延びているかというと、「Aに対して報復できないうち、このまま死んでたまるか」、という意地のようなものが心の底のどこかで煙を上げていたからだ。

 超狡猾な泥棒のAは、普段はものすごく気が小さくて、極端に警戒心が強く、現在、私に出会うことを恐れてか、昼間はまったく外出しないほどだ。だが、何かの拍子に怒ると、殺人でもなんでもやるほど激昂する姿を、私は目撃している。そのときは、妻も逃げ出すほどだ。

 以来、10年間、必死になって呼吸トレーニングを重ねても、肺機能が戻ることはなかった。しかし、トレーニングをしなければ、たちまち悪化するので、やめることができない。
 Aに対して監視カメラなどの対策をしたが、Aはプロ泥棒として特殊訓練(たぶん自衛隊の特殊部隊出身ではないだろうか?)を受けているようで、隠しカメラでさえ発見して壊したり、写ったと思ったカメラは盗んでいった。
 これほどの侵入スキルのある泥棒がいるのかと驚愕させられた。
 また人と出会うときは、いつも人相がまるで違い、怪人20面相のようだった。

 ちなみに、Aについて、2004年頃、豊明で起きた強盗殺人事件の主犯と指摘した友人がいた。まあ、証拠は確認できていないのだが……。その頃、Aは豊明近隣に住み、天白区で自分の車を追い抜いたバイクに怒って、後ろからぶつけて、転倒した運転者を轢き殺したが、通常の過失事故で処理されている。これは新聞記事に残っている。

 このAが、私への嫌がらせ目的で、何十回か、我が家に侵入し、さまざまなものを盗んでいった。私は、監視用ライトで、Aの姿を確認していたので、近所の蛭川駐在所に、三回ほど盗まれたものを書き出して、事情聴取と対策を依頼した。
 ところが、加藤博也という警察官は、普段は本署勤めで駐在所にはいない。一向に連絡がないので、電話すると「アンタの言っていることは全部ウソだ」と決めつけられた。
 私が、Aに被害を受けているのは狂言だというのだ。

 それから、私は、盗まれたものが、近所の藪にでも隠しているのではないかと考え、鉈を持って捜索していたところ、たまたまAの妻が通りがかり、私は彼女に「盗んだものを返せ!」と怒鳴った。
 すると、Aの妻は「私に刃物で脅されている」と警察に連絡し、私は緊急連絡で飛んできた多数の警察官に確保された。
 (このときの証拠映像があったはずなのに、中津川警察が勝手に消去してしまった。これにはAの妻とのやりとりも記録されていたはずだった。)

 おそらく裁判になると、中津川警察が私の主張をウソと決めつけていた警職法違反の事実が摘発されると心配したのではないだろうか?
 それから、私は逮捕され留置されたのだが、なぜか「逮捕」ではなく「保護」という名目になったらしい。私は立件されて証拠が記録に残ることを望んだのだが、そうなると蛭川駐在の加藤博也が私の主張をウソと決めつけ、中津川警察もそう認定したことが、警職法違反になってしまうことを恐れたのだと思う。

 「保護」ならば、警察は裁判所に家宅捜索令状をとることができないはずだが、私が「保護」されているうちに、警察は私の自宅に入り込んで、くまなく捜索した。そして証拠の動画を私に相談することなく勝手に消去した。

 当時の私は、間質肺炎によって自分の死が確定したことで、激しい鬱状態にあって、まともな判断力が失われ、一連の経過を正しく判断できる能力が失われていて、証拠を確保して、中津川警察を過失訴訟に引きずりだすこともできなかった。
 その夜、私は留置されたが、きちんとした取り調べは一切なかった。代わりに、不可解な経過をたどった。
 私は、郡上にあった慈恵会精神病院に送られたのだ。一連の経過は、すでに何度も書いている。
 
 大晦日を迎えて 2021年12月31日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5877989.html

 中津川警察署に「保護?」された深夜、恵那保健所の係員と称する50歳前後の女がやってきて、いろいろ取り調べたが、私の主張は一切聞かず、最初から、「あんたはおかしい!」と決めつけるだけだった。
 この女が私を「異常者」と決めつけたことを法的根拠に、私は慈恵会精神病院に連行されたのだ。
 
 深夜の12時過ぎ、連れて行かれた郡上慈恵会病院には白髪の30代と思われる医師がいた。彼に一連の経過を説明したのだが、一切信用しなかった。
 そして「アンタはおかしいから一晩だけ泊まってゆけ」と私に言った。
 後で分かったのだが、もし了承したなら、一日というのはウソで、一ヶ月間は出られなかった。

 この頃、警察は兵庫県に住む私の姉に、深夜でありながら「アンタの弟はおかしいから精神病院に入院させることを承諾せよ」と何度も連絡していた。
 私の姉は古刹寺院の大黒だったが、「私の弟はウソをつくような人間ではない」と言って、断固拒否した。
 これで私は帰されたのだが、もしも姉が了承していたなら、もしかすると永遠に帰宅できないまま精神病院に薬漬けで閉じ込められる可能性があったのだ。
 私は「カッコーの巣」に放り込まれる人生最大の危機だったのだ。

 翌日、私は釈放されたが、とんでもない条件付きだった。私は姉に迎えられ、姉の寺に一ヶ月いろと命令された。調べたが法的根拠はどこにもなかったので、私は数日で帰宅した。(担当者は棚橋という)
 警察権力と精神衛生法、そしてデタラメな医師が結びついて、まったく人権が通らない世界があることに私は驚愕させられた。

 これまで、私はひどい鬱病のため、私のこの事件を直視することさえも苦痛だったのだが、Aの狡猾さを前に証拠が集まらず、中津川警察の人権侵害がまかりとおることに危機感を抱き、私は自分を奮い立たせて、何度も思い返しながらブログに書き残している。
 だが、証拠があっても裁判になれば弁護士費用が100〜300万円、とにかく、私の被った被害のオトシマエをつけるのは、とてつもなくハードルが高い。

 せめて、私の事件は、ちゃんと出版したいのだが、原稿はできていても出版費用が最低100万円かけても数千部も印刷できないという。
 だから、このブログで、何度も何度も書き続けるしかない。、もちろん、いつか中津川警察を告訴したいと思い続けている。
 今では、私のブログアクセスは毎日5000もないのだが……。

 以下に、精神病院の恐ろしさを暴いた記事がある。
 私は昔、多摩地区に住んでいたとき、多摩川沿いにあった八王子中央病院で、もの凄い患者への虐待や殺人が起きていたことを知っていた。
 その病院は、名前を変えてのだが、再び、ほとんど同じような事件を引き起こした。
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230627/k10014109461000.html

 実は全国の精神病院で、まともに患者の人権を尊重しているようなところは皆無だという。それは精神病治療の本質が、病気を治すことよりも、患者の虐待と閉じ込めにあったからだ。
 イタリアでは、1980年代に拘置虐待施設としてしか機能していない精神病院そのものを全廃してしまい、一般病院の精神科だけに統一したのだ。

2024.11.07 日本人が見過ごす「精神科の闇」…なぜイタリアは精神科病院を全廃できたのか?有名カリスマ精神科医が起こした「大革命」
https://gendai.media/articles/-/140795

 我々は、今、1948年に成立した「優生保護法」によって、障害者というだけで強制的に生殖能力除去手術を受けさせられ、人間性と人権を侵害された数万人の被害者を見ている。
 この問題は、精神医療にも共通していて、「ちょっとおかしい」と決めつけられただけで人生を強制的に奪われてしまう人々が、無数といえるほど存在する実態を見せつけられている。
 私は、中津川警察に「保護」された夜、恵那保健所から派遣された女が「アンタはおかしいよ」と決めつけ、私を精神病院に送ったことを死ぬまで忘れることができない。
  
 潜入して知った「精神病棟は人間が捨てられる場所」…闇を暴いた伝説の記者が今なお訴える「日本でもできる 東京新聞 2024年10月20日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/361303

 精神医療の現在地を真っ正面から捉えた映画「脱・精神病院への道」が完成した。製作したジャーナリストの大熊一夫さん(87)は半世紀以上前、アルコール依存症を装って病院に潜入取材し、著書「ルポ・精神病棟」を世に送り出した伝説の記者だ。精神医療の「闇」を初めて世にさらした人物とも言える。今なぜ活字ではなく映像だったのか。後世に託したかった思いとは。(木原育子)

◆「6日間ベッドに縛り付けられ、解かれた翌日に亡くなりました」
 祭壇にはフルーツや仏花が並び、一人の男性の遺影がこちらを向く。場面は切り替わり、男性が亡くなった精神科病院のカットへ。ナレーターとしての大熊さんの声が入った。

 「大畠一也さんの両親にその時の状況を聞きました。息子の一也さんは精神的に調子を崩し…入院させました。当時40歳の一也さんは6日間、ベッドに縛り付けられ、拘束が解かれた翌日に亡くなりました」

 映像が一瞬、横揺れした。ジャーナリストとしての怒りや悲しみが、その「揺れ」に表現されているかのようにも受け取れる。
 「うん…はい。はい」。取材相手の言葉が生まれる道筋を少し先回りして地ならしするように、大熊さんの相づちがこだまする。

 中略
 大熊さんが30代の頃に上梓した「ルポ・精神病棟」
 その数カ月後、次の潜入取材先に選んだのが精神科病院だった。「全く誰も知らない世界。当時の僕は愚かな先入観に毒されていて、精神病棟はオッカナイ場所だと思いこんでいた」

 1970年2月5日、前夜から枕元に置いておいたウイスキーと日本酒をぐびぐびと飲み、泥酔状態で都内の精神科病院に運び込まれた。
 「2〜3分の診察で保護室にぶち込まれました」。檻(おり)に入れられた認知症の人たち、懲罰的な電気ショック、扉のないトイレ、羊羹(ようかん)のように固まった冷や飯…。「精神病棟は人間が捨てられる場所だと分かった」
 こうして新聞で「ルポ・精神病棟」を連載し、その後に出版した書籍は異例の30万部も売れた。

 ◆その後に気づいた「わが人生で最もアホな15年間」
 だが今、大熊さんは後悔している。「あれだけの思いをして描いたのに、ぼくはその後の15年間、精神病院はそれでも、ある程度は必要だと本気で思っていた。わが人生で最もアホな15年間だった」

 イタリア北東部の州都トリエステでは、精神科病院の閉鎖病棟が幼稚園として整備された
 頭が切り替わったのは、イタリアの精神保健システムに触れてから。精神科病院を全廃し、地域で見守るシステムのイタリア・トリエステを1986年に視察。「精神病院はいらないんだってやっと気づいたんだ」

 翻って現在の日本。「ルポ・精神病棟」は昔話になっていない。神出病院(兵庫)や滝山病院(東京)など、虐待が明るみに出ても国や行政の踏み込みは甘く、病床数は約30万床と世界的にも相変わらず多い。

 ◆「大量処方、大量鎮静。後遺症は一生です」
 今回の映画は松山市の精神科医・笠(りゅう)陽一郎さんのインタビューで締めくくる。大熊さんは言う。「彼は精神病院の反治療性を厳しく指摘する人物。365日24時間オープンのクリニックで、出向くことを全くいとわない。日本では稀有(けう)だが、トリエステなら当たり前。だから、この人物を映画の最後に据えたのです」

 笠さんは、発達障害で精神科病院に入れられて統合失調症と誤診され、抗精神病薬の大量投与による不可逆的な脳の病変で苦しむ人々が多くいることに注目。ネットを使った無償のセカンドオピニオン運動を展開した。笠さんを頼ってきたその数、約1万例に及ぶ。

 映画では「精神科救急の集中治療って言葉はいいが、大量処方、大量鎮静。後遺症は一生です」と笠さんの声が流れ、こう続いた。「岩盤は揺らぐと思っていましたが、変わらないね。精神病院だけじゃない。その後ろにもっと強固な組織があることを知らなかった。要するに行政が守るんです」。精神科病院の収容ビジネス化を批判する笠さんの言葉に、熱のこもった大熊さんの相づちが響いた。

【関連記事】身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/261541

【関連記事】「入院中の身体拘束」禁止されたのに、精神科だけ今も例外 欧米より「半世紀以上遅れた状態」変化求める声
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/357318