潜在意識とは何か? それは「無意識」というカテゴリーにある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98

 私は、YouTubeの「運転レベル向上委員会」をよく視聴している。
  https://www.youtube.com/watch?v=LUnrxdoGz3U

 昨日発生した、水戸市の自動車教習所社長が3歳女児を横断歩道上で轢いて死なせた事件を見ていて、「無意識」の恐ろしさを痛感させられた。
 私には、事件の加害者が、安全を軽視していたというより、自分がそんな加害者になる運命を受け入れていたように見えた。
 事故は、事前に感じるものがあり、それを拒否しないで受け入れてしまう心があって、初めて起きると私は考えている。多くの場合は、傲慢さだ。

 私も、幼児どうしで自転車で競争していて土蔵の陰から道路に飛び出した子供(5歳)を仕事中のダンプで轢いてしまったことがある。もう30年くらい前のことで、幸い、私に過失がないということになり、不起訴で決着している。

 この事故は、私自身も深く傷ついた。やはり、ひどい鬱病になり、街頭で知人に出会っても相手を認識できないほど打ちのめされた。ときに、加害者のダメージは、被害者を上回るのだ。
 今回は、そのときのことを思い出して、あのときのとてつもない苦悩が蘇った。
 このことを後にネット上で書くと、嫌がらせ魔のような人物(やはり日蓮正宗系の傲慢な工作員だった)に、耐え難い悪意の誹謗中傷を受けた。

 それが収まった理由は、彼自身が、過失による交通死亡事故の加害者になったことだと聞いた。だいたい、他人を誹謗中傷するクセのある人物は、事故加害者になることが多い。これはカルマというものだろう。
 ついでに書くと、創価学会などの日蓮系宗派では、他人を上から目線で攻撃する習性(折伏)があり、傲慢な人物が多いのだが、そんな人は事故の有責加害者になりやすいことを知っておいたほうがいい。
 ちなみに、日蓮も地獄に堕ちていると江戸時代の霊界通信が残っている。他人を攻撃しない謙虚な人が事故の有責加害者になっている姿は、見たことがない。

 私は、自分が関わった事故を顧みて、事故の数十日前から、自分が事故に関わるであろう、かなり強烈な予感があったことを思い出した。そして、その予感を感じながら克服できなかったので、実際に事故になったと思った。
 私は不起訴にはなったが、事故の加害者であり、どうしてそれを止められなかったのかという後悔は、その後数十年も私を苦しめた。

 事故というのは、なにもない健全な日常が続いているときは起きない。何か、大きな問題に打ちのめされ、心の健全性が揺らいでいるときに起きるのだ。
 正常な日常のなかでは、脳機能も十分に働き、自分に起きる危機的な状況を予感し、安全確認しながら、それを回避できる。無意識のなかで事故のビジョンが見えるとき、安全運転を再確認することで、自分を制御できる。

 ところが、他人に対する傲慢さの習性がある人では、自分自身にも傲慢になってしまい、心の底に、これから起きる危機的な事態への警告的予感があっても、それを安易に無視して、これから自分に起きる事故を心が受け入れてしまうのだ。
 つまり、これから自分に起きる運命について、「そんなこと起きるはずがない」と決めつけ、それを避けるという意識が働かなくなってしまう。

 何が言いたいかというと、私の70年以上の人生経験を総括して、人生のトラブルには、大きな予感が働くのだが、私のように鬱病になっていたり、傲慢な行け行けどんどん主義になっていたりすると、これから起きる自分の運命を制御できなくなってしまう。
 もしも、人生と未来について謙虚であるなら、悪い予感があったとき、それを受け入れないようにする心のセキュリティを構築することができる。

 こんなことを言う人はほとんどいないので、自分の運命が予知できることを理解できる人は非常に少ないだろう。
 だが、私は「マジシャン新子君」の1%くらいの超能力を自覚しているので、これまで予知を何百回も経験している。
 それが強まったのが、30年以上前に「気功」を学んでからで、誰でも手のひらを向かい合わせて10センチくらい離したり近づけたりしているうちに、手が熱くなってきて、左手指がビローンと数センチも伸びてくる。

 これが「気が開いた」という状態で、さまざまな超能力が目覚めてくるのだ。
 安易にやりすぎると「偏差」という状態で、頭痛が止まらなくなったりするので、やりすぎは勧めない。
 私は、この方法で百人くらいの人の指や足を伸ばしてみせたことがある。また祖母や母を、気功で治療した実績がある。動かない関節を動かせるようにしたこともある。
 みんな驚愕するが、世界では結構知られていて、日本でも真光教団が普通にやっている。
 
 人には予知能力がある。これから自分に起きる事故のようなトラブルや、私自身が経験した警察とのトラブルは、事前に予知できていた。それは「不安な感情を事前に体感する」というものだった。
 これがあっても事前に解決できるわけではない。しかし直感が働き、私とトラブルになったA老人が、豊明事件の真犯人であるというインスピレーションが与えられた。また精神が十分に健全なら、いろいろな対策を行って、危機を回避できる可能性がある。残念なことに、私はひどい鬱病で、予感がありながら最悪の結果を招いた。

 私が、予知能力やテレパシーの体験を積み重ねるうちに、ある一つの仮説が浮かんだ。
 それは、人間が一定の集団で霊的につながっていて、意識の一部を共有しているというものだ。
 例えば、最近、たくさんの熊が、いっせいに人を襲うようになったのだが、これなどは意識の共有がなければ説明がつかない。つまり、熊という集団に「集合無意識」が成立していて、「100匹目の猿現象」が起きているということだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%8C%B9%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%8C%BF%E7%8F%BE%E8%B1%A1
 
 もちろん上のウィキ執筆者も、最初から「作り話」と嘲笑的だし、アカデミーも、評論家も頭から超能力や霊現象を否定する人が多いので、学校教育でもメディアでも決してとりあげないのだが、そもそも、集合無意識とテレパシーの存在がなければ、広い山のなかでクマの生殖など不可能に近いのだ。

 人間も同じで、人間関係の多くは、前世、過去生から持ち越されている。まったく赤の他人で、偶然出会ったように見えても、実は過去生について、大きな関係があった人が回りに集まってくる。
 ほとんどの人が知らないが、実は個人であっても、霊的につながりのある意識集団があり、それが意識されない「集合無意識」として行動(カルマ)を支配している。

 数年前まで私と付き合っていた女性は、実は平安時代に関係のあった人だった。多くの場合は、過去生でのオトシマエをつけるために、つまり積み残していたカルマを捨てるために、この人生で縁ができる。
 そんな深い縁のある人とつながりができる前にも、強い予感がある。それは事前に、幸福感を体験するのだ。それは、これから起きる人生の喜びを事前に示すものだ。
 だから、過去生に縁のなかった人と新しい人間関係を構築することも困難なのだ。それはカルマを消すために行われる邂逅なのだから。

 冒頭の自動車教習所社長の事故に戻るが、彼は、自分自身が不注意によって、無垢で罪なき少女の命を奪うという恐ろしい体験をさせられたわけだが、なぜそうなったかと考えると、日常生活のなかで、人の命を軽視し、心の優しさを司る拠り所を見失っていたということになる。自分に限って、不注意などおきるはずがないという傲慢さに囚われてしまっていた。
 まあ、彼の愛車、ランクルを見ただけで分かった。

 私は、70年以上の人生体験のなかで、集合無意識を共有するアイデンティティが、人生に対する価値観の共有であることを繰り返し思い知らされてきた。
 なかには、自民党保守勢力に共通する、他人を見下して、自分だけが蓄財や権力を得る志向を共有するアイデンティティもあるし、私の場合は、他人の幸せを願う、優しさを共有するアイデンティティ=集合無意識である。

 他人に対しての優しさを心根のアイデンティティにする集合無意識は、事故の加害者にはならない。未来にそんな運命が予感としてちらつくなら、全身全霊でそれを防ごうとする。
 だが、優しさを見失い、自分の利益を最優先させる集合無意識では、安全を保つよりも、自分が早く目的を達成(目的地に最短で着くためのスピードを求める)することを優先し、高級車にのって、他人を見下し、自分の優越性に酔うことを優先させる。

 おおむね、ベンツやレクサスの高級車に乗っている人は、そんな優越感に浸ることをアイデンティティとする集合無意識のなかにいる。
 だから、悪質な事故が多い。私は、運転レベル向上委員会の事故解析コンテンツを、いつもこの視点から見ている。
 他人を見下すこと、優越感を優先させれば、必ず安全性を犠牲にすることになると思うからだ。

 もちろん、15年前のアルトに乗っている私が、事故を起こさないと宣言するわけではない。事故というのは、心の隙間風から侵入してくる。私も隙間風だらけなので、何が起きるかわからない。
 でも、人に対する敬意と優しさを見失わなければ、もう二度と、あの苦しみを味わうこともないだろうと確信している。