2011年、東日本震災の後、我が家には不可解な異変が現れた。
目に見えるか見えないかほどの微細な羽虫、ユスリカが大量に湧いて出たのだ。
理由は、いまだにはっきしないが、フクイチ事故の放射能が関係しているような気もする。近所の森に住む小動物(たぶんアライグマやハクビシン)が凶暴化して、激しく争う音が頻繁に聞こえるようになった。
このとき、近所のプロ泥棒Aが、私が音を出していると思い込んで、深夜に電話をかけてきていた。このころから私に対する嫌がらせが激化していった。
そのうち、向かいの池に小動物の死骸が浮き沈みしていた。
この頃から、これまで見たことのないほどのユスリカが湧いたのだが、最初のうちは、あまりに微細で視認できなかった。結局、何の対策もしないまま数年が過ぎ、2014年頃になって、私はユスリカの死骸粉末によると思われるアレルギー喘息に苦しむことになった。
やがて、発作は深刻化し、呼吸音に大きなブツブツバリバリ音が出てきて、私の呼吸力は大きく減退してしまった。もの凄い喘息発作が続いていた。
このとき、不思議なことに、真っ黒な化学物質の煤が室内に大量に入り込んでいた。
この煤はいったいどこから来たのか? と探し回ると、なんとプロ泥棒、嫌がらせ魔のAが自宅の裏庭で一斗缶で化学物質を燃して大量の煤を発生させていたのだ。
これでは隣家の金山さんの家もひどい被害を被っていただろうと思ったが、証言を依頼するつもりでいた金山さんは突然消えてしまった。
このAの悪意に満ちた努力の甲斐もあって、私の呼吸障害は、間質性肺炎から肺線維症に移行していたことが、ネットの検索で分かった。
富士山を五合目から二時間で登れる実力があったものが、通常のハイキングコースでも2倍近い時間がかかるようになって、私はお先真っ暗になった。
ただ、私は肺線維症の医療をまったく信用できなかったので、ハイキングによる呼吸トレーニングによって、悪化を防ぐ努力を続けた。
幸い、地元の中津川市はハイキングコースの宝庫だった。
ネットで調べた限りでは、私のように「ベルクロラ音」の呼吸音が出ている肺線維症患者の余命は、せいぜい5年だった。治療プロトコルとして、ステロイド、ピルフェニドン、ニンテダニブ投与があるが、延命程度の効果しかなく、完治治療方法はほとんどなかった。
病院に行けば、教科書に記載された治療プロトコルとしてのX線CTスキャンや肺穿刺細胞診が半強制的に行われるが、それは患者を救済するものではなく、あくまでも病院がデータをとりたいだけのもので、肺穿刺が原因で死んでしまう人も少なくなかった。
私の96歳の母など、長く肺疾患が続き、施設で医師によって無意味な肺穿刺を強要され、4日後に死んでしまった。これは、たぶん医師に未必の殺意があったと私は確信している。
間質性肺炎については、有効な対策として、「呼吸トレーニング」が挙げられていた。私は、これに賭けた。だが、データでは最大で10年の余命が確認されていたので、私の死は2024年と定まった。
だが、これを書いている2024年の年末、まだ死んでいない。ただ、年々、呼吸力が弱ってゆくことを肌身で感じていた。
何が問題かというと、普通に寝ていると、夜中に息切れを起こして起きてしまうのだが、もう簡単には寝られない。体を起こしたりすると多少楽になるので、何かにもたれかかって寝ることになる。
山で5Km、標高差100m以上のコースを2時間近くかけて歩くと、寝ていても、かなり呼吸が楽になる。しかし、アルコールの力を借りないと寝るのは難しい。
ウイスキーを強炭酸で割ったハイボールにすると胃腸への負担が減ることが分かって、今では、少し上等な角と強炭酸が欠かせなくなっている。
最近では、寝付くためにゾーピックという睡眠薬の力も必要になっている。
一番良いのは体を痛めつけて疲労感によって眠ることだが、とにかく何かしようとすると息切れで意欲を失ってしまう。庭のバケツを片付けるだけで激しく呼吸する必要があるのだ。
2014年頃、明らかに肺線維症(蜂巣肺)の症状が出てから、私は人生に絶望感を抱き、かなりひどい鬱病になった。
コメント欄に、鬱病が思い込みの主観的なものであるかのような書き込みもあったが、それは心の病気に無知な人の勝手な思い込みにすぎない。
まず、人生に希望が持てないとなると、視界が輝きを失う。何か色彩が減るのだ。単調なモノクロの世界で生きているように思えるようになる。大好きだった温泉にも行かなくなった。
人と対話することが負担になる。自分の世界に閉じこもっていたいのだ。
そして、自分の外に自分を救うための別の価値観を見いだそうとする。
エンゲルスのフォイエルバッハ論に、「自分の外に自分を救う何かを求めることが宗教の本質だ」と書かれているのだが、まさに、その通りだ。
自分の人生に救いが見えず、死だけが約束されると、人は自分を救ってくれる何かが自分の外にあるような勘違いを始める。
私も同じで、他人から見ると滑稽で嘲笑されるような空想の人格や自意識を求め始めた。まず、私の過去生を調べてゆくと、現在の私にあるさまざまの無意識的な習慣を考えると、私が過去生で女性だったことを確信するようになった。
私の思考法や他人への対処姿勢は女性的だったのだ。そして、もしも次に転生するとしたなら、それは女性でなければならないと考えるようになった。
私は、理性よりも感性に忠実に生きてきた。私は音楽や絵画が好きだ。その論理的本質よりも、感覚的、感性的印象に惹かれてきた。
今でも、クラシックギターの練習を続けている。
私は、男に生まれたが、結婚願望も子供を持つ願望も、自分の価値を残す願望もない。
だから独身で生涯を終えても、何の後悔もない。
でも死を意識しはじめて、せめて来生は、自分で子を産んで子育てしてみたいとかすかに思うようになっている。
輪廻転生は、前世におけるカルマ、潜在意識から新しい転生が定まることが分かっていたので、私は、次の人生を女性に生まれるための潜在意識を作り出すことにした。
人は、人生の苦しみを感じると、「自分の外に自分を救ってくれる価値」を見いだすことになるとフォイエルバッハが指摘しているとおり、宗教は人の苦しみの救済として、人の外側にある価値として登場してくる。
死が約束された私のような病気にかかると、ほとんどの人は鬱病になり、何かに救いを求めるようになるのだが、多くは宗教団体に頼る。
しかし、私は宗教の本質を十分に理解していたので、自分の救いを、自分で産み出した虚像に見いだそうとした。
周囲から見れば、ずいぶん滑稽で不可解な姿だったと思う。私は嘲笑された。
だが、一歩一歩迫ってくる呼吸困難の恐怖、死の恐怖の前に、私は妄想のなかに救いを求めるしかなかった。
畑仕事をしようとすると、もの凄い息切れが起きて、ほとんど何もできない絶望感が、自分の作り出した妄想で癒やされることになったわけだ。
人生に希望が持てないとき、人は代わりの希望を、どこかに作ろうとする。それが自分の内側ならば何の問題も起きないのだが、外側であったなら、虚構であったなら、さまざまの問題を再生産してゆくのだ。
人の外側に置かれた「人を救う価値」は、大きな利権に発展し、その利権を守るために嘘に嘘を上塗りするようなゴテゴテの怪物に変身してゆく。
トマス福音書に描かれたキリストは、「薪を割ってもそこにいる、石を退けてもそこにいる。教会に私はいない」と言っているのだが、今、トマス福音書77章を見ると、「教会に私はいない」という言葉が削除されてしまっている。
そりゃそうだ。それは教会キリスト教の全否定なのだから。全世界のキリスト教が目を剥いて「トマス福音書は偽書」と決めつけるわけだ。
つまり、すべての教会宗教をキリストは全否定している。死海文書にも、それが書かれているようだが、絶対に公開されない。またファティマ第三預言にも書かれているとの噂がある。当時の教皇がぶったまげて隠蔽したわけだ。
つまり、「人を救う」とオオボラを吹いている世界の宗教は、すべてゴテゴテのウソを塗り重ねた虚構にすぎなのだ。
真実は、自分の外に教会権力のような宗教的救いは存在しない。救いは自分の内側にしかない。
それでも、私のように、自分自身の悪い未来しか見えない者にとっては、鬱病になり、ノイローゼになり、のたうちまわって、「誰か助けてくれ!」と叫びたくなる。
そこで、「自分は特別な人間なのだ」と自分自身を直視することを避けるようになる。
何か、世間とは別の価値観に逃避するようになる。
他人と価値観を共有することが、ひどく苦痛になる。他人の価値観でいえば、私は「気の毒な人生」としか判定されないからだ。
私は、「天皇陛下を敬愛する日本国民」というナショナリズムの価値観を共有する、真っ赤なウソに洗脳されきった人々に囲まれている。
だが、虚構の権威を必要としない私には、天皇がタダの人にすぎないことを思い知らされている。天皇家の万世一系という幻想も、デマにすぎないことを知っている。
多くの人が、そんな私を、「排除すべき異端」として敬遠しているから、私のブログ読者も減る一方だ。
今、韓国国民の愚かな洗脳が問題になり、韓国は、洗脳ゆえに地獄に墜ちる運命が避けられないのだが、日本だって同じだ。
ユン・ソンソンニョル大統領を「親日」として追放する、反日思想に洗脳されてきった、まるでバイオハザードのゾンビのような韓国大衆が、これから、とんでもない地獄社会に堕とされてゆくのだが、虚構にすぎない天皇を崇拝する日本の人々も、実は同じ運命である。
まるで合理性のない、百害あって一利もない和暦をありがたく戴いて、免許の更新期日を見失う人々は、「天皇の国に命を捧げる」ことを18歳の若者たちに強要しはじめた。
これで、再び太平洋戦争の悲劇が繰り返されるのだが、私には、「苦悩から外側に救いを求める」心の法則が再現されているようにしか見えない。
私は自分の苦悩から自分を救う価値観を求めて、傍目から異常行動に見える生活を送っている。
一方で、多くの人々は、何かのコンプレックスから救いを求めて、右翼的価値観に走り、暴走を繰り返すようになっている。他人を許さない社会が復活しようとしている。
私には、日本社会全体が「異端を排除する」同調性バイアスの社会に向かっているようにしか見えない。
天皇崇拝社会を復活させ、「強い日本」の信仰を全国民に洗脳させようとしているようにしか見えない。
若者たちは、自分の価値観を放棄し、軍国的な同調社会に向かっているとしか思えないのは私だけだろうか?
目に見えるか見えないかほどの微細な羽虫、ユスリカが大量に湧いて出たのだ。
理由は、いまだにはっきしないが、フクイチ事故の放射能が関係しているような気もする。近所の森に住む小動物(たぶんアライグマやハクビシン)が凶暴化して、激しく争う音が頻繁に聞こえるようになった。
このとき、近所のプロ泥棒Aが、私が音を出していると思い込んで、深夜に電話をかけてきていた。このころから私に対する嫌がらせが激化していった。
そのうち、向かいの池に小動物の死骸が浮き沈みしていた。
この頃から、これまで見たことのないほどのユスリカが湧いたのだが、最初のうちは、あまりに微細で視認できなかった。結局、何の対策もしないまま数年が過ぎ、2014年頃になって、私はユスリカの死骸粉末によると思われるアレルギー喘息に苦しむことになった。
やがて、発作は深刻化し、呼吸音に大きなブツブツバリバリ音が出てきて、私の呼吸力は大きく減退してしまった。もの凄い喘息発作が続いていた。
このとき、不思議なことに、真っ黒な化学物質の煤が室内に大量に入り込んでいた。
この煤はいったいどこから来たのか? と探し回ると、なんとプロ泥棒、嫌がらせ魔のAが自宅の裏庭で一斗缶で化学物質を燃して大量の煤を発生させていたのだ。
これでは隣家の金山さんの家もひどい被害を被っていただろうと思ったが、証言を依頼するつもりでいた金山さんは突然消えてしまった。
このAの悪意に満ちた努力の甲斐もあって、私の呼吸障害は、間質性肺炎から肺線維症に移行していたことが、ネットの検索で分かった。
富士山を五合目から二時間で登れる実力があったものが、通常のハイキングコースでも2倍近い時間がかかるようになって、私はお先真っ暗になった。
ただ、私は肺線維症の医療をまったく信用できなかったので、ハイキングによる呼吸トレーニングによって、悪化を防ぐ努力を続けた。
幸い、地元の中津川市はハイキングコースの宝庫だった。
ネットで調べた限りでは、私のように「ベルクロラ音」の呼吸音が出ている肺線維症患者の余命は、せいぜい5年だった。治療プロトコルとして、ステロイド、ピルフェニドン、ニンテダニブ投与があるが、延命程度の効果しかなく、完治治療方法はほとんどなかった。
病院に行けば、教科書に記載された治療プロトコルとしてのX線CTスキャンや肺穿刺細胞診が半強制的に行われるが、それは患者を救済するものではなく、あくまでも病院がデータをとりたいだけのもので、肺穿刺が原因で死んでしまう人も少なくなかった。
私の96歳の母など、長く肺疾患が続き、施設で医師によって無意味な肺穿刺を強要され、4日後に死んでしまった。これは、たぶん医師に未必の殺意があったと私は確信している。
間質性肺炎については、有効な対策として、「呼吸トレーニング」が挙げられていた。私は、これに賭けた。だが、データでは最大で10年の余命が確認されていたので、私の死は2024年と定まった。
だが、これを書いている2024年の年末、まだ死んでいない。ただ、年々、呼吸力が弱ってゆくことを肌身で感じていた。
何が問題かというと、普通に寝ていると、夜中に息切れを起こして起きてしまうのだが、もう簡単には寝られない。体を起こしたりすると多少楽になるので、何かにもたれかかって寝ることになる。
山で5Km、標高差100m以上のコースを2時間近くかけて歩くと、寝ていても、かなり呼吸が楽になる。しかし、アルコールの力を借りないと寝るのは難しい。
ウイスキーを強炭酸で割ったハイボールにすると胃腸への負担が減ることが分かって、今では、少し上等な角と強炭酸が欠かせなくなっている。
最近では、寝付くためにゾーピックという睡眠薬の力も必要になっている。
一番良いのは体を痛めつけて疲労感によって眠ることだが、とにかく何かしようとすると息切れで意欲を失ってしまう。庭のバケツを片付けるだけで激しく呼吸する必要があるのだ。
2014年頃、明らかに肺線維症(蜂巣肺)の症状が出てから、私は人生に絶望感を抱き、かなりひどい鬱病になった。
コメント欄に、鬱病が思い込みの主観的なものであるかのような書き込みもあったが、それは心の病気に無知な人の勝手な思い込みにすぎない。
まず、人生に希望が持てないとなると、視界が輝きを失う。何か色彩が減るのだ。単調なモノクロの世界で生きているように思えるようになる。大好きだった温泉にも行かなくなった。
人と対話することが負担になる。自分の世界に閉じこもっていたいのだ。
そして、自分の外に自分を救うための別の価値観を見いだそうとする。
エンゲルスのフォイエルバッハ論に、「自分の外に自分を救う何かを求めることが宗教の本質だ」と書かれているのだが、まさに、その通りだ。
自分の人生に救いが見えず、死だけが約束されると、人は自分を救ってくれる何かが自分の外にあるような勘違いを始める。
私も同じで、他人から見ると滑稽で嘲笑されるような空想の人格や自意識を求め始めた。まず、私の過去生を調べてゆくと、現在の私にあるさまざまの無意識的な習慣を考えると、私が過去生で女性だったことを確信するようになった。
私の思考法や他人への対処姿勢は女性的だったのだ。そして、もしも次に転生するとしたなら、それは女性でなければならないと考えるようになった。
私は、理性よりも感性に忠実に生きてきた。私は音楽や絵画が好きだ。その論理的本質よりも、感覚的、感性的印象に惹かれてきた。
今でも、クラシックギターの練習を続けている。
私は、男に生まれたが、結婚願望も子供を持つ願望も、自分の価値を残す願望もない。
だから独身で生涯を終えても、何の後悔もない。
でも死を意識しはじめて、せめて来生は、自分で子を産んで子育てしてみたいとかすかに思うようになっている。
輪廻転生は、前世におけるカルマ、潜在意識から新しい転生が定まることが分かっていたので、私は、次の人生を女性に生まれるための潜在意識を作り出すことにした。
人は、人生の苦しみを感じると、「自分の外に自分を救ってくれる価値」を見いだすことになるとフォイエルバッハが指摘しているとおり、宗教は人の苦しみの救済として、人の外側にある価値として登場してくる。
死が約束された私のような病気にかかると、ほとんどの人は鬱病になり、何かに救いを求めるようになるのだが、多くは宗教団体に頼る。
しかし、私は宗教の本質を十分に理解していたので、自分の救いを、自分で産み出した虚像に見いだそうとした。
周囲から見れば、ずいぶん滑稽で不可解な姿だったと思う。私は嘲笑された。
だが、一歩一歩迫ってくる呼吸困難の恐怖、死の恐怖の前に、私は妄想のなかに救いを求めるしかなかった。
畑仕事をしようとすると、もの凄い息切れが起きて、ほとんど何もできない絶望感が、自分の作り出した妄想で癒やされることになったわけだ。
人生に希望が持てないとき、人は代わりの希望を、どこかに作ろうとする。それが自分の内側ならば何の問題も起きないのだが、外側であったなら、虚構であったなら、さまざまの問題を再生産してゆくのだ。
人の外側に置かれた「人を救う価値」は、大きな利権に発展し、その利権を守るために嘘に嘘を上塗りするようなゴテゴテの怪物に変身してゆく。
トマス福音書に描かれたキリストは、「薪を割ってもそこにいる、石を退けてもそこにいる。教会に私はいない」と言っているのだが、今、トマス福音書77章を見ると、「教会に私はいない」という言葉が削除されてしまっている。
そりゃそうだ。それは教会キリスト教の全否定なのだから。全世界のキリスト教が目を剥いて「トマス福音書は偽書」と決めつけるわけだ。
つまり、すべての教会宗教をキリストは全否定している。死海文書にも、それが書かれているようだが、絶対に公開されない。またファティマ第三預言にも書かれているとの噂がある。当時の教皇がぶったまげて隠蔽したわけだ。
つまり、「人を救う」とオオボラを吹いている世界の宗教は、すべてゴテゴテのウソを塗り重ねた虚構にすぎなのだ。
真実は、自分の外に教会権力のような宗教的救いは存在しない。救いは自分の内側にしかない。
それでも、私のように、自分自身の悪い未来しか見えない者にとっては、鬱病になり、ノイローゼになり、のたうちまわって、「誰か助けてくれ!」と叫びたくなる。
そこで、「自分は特別な人間なのだ」と自分自身を直視することを避けるようになる。
何か、世間とは別の価値観に逃避するようになる。
他人と価値観を共有することが、ひどく苦痛になる。他人の価値観でいえば、私は「気の毒な人生」としか判定されないからだ。
私は、「天皇陛下を敬愛する日本国民」というナショナリズムの価値観を共有する、真っ赤なウソに洗脳されきった人々に囲まれている。
だが、虚構の権威を必要としない私には、天皇がタダの人にすぎないことを思い知らされている。天皇家の万世一系という幻想も、デマにすぎないことを知っている。
多くの人が、そんな私を、「排除すべき異端」として敬遠しているから、私のブログ読者も減る一方だ。
今、韓国国民の愚かな洗脳が問題になり、韓国は、洗脳ゆえに地獄に墜ちる運命が避けられないのだが、日本だって同じだ。
ユン・ソンソンニョル大統領を「親日」として追放する、反日思想に洗脳されてきった、まるでバイオハザードのゾンビのような韓国大衆が、これから、とんでもない地獄社会に堕とされてゆくのだが、虚構にすぎない天皇を崇拝する日本の人々も、実は同じ運命である。
まるで合理性のない、百害あって一利もない和暦をありがたく戴いて、免許の更新期日を見失う人々は、「天皇の国に命を捧げる」ことを18歳の若者たちに強要しはじめた。
これで、再び太平洋戦争の悲劇が繰り返されるのだが、私には、「苦悩から外側に救いを求める」心の法則が再現されているようにしか見えない。
私は自分の苦悩から自分を救う価値観を求めて、傍目から異常行動に見える生活を送っている。
一方で、多くの人々は、何かのコンプレックスから救いを求めて、右翼的価値観に走り、暴走を繰り返すようになっている。他人を許さない社会が復活しようとしている。
私には、日本社会全体が「異端を排除する」同調性バイアスの社会に向かっているようにしか見えない。
天皇崇拝社会を復活させ、「強い日本」の信仰を全国民に洗脳させようとしているようにしか見えない。
若者たちは、自分の価値観を放棄し、軍国的な同調社会に向かっているとしか思えないのは私だけだろうか?

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