世界最悪レベルの原発事故なのに…その責任は一切問わず 東京電力の旧経営陣、無罪確定へ 最高裁が上告棄却 東京新聞2025年3月6日
  https://www.tokyo-np.co.jp/article/389968

 【判決要旨】東電旧経営陣の賠償責任否定 東京高裁の判断理由は 朝日新聞2025年6月6日
 https://www.asahi.com/articles/AST6630PRT66UTIL02QM.html

  以下引用
 東京電力福島第一原発事故を巡る株主代表訴訟で、旧経営陣に13兆3210億円の賠償を命じた一審・東京地裁判決を取り消し、株主側の請求を棄却した6日の東京高裁判決の要旨は以下の通り。

 何もしなかった判断を容認した東電判決 これで原発の安全が守れるか
 2011年3月11日の東日本大震災に伴う津波で、原発が破壊され、炉心溶融に至ったことなどにより、原子炉から放射性物質が大量に放出する「過酷事故」が起きた。

 株主の原告は、旧経営陣が大規模地震による津波で過酷事故が発生することを予見できたから、事故防止に必要な対策を速やかに講じるべきだったのにそれを怠り、巨額の損害賠償責任や廃炉費用の負担を余儀なくさせたと主張し、旧経営陣に損害賠償の支払いを求めた。
 一審・東京地裁判決は計13兆3210億円の支払いを命じた。

 旧経営陣が事故で東電に生じた損害について善管注意義務違反に基づく賠償責任を負うというためには、事故の原因となり得る程度の津波が原発に襲来することを予見できたと認められる必要がある。

 事故当時、原発では10メートルを超える津波を想定した対策は全く講じられていなかった。この高さの津波が来れば、全電源喪失状態になり、過酷事故につながりうることは容易に予見できた。
 この高さの津波が来ることについて予見可能性が認められる場合、旧経営陣は原発の運転停止に向けた指示をするべきだったといえる。

 事故前に原発が国策として推進されてきたことも考慮すると、予見可能性があったと認めるには、原発を停止しなければ過酷事故が生じうることについて、国民生活や企業活動への影響を重視する者を含めた多数の利害関係者に正当性を主張し得るほど、合理性や信頼性のある根拠が必要だ。

 国の地震本部が策定した長期評価は、当時の地震学に関するトップレベルの研究者による議論に基づいたもので、原子力事業者も尊重すべきものだった。

 一方、長期評価に基づきどんな防災対策をとるかは、各機関が対策の必要性や緊急性、実現可能性を踏まえて独自に検討する余地があった。長期評価には、積極的な根拠が示されず、地震本部自身がその信頼度を「やや低い」とした部分もあった。
 政府の中央防災会議や福島県、茨城県が防災対策のとりまとめの際に見解を採用しないなど、長期評価は、予見可能性があったことを認める根拠としては、必ずしも十分ではない。

 長期評価に基づく試算により、08年3月に10メートルを超える津波が想定されることが判明し、対策工事を検討したが、同年6月、常務取締役だった武藤栄氏の決定により検討が中断され、長期評価の見解について土木学会に検討を依頼する方針になった。
 この方針について、他の原子力事業者や学者から異論は出なかった。

 10メートルを超える津波を想定した対策の指示を法的に義務づけるほど具体的な予見可能性があったと認める根拠として、長期評価や試算は十分ではない。
 武藤氏は、本件事故に至るまで、旧経営陣の中で長期評価や試算結果についての情報を最も多く得ていた。担当者から長期評価は無視できないと説明を受けたが、その説明は、10メートルを超える水位の津波が襲来する危険性について、切迫感や現実感を抱かせるものではなかった。

 武藤氏の判断で、津波対策工事の完成は遅れたが、そのことをもってその判断が不合理とは言えない。ほかの取締役で、武藤氏以上に多くの情報を得ていた者はおらず、旧経営陣に予見可能性があったとは言えない。

 その他の争点について検討するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。
 旧経営陣は、東電の取締役として、原発事故防止のための措置を指示できる立場だった。本件事故による甚大な損害について大きな社会的責任を負うべき立場にある。しかし、予見可能性が認められない以上は法的な損害賠償責任は認められない。

 今後、電力事業者はいかなる要因に対しても事故を防ぐための措置を怠らないという不断の取り組みが求められる。原発事業のあり方について、電力供給の利益を享受する者も含めた広い議論が求められている。
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 引用以上

福島第1原発事故めぐる株主訴訟、最後に裁判長が言ったこと 東京電力旧経営陣の賠償責任認めず 東京高裁 東京新聞 2025年6月6日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/409797

  訴訟は、旧経営陣らが巨大津波を予見し得たか、対策によって事故を回避できたかが争点だった。東京電力内部では2008年、最大15.7メートルの津波が来ると試算。その根拠となった政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の「長期評価」(2002年公表)の科学的な信頼性が争われた。

 2022年7月の一審判決は、長期評価に「相応の科学的信頼性がある」と認め、原子炉建屋などに浸水対策を行っていれば重大事故を避けられた可能性が十分にあったと判断した。
 木納裁判長は判決理由で、当時の状況下で旧経営陣が事故防止のためにできた指示は「原発の運転停止」しかなかったと指摘。その上で、電力需給への影響なども考慮した上で、運転停止を指示するほどまでに長期評価を信頼できたかを検討した。

 当時、地震本部が長期評価の信頼度を「C(やや低い)」とし、中央防災会議や自治体の防災対策に採用されていなかったことなどから、木納裁判長は運転停止を指示する根拠として「十分ではない」と判断。
 旧経営陣に「津波の予見可能性があったとは認められない」と結論づけた。

 ◆木納裁判長「あくまで法的責任の判断」と強調
 また、事故対策の実質的な責任者だった武藤栄元副社長(74)への社員の報告内容も切迫感はなく、対策を指示しなかったことは「不合理とは言えない」と指摘。
 ほかの旧経営陣は武藤氏よりも情報に接していなかったとしていずれも賠償責任を認めなかった。

 木納裁判長は、理由読み上げの終盤で「あくまで本件事故における法的責任の判断」と強調。「原発事業者による津波の想定は、事故前と同じものであってはならない。二度と過酷事故を発生させてはならない」と付言した。

 被告は武藤氏のほか、昨年10月に84歳で死去した勝俣恒久元会長の相続人、清水正孝元社長(80)、原子力部門のトップだった武黒一郎元副社長(79)、小森明生元常務(72)の5人。
 判決を受け、5人の代理人は「コメントは差し控える」とした。東京電力は「個別の訴訟に関することは差し控える」との談話を出した。
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 ◆経営陣それぞれの責任を否定したが
 東京電力旧経営陣が負う賠償義務を13兆円超からゼロにした東京高裁判決は、事故防止には原発の運転停止しかなかったと前提を置き、責任の認定ハードルを高くすることで一審判決を覆した。
 防潮堤以外にも浸水対策を指示する必要性を認めた一審判決に比べ、旧経営陣に求められる義務の範囲を狭めた形だ。

 高裁の木納敏和裁判長は、津波試算の根拠になった長期評価について「地震学のトップレベルの研究者による議論に基づき、尊重するべきものだった」と認めた。
 だが、実際に自治体の防災対策に取り入れられていなかったことなどから、事故責任を問うための予見可能性の根拠にはならないとした。

 事故から14年以上たった今も苦しむ被災者を思うと、納得できない論理だ。原発事故の防止に効力がある地震予測は、存在しないかのように感じる。
 判決理由の最後で、木納裁判長は原発事業者に対して「いかなる要因に対しても過酷事故の発生を防ぐ措置を怠ってはならない」と述べ、約30分間の読み上げをこう締めくくった。「原子力発電事業のあり方について、広く議論することが求められる」。そこまで言及するなら、なぜこうした判決となったのか疑問が残る。(小野沢健太)
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 引用以上

 結局「大津波による大事故が予見できたか否か?」が本質的な争点になっている。
 ところが、実際には、東電内部でも外部機関でも、高さ15.7mの巨大津波が襲ってくるとの認識が、大震災前に共有されていたことが、上の記事で明らかにされている。

 東電は、島崎邦彦氏が会長を務める「地震調査研究推進本部」が、2002年7月に公開した「長期評価」を無視し、勝手に「新知見」なる評価を導入し、津波対策追加工事を行わないことを正当化した。

 なぜ「長期評価」を用いず、「新知見」なのか 島崎邦彦
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/25/12/25_12_50/_pdf/-char/ja
 以下一部抜粋

 【「長期評価」に東電が真摯に対応していたら、福島第一原子力発電所の重大事故は起こらなかったと思う。この点を明確にせずに「新知見」を課題にあげるのはおかしい。
 「長期評価」への対応を引き延ばしに引き延ばした事業者、東京電力の問題や、「長期評価」に基づく津波計算を東京電力に要求せず、2008年の計算結果を知らず放置した規制当局、原子力安全・保安院の問題を、「新知見」への対応の問題にすり替えている。】

 国の「地震研究調査本部」という、トップレベルの地震学者が集まった公的機関の2002年度、公式報告が、当時のフクイチ事業所で大津波が来れば巨大事故を引き起こす可能性があると警告している。
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/62/3/62_153/_pdf

 福島第1原発、10メートル超の津波想定 東電が08年試算 震災4日前に保安院へ報告 日本経済新聞 2011年8月24日
 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2403D_U1A820C1CR8000/

 東京電力は24日、福島第1原子力発電所に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルになる可能性があることを2008年に社内で試算していたことを明らかにした。
 東日本大震災後、東電は福島第1原発を襲った津波の大きさを「想定外だった」と説明してきた。試算を踏まえて対策していれば原子炉が炉心溶融するという最悪の事態を回避できた可能性があった。

 東電は試算結果の存在を震災後5カ月半も公表してこなかった。事故調査・検証委員会も経緯を聴取しており、今後、事故を招いた重大な原因として争点となりそうだ。

 東電は02年の土木学会の津波評価をもとに、福島第1原発での想定津波の高さを最大5.7メートルと設定していた。
 08年に、869年の貞観地震や国の地震調査研究推進本部の見解などをもとに、巨大地震時の津波の規模を試算。福島第1原発の5〜6号機に来る津波が10.2メートル、防波堤南側からの遡上高は15.7メートルという結果をまとめた。

 実際に大震災による福島第1原発の遡上高は14〜15メートル。試算に基づいて、電源やポンプなどの重要施設の防水対策をきちんととっていれば、全電源喪失から原子炉を冷却できなくなる事態を防げた可能性がある。

 この試算結果を08年6月に経営陣も把握していた。東電は同年秋、土木学会に同学会の津波評価の見直しを求めたが、現在まで改定はされなかったとしている。
 試算を想定津波に反映しなかった理由について「試算は試算であり、想定ではない」(松本純一原子力・立地本部長代理)と説明した。

 東電は試算結果を今年3月7日になって保安院に報告した。保安院は東電に対し、試算結果を反映した耐震安全性評価報告書を提出し、早期に設備の改修などの対策をとるよう口頭で指導した。実際には4日後に震災が起き、対応できなかった。
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 東電は、国のトップレベルの公式機関と、日本を代表する地震学会、土木学会が、15.7mの大津波が予想されると報告したことに対し、(新知見によれば)科学的信頼性が薄いとし、それを裁判所が認めたのである。

 東京電力、勝俣・石黒・清水・武黒・小森らの経営者としての本当の判断がどこから生まれたのか? といえば、原発事故を引き起こす危惧ではなく、東電の株価の問題だった。
 すなわち、当時、10mの津波想定しかなかった福島第一原発に、15.7mの津波を想定するなら、高さ20m近い防潮壁を建設しなければならないことになり、その工事は、巨大、かつ巨額なものになる。 

 それは、数百億円以上の予算が必要になり、東電の株価に大きな影響を与えることが容易に予想された。
 経営陣の責務は、株価の維持、上昇であって、株価を下げるような計画は重過ぎる精神的負荷であった。自分たちの退職金額に直結してしまう。

 もし本当に大津波が来て、原子炉がメルトダウンを起こす事態になったとしても、「まったく想定外の自然災害」ということにして、「不可抗力」と決めつければ、原子力政策を推進してきた国に責任を転嫁することができるのだ。
 勝俣・武黒ら東電経営陣は、結局、国の機関による津波予測を「アテにならない…」として、頬かむりし、追加工事の負担を拒否し、その結果、とりかえしのつかない巨大原発事故を引き起こした。

 なぜ、東電経営陣が、国の機関による報告を軽々に無視できたのか? といえば、それは当時の安倍晋三首相の国会答弁が大きく影響している。

 福島原発事故で、国と東電の責任を認める判決! あらためて言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ 2017.10.10
 https://lite-ra.com/2017/10/post-3503_2.html

今年も言う、福島原発事故の最大の戦犯は安倍首相だ! 第一次政権時代“津波で冷却機能喪失”を指摘されながら対策を拒否 2020.03.11
 https://lite-ra.com/2020/03/post-5303_2.html

周辺住民1万8千人が急性死亡! 日本の原発が攻撃を受けた際の被害想定報告書が存在も、自民党政権が原発推進のために隠蔽(リテラ)2022年03月11日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5902923.html

 以下抜粋
 吉井英勝衆院議員(当時)。京都大学工学部原子核工学科出身の吉井議員は以前から原発問題に取り組んでいたが、2006年から日本の原発が地震や津波で冷却機能を失う可能性があることを再三にわたって追及していた。
 3月には、津波で冷却水を取水できなくなる可能性を国会で質問。4月には福島第一原発を視察して、老朽化している施設の危険性を訴えていた。

 第一次安倍政権が誕生して3カ月後2006年12月13日には「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を政府宛に提出。
 「巨大な地震の発生によって、原発の機器を作動させる電源が喪失する場合の問題も大きい」として、電源喪失によって原子炉が冷却できなくなる危険性があることを指摘した。(フクイチ事故は、まったくこの通りの事故だった)

 安倍晋三=「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」
 吉井議員はこうした回答を予測していたのか、次に「現実には、自家発電機(ディーゼル発電機)の事故で原子炉が停止するなど、バックアップ機能が働かない原発事故があったのではないか。」とたたみかける。

 しかし、これについても、安倍首相は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と一蹴。
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 安倍晋三は、その場の都合次第で、口先の出まかせを言う「息を吐くように嘘をつく」総理大臣として知られていて、このときも、過去に非常用発電機の停止事例がないから安全だという詭弁を口にした。
 安倍は、司法(警察、検察、裁判所)に自分の息のかかった統一教会系の人間を送り込んで、私物化していて、2012年の衆院総選挙の結果を、ムサシという自分の関係する企業に開票させて選挙結果を捏造した疑惑がもたれている。

 今回、東電役員を無罪にし、賠償責任を否定した判決も、裁判官は、安倍晋三が任命したり、息のかかった人物である可能性が強い。

 原発は必ず事故を起こす。半世紀前、原子力産業は、メルトダウンのような破局事故は、1000万年に一度しか起きないと堂々と公言していた。
 
電力会社「1000万年に1回」 原発事故確率 現実離れ 東京新聞2012年7月4日
  https://www.tokyo-np.co.jp/article/236577

 だが、現実は、わずか半世紀の間に、原子炉メルトダウン破局事故は7回以上も起きている。スリーマイル・チェルノブイリ・福島第一原発、その他に、大亜湾・台山・長江などでメルトダウン事故が起きた疑いがある。
 つまり、破局事故は10年に一度どころではなく起きている。

 原発の重大事故は、1000万年に一度しか起きません 2024年11月09日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6175133.html

 それなのに、大事故は存在しない。フクイチ事故では一人も死んでいない…などの真っ赤すぎる嘘が蔓延し、学者やメディアもそれを真正面から批判していない。
 
福島第一原発事故では一人の死者も出さなかった… 2025年03月10日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6190838.html

 なぜ、このような真っ赤な嘘や安全デマを平然と繰り返してまで、原発を推進するのだろう?
 私の試算で、フクイチ事故は1000兆円という途方もない被害が出ているが、その責任を裁判所はすべてチャラにしてみせた。
 このことの意味は、再びフクイチ事故が繰り返されることだ。

 私は、原発政策の本当の理由は、自民党関係者、維新や公明、参政党も含めて、核兵器開発に対する強烈な幻想と期待があるせいだと思う。
 そして、世界を支配しようとしているダボス会議が、原発電気一元化社会を作りたがっていることで、世界中に原発建設への圧力がかかっているとみている。

 世界資産の9割を保有するユダヤ人金融資本家たちが、原発電気を通じて全人類を支配し、人々をゴイム(家畜)として使役する社会を求めているからだと、私は思う。
 あなたは、陰謀論というか? それは知能の不足した、現実の背後にある法則を見抜けない人の言うことだ。