財務省の言いなりロボットである小泉進次郎を、財務省が次期総裁、首相にすると確信していたのだが、どういう風の吹き回しか、高石早苗が次期総裁に決定した。
 結局、文春砲の中味が、進次郎の悪質性を際立たせるものだったので、麻生太郎らキングメーカーがもう支えきれない、デメリットの方が多いと判断したのだろう。

 これまで高市が総裁選に敗れてきた最大の理由は、経済成長路線を提唱していたからだ。経済成長のために、減税や財政投資が必要と言ってきたので、財務省の増税、緊縮財政路線に逆らうものとして排除されてきた。

 今、高市サイトを確認してみると、なぜか、減税や積極財政が見当たらず、やたらと「日本を世界一にする」という類の、ユダヤ教タルムードなみの優越意識が鼻につく。高市早苗は、強硬な選民主義・優越主義者であるらしいことがわかる。
 https://www.sanae.gr.jp/policy.html

 私は、昨年の高市の、「日本を世界のてっぺんに再び押し上げる」といったビジョンを聞いて、21世紀のこの時代に、再び17世紀帝国主義を再現するつもりなのか? と呆れて見ていた。
 てっぺんに立つ必要がどこから出てくるんだ? 上に向かって駆け足で競争しようと言っているわけだが、てっぺんに立って、他者を見下すことに 何の価値があるのか、彼女は何も理解していない。
 
  上を向いて、歩こうよ 2025年08月22日
  https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6211335.html

 為政者たるもの、社会の底辺の隅々まで幸せが行き渡るように、落ちこぼれが出ないように政治を司るのが真の名君なのだが、高市のように「てっぺんに向かってつっ走る」ような優越主義、競争主義の価値観で政策を実行するなら、必ず落ちこぼれが出て、それを切り捨てるしかなくなる。

 「国の役に立たない者は排除する」という優越主義、優生保護思想が表に出てきて、障害者、病人、弱者を切り捨てよ、ナチスのT44作戦のように、落ちこぼれはガス室に送れ、障害者の生殖機能を除去せよ、老人は安楽死させよ…という方向に向かう必然性がある。
 参政党の神谷宗幣は、それを地で行っているのだが、高市も同じ方向を向いているように見える。

 となると、高市政権は、参政党同様、安楽死を尊厳死と言い換えて、国の役に立たない、お荷物老人(私のことだ)を安楽死させよと言うに違いないのだ。
 ワクチン無料接種のように、塩化カリウム無料注射なんて言い出すだろう。
 優生保護法も復活させるだろう。障害者は、再び生殖機能を強制的に奪われる時代がやってくる。

 高市早苗が大好きなのは、「世界に冠たる強い日本」だ。
 ちょうど80数年前に、北一輝や石原莞爾らがそれを口にして、五族協和、大日本帝國を樹立しようとした。元を正せば、日清日露戦争で、日本が望外の大勝利をおさめ、日本中が舞い上がって「日本は凄い国だ」と勘違いしたことが発端だった。

 高市は、日清日露戦争の戦勝提灯行列を復活させたいのだろうか?
 まあ、確かに中国共産党が日本列島を中国のものだと主張しているのは事実で、中国は着々と自分たちの支配権を拡大してきた現実に対して、自民党親中派、二階俊博、林芳正、河野太郎らが利権と引き換えに、中国共産党を日本に引き入れて便宜を図っているのは事実だ。

 私は、中国共産党が凄まじい拡大路線によって、自分たちの無限の権威と利権を手に入れてきたことが中国人の価値観を満たしていることを知っている。
 中国人の心を定めている儒教は、人間に序列をつけることが本質だ。文字通り、「上だけを向いて歩こうよ」人生観に支配されていて、どれだけ強奪したか、どれだけ支配したかが、どれだけ作ったかが人間の価値を定めると彼らは信じているのだ。
 だが、高市早苗が、それを真似する必要はないだろう。

 中国の17世紀帝国主義価値観を再現しているかのような侵略拡大主義に対抗して、日本の防衛力を強化し、中国に対抗したい気分はわからなくもないのだが、それでは、まるで戦国時代の陣取り合戦の再現にしかならない。
 我々は、人間が、どのような価値観をもって地球上で持続可能な社会を築いて行けるのかを、中国に対しても、世界中に対しても示さなければならない。

 高市の、戦力拡大、「強い日本=てっぺんに立つ日本」主義で、世界中の武力・戦力に拮抗できる日本を作るという発想が、果たして日本の未来、人類の未来を救えるのか?
 結局、高市の向かう方向は、差別拡大であり、核武装であり、原発大増設でしかない。地球人類を滅ぼす道でしかない。シルバーバーチが指摘した「宇宙で二番目に悪い星」を地でゆく思想にほかならない。

 仮に、高市早苗が、減税、底辺への積極財政を行って景気が回復したとしても、「てっぺんの日本」なんて目標に突っ走るなら、それは、日清日露戦争の戦勝がもたらした、「太平洋戦争における日本の破滅」を再現する結果しか生まない。
 本当に必要なことは、底辺の生活者に豊かな暮らしをもたらすことであり、社会の底辺における活性化であり、愚かな戦争を生まない、独裁政権を生まない、人間を大切にする思想性を共有することだ。

 それは、人が人を序列化し、差別する社会を廃棄し、誰もが平等で笑顔で生きて行ける社会を作るものだ。
 それは日本の底辺で生きる人々が、仲間の笑顔を見て人生を楽しめる社会であり、戦争をもたらす武力の拡大ではない。
 優越感を持つことではない。みんなを分け隔てなく愛せる社会なのだ。

 そんな、誰一人落ちこぼれ、疎外者を作らない日本社会を、高市早苗が実現できるとは、とうてい思えない。
 強い日本はいらない。てっぺんの日本もいらない。必要なものは、誰もが誰をも愛せる社会である。
 今のところ、そんな社会のビジョンを示しているのは、山本太郎だけだ。

 だが、これから原発が大増設され、若狭や伊方や川内、柏崎の原発が次々に巨大事故を起こしてゆく最悪の社会のなかで、我々が生き延びてゆける、持続可能が未来がどこにあるのか?
 EV、リニア、AI化社会は、巨大な電力を消費する。それは、そのまま地球を際限なく温暖化させる。
 世界を支配するダボス会議は、原発大増設だけを求めている。

 私の目に見える未来は、救いようのない放射能汚染の地球環境であり、そこには子どもたちの未来はなく、持続可能な未来も存在しない。
 高市早苗も、放射能汚染の旗手になるのだろうか?