人間は「快適」を求める本能に支配されている。
快適な時間を過ごしたい。快適な地域に住みたい。快適な人間関係のなかにいたい。誰もが、快適を求めて彷徨っている。
私も70年を超える人生で、不快を求める人は、まだ見たことがない。それは、結果としてもたらされたものにすぎない。
私が中津川市に移住した理由も、私の大好きな山々に囲まれた快適な居住環境だからだ。人口密度がひどく低くて、キロ平方メートルあたり100人しか住んでいない。確実に、タヌキや狐など野生動物の方が多い。
以前40年間住んでいた名古屋市は、7000人以上だった。
日本の人口密度は全体を均して約330名、中国の東岸居住地域の都市部では、5000人程度といわれる。
だから、というより、中国共産党の独善的、独裁的な腐敗により、ずいぶん住みにくい国になっていて、日本には、中国人が100万人近く移住者として押し寄せている。鳥取県や山梨県の人口の数倍以上だ。
普通の感覚なら、マナーの著しく悪い中国人が移住しても良いことなど考えられないので、移住を受け入れることなどありえない。それに、日本人の中国移住は、一切認められていないので、「外交相互原則」によって、日本政府が移住を拒絶するのが当然だ。
ところが、日本の自民党政権や維新などは、極端な親中派、媚中派が揃っていて、その代表格が、二階俊博や岩屋毅、林芳正、河野太郎、橋下徹などだ。
彼らに中国共産党から送り込まれた美女が、ハニートラップを仕掛けて見事に釣り上げられているとの情報が多く、何が何でも中国人を不可解に優遇し続けている。
https://ameblo.jp/lifebalijp/entry-12884608127.html
安倍晋三は、外国人労働者を300万人日本に受け入れると表明した。その大半が中国人になるだろう。単純労働者の滞在期限が5年間などと口先で言ってみても、実際には生身の人間だから、恋もするし、家族も作る。みんな移住を求めているのだ。
いったん日本に居住した外国人が、帰国する例は非常に少ない。
それは、日本が世界のなかでも、飛び抜けて住みやすい温かい国だからだ。
結局、中国人が日本に百万人も移住しているという本当の理由は、日本に自由があって、のびのびと呼吸し、真実を話しても逮捕されず、不当な搾取も少ないからだ。
徴兵制がないから、ロシア人のように無理やり戦場に送られて殺される恐怖もない。
一言でいえば「快適」なのだ。(もちろん財務省の重税政策の苦しみはあるのだが)
人間、何が嫌かといえば、本人が平和な生活を求めているのに、無理やり徴兵されて戦場に送られることほど嫌なものはない。
まして、官僚腐敗の中国では、誰一人として国を愛して、そのために命を捧げたいと思う者はいないから、「徴兵制がない日本に住んで平和な生活を送りたい」という願いは、権力を持たない中国人民のなかで最高の希望だろう。政治腐敗の少ない日本で、のびのびと暮らしたい。
これが、中国から百万人移住して、さらにこれから中国人が数百万人規模で日本に押し寄せてくる理由である。
中国だけはない。先進国に見えるカナダ・アメリカや欧州からも、インバウンドが続々と日本に押し寄せてくるのだが、その理由は、前回書いたように、たぶん観光だけではなく、人を利用し敵対する文化の北米欧州の社会システムと比べて、日本では「人を愛する」ことが基本であり、インバウンドに優しく「快適」を提供するからなのだ。
世界の人々は、日本の「優しさ」に惹かれてやってくる。そこには欧米のような差別システムがない。セレブは少なく、ホームレスも少なく、誰にでも平等な社会がそこにある。(「あった」というべきか?)
それは前回に書いたように、鎌倉仏教の聖たちが、釈迦の思想を全国行脚して人々に教えて回ったことが大きい。
そして、「死んでも魂が残り、この世で悪いことをすれば、死後、閻魔に裁かれる」という霊界のシステムを教えた。
つまり、人間の霊魂は、遠い過去から遠い未来まで不滅である。悪いことをすればカルマとして還さねばならない。
この思想は、鎌倉仏教だけで終わったかといえば、全然そうでなく、現代日本人の心の奥底にも染み渡っているのだ。
そして、比叡山の苦行行者たちに対する尊敬も、いささかも衰えることはない。高野山には、形式や観光ではない。本物の仏教が残っているから、その神秘的な雰囲気が消えない。
こんな不思議な利他主義の国、日本に憧れて、外国人が押し寄せてくる。
それは、利己主義と敵対に満ちた自国には存在しない人の優しさがあるからだ。
欧州の安楽死推進国は、オランダ・ベルギー・スペイン・ポルトガルなどだが共通しているのは、500年前に帝国主義の人権疎外国家だったことだ。
ポルトガル人は、バチカン教団とともに、日本に布教にやってきた。口先でイエス・キリストの愛を語りながら、後ろに回した手で、日本人女性50万人を捕まえ、奴隷商品として売り飛ばしたのだ。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e546f0e93921a2ed79c3a775fb02ad2688f528fd
この数は現代日本にあてはめると、実に500万人にも相当する。戦国時代、九州から適齢期の女性が消えてしまったとの記録さえある。
欧州の帝国主義国家である、オランダ・イギリス・スペイン・ポルトガル・ベルギーなどは、すべて奴隷交易を行い、人を商品として扱って利益を貪った。
アメリカ・カナダは、こんな国々から移住した国民に拠っている。
これによって何が起きたのか?
人を商品として利用対象とする価値観は、回り回って、自分の人生の愛を破壊してしまった。他人を商品にし、愛を与えることができなくなったということは、実は、自分に対しても愛を与えることを拒絶する価値観をもたらした。
このことが、欧米で安楽死が正当化される理由になっていると前回指摘した。
安楽死という概念は、人を利用し、敵対する文化のなかでしか成立しない。人を愛せず、最後まで自然に生きてほしいと願うのでなく、「役に立たなくなれば死ぬのが当然」という価値観をもたらしたからだ。
だから、釈迦の思想が心に沈殿している日本人には、安楽死は成立しない。
参政党の神谷宗幣が「安楽死=尊厳死と言い換えているが」、一生懸命、安楽死を容認し、国家規模で実現しようとしていることの意味はなんだろう?
731部隊や登戸研究所、南京大虐殺を実行した長勇中佐(硫黄島で戦死)たちは、愛を拒絶する人たちだった。
彼らも、戦争における人の道を見失って暴走した行為により、巨大なカルマを背負うことになった。
私には神谷宗幣が、長勇中佐や731部隊の亡霊たちに憑依され、そのカルマを背負っているようにしか見えない。
人間が生きているときに行った行為は、すべて、どんな小さな悪事であろうと、寸分の狂いもなく自分に還ってくる。これがカルマの恐ろしいところだ。
人を奴隷として利用したカルマは、自分に還り、安楽死を推進するという思想を導いてしまう。
500年前の帝国主義のカルマが、いまだに行った者たちの心を束縛し続けているのだ。
200年前の資本主義のカルマが、大恐慌として還り、それを解決するためには、労働者を富ませて底辺の需要を活性化するしかないのだが、資本家には労働者を貧しくさせて資本家に依存させることだけが自分たちの利権を守るという思い込みがあり、それが古典経済学のセイの法則に反映された。
それが、今でも、日本ですら、生き続けていて、「底辺を富ませる」ことが需要をもたらし、経済全体を救うという思想が、どうしても理解できず古典経済学にしがみついたままだ。
だから、「労働者を利用する=搾取する」という文化、思想のカルマがあるうちは、世界経済も日本経済も、永遠に復興することはない。
人を利用対象として見ることは、結局、資本家たち、権力者たちの首を自ら締め上げることになることを、どうしても理解できないのだ。
だから、そんな人達には、「安楽死」という終末が訪れる運命なのだ。
快適な時間を過ごしたい。快適な地域に住みたい。快適な人間関係のなかにいたい。誰もが、快適を求めて彷徨っている。
私も70年を超える人生で、不快を求める人は、まだ見たことがない。それは、結果としてもたらされたものにすぎない。
私が中津川市に移住した理由も、私の大好きな山々に囲まれた快適な居住環境だからだ。人口密度がひどく低くて、キロ平方メートルあたり100人しか住んでいない。確実に、タヌキや狐など野生動物の方が多い。
以前40年間住んでいた名古屋市は、7000人以上だった。
日本の人口密度は全体を均して約330名、中国の東岸居住地域の都市部では、5000人程度といわれる。
だから、というより、中国共産党の独善的、独裁的な腐敗により、ずいぶん住みにくい国になっていて、日本には、中国人が100万人近く移住者として押し寄せている。鳥取県や山梨県の人口の数倍以上だ。
普通の感覚なら、マナーの著しく悪い中国人が移住しても良いことなど考えられないので、移住を受け入れることなどありえない。それに、日本人の中国移住は、一切認められていないので、「外交相互原則」によって、日本政府が移住を拒絶するのが当然だ。
ところが、日本の自民党政権や維新などは、極端な親中派、媚中派が揃っていて、その代表格が、二階俊博や岩屋毅、林芳正、河野太郎、橋下徹などだ。
彼らに中国共産党から送り込まれた美女が、ハニートラップを仕掛けて見事に釣り上げられているとの情報が多く、何が何でも中国人を不可解に優遇し続けている。
https://ameblo.jp/lifebalijp/entry-12884608127.html
安倍晋三は、外国人労働者を300万人日本に受け入れると表明した。その大半が中国人になるだろう。単純労働者の滞在期限が5年間などと口先で言ってみても、実際には生身の人間だから、恋もするし、家族も作る。みんな移住を求めているのだ。
いったん日本に居住した外国人が、帰国する例は非常に少ない。
それは、日本が世界のなかでも、飛び抜けて住みやすい温かい国だからだ。
結局、中国人が日本に百万人も移住しているという本当の理由は、日本に自由があって、のびのびと呼吸し、真実を話しても逮捕されず、不当な搾取も少ないからだ。
徴兵制がないから、ロシア人のように無理やり戦場に送られて殺される恐怖もない。
一言でいえば「快適」なのだ。(もちろん財務省の重税政策の苦しみはあるのだが)
人間、何が嫌かといえば、本人が平和な生活を求めているのに、無理やり徴兵されて戦場に送られることほど嫌なものはない。
まして、官僚腐敗の中国では、誰一人として国を愛して、そのために命を捧げたいと思う者はいないから、「徴兵制がない日本に住んで平和な生活を送りたい」という願いは、権力を持たない中国人民のなかで最高の希望だろう。政治腐敗の少ない日本で、のびのびと暮らしたい。
これが、中国から百万人移住して、さらにこれから中国人が数百万人規模で日本に押し寄せてくる理由である。
中国だけはない。先進国に見えるカナダ・アメリカや欧州からも、インバウンドが続々と日本に押し寄せてくるのだが、その理由は、前回書いたように、たぶん観光だけではなく、人を利用し敵対する文化の北米欧州の社会システムと比べて、日本では「人を愛する」ことが基本であり、インバウンドに優しく「快適」を提供するからなのだ。
世界の人々は、日本の「優しさ」に惹かれてやってくる。そこには欧米のような差別システムがない。セレブは少なく、ホームレスも少なく、誰にでも平等な社会がそこにある。(「あった」というべきか?)
それは前回に書いたように、鎌倉仏教の聖たちが、釈迦の思想を全国行脚して人々に教えて回ったことが大きい。
そして、「死んでも魂が残り、この世で悪いことをすれば、死後、閻魔に裁かれる」という霊界のシステムを教えた。
つまり、人間の霊魂は、遠い過去から遠い未来まで不滅である。悪いことをすればカルマとして還さねばならない。
この思想は、鎌倉仏教だけで終わったかといえば、全然そうでなく、現代日本人の心の奥底にも染み渡っているのだ。
そして、比叡山の苦行行者たちに対する尊敬も、いささかも衰えることはない。高野山には、形式や観光ではない。本物の仏教が残っているから、その神秘的な雰囲気が消えない。
こんな不思議な利他主義の国、日本に憧れて、外国人が押し寄せてくる。
それは、利己主義と敵対に満ちた自国には存在しない人の優しさがあるからだ。
欧州の安楽死推進国は、オランダ・ベルギー・スペイン・ポルトガルなどだが共通しているのは、500年前に帝国主義の人権疎外国家だったことだ。
ポルトガル人は、バチカン教団とともに、日本に布教にやってきた。口先でイエス・キリストの愛を語りながら、後ろに回した手で、日本人女性50万人を捕まえ、奴隷商品として売り飛ばしたのだ。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e546f0e93921a2ed79c3a775fb02ad2688f528fd
この数は現代日本にあてはめると、実に500万人にも相当する。戦国時代、九州から適齢期の女性が消えてしまったとの記録さえある。
欧州の帝国主義国家である、オランダ・イギリス・スペイン・ポルトガル・ベルギーなどは、すべて奴隷交易を行い、人を商品として扱って利益を貪った。
アメリカ・カナダは、こんな国々から移住した国民に拠っている。
これによって何が起きたのか?
人を商品として利用対象とする価値観は、回り回って、自分の人生の愛を破壊してしまった。他人を商品にし、愛を与えることができなくなったということは、実は、自分に対しても愛を与えることを拒絶する価値観をもたらした。
このことが、欧米で安楽死が正当化される理由になっていると前回指摘した。
安楽死という概念は、人を利用し、敵対する文化のなかでしか成立しない。人を愛せず、最後まで自然に生きてほしいと願うのでなく、「役に立たなくなれば死ぬのが当然」という価値観をもたらしたからだ。
だから、釈迦の思想が心に沈殿している日本人には、安楽死は成立しない。
参政党の神谷宗幣が「安楽死=尊厳死と言い換えているが」、一生懸命、安楽死を容認し、国家規模で実現しようとしていることの意味はなんだろう?
731部隊や登戸研究所、南京大虐殺を実行した長勇中佐(硫黄島で戦死)たちは、愛を拒絶する人たちだった。
彼らも、戦争における人の道を見失って暴走した行為により、巨大なカルマを背負うことになった。
私には神谷宗幣が、長勇中佐や731部隊の亡霊たちに憑依され、そのカルマを背負っているようにしか見えない。
人間が生きているときに行った行為は、すべて、どんな小さな悪事であろうと、寸分の狂いもなく自分に還ってくる。これがカルマの恐ろしいところだ。
人を奴隷として利用したカルマは、自分に還り、安楽死を推進するという思想を導いてしまう。
500年前の帝国主義のカルマが、いまだに行った者たちの心を束縛し続けているのだ。
200年前の資本主義のカルマが、大恐慌として還り、それを解決するためには、労働者を富ませて底辺の需要を活性化するしかないのだが、資本家には労働者を貧しくさせて資本家に依存させることだけが自分たちの利権を守るという思い込みがあり、それが古典経済学のセイの法則に反映された。
それが、今でも、日本ですら、生き続けていて、「底辺を富ませる」ことが需要をもたらし、経済全体を救うという思想が、どうしても理解できず古典経済学にしがみついたままだ。
だから、「労働者を利用する=搾取する」という文化、思想のカルマがあるうちは、世界経済も日本経済も、永遠に復興することはない。
人を利用対象として見ることは、結局、資本家たち、権力者たちの首を自ら締め上げることになることを、どうしても理解できないのだ。
だから、そんな人達には、「安楽死」という終末が訪れる運命なのだ。

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