私は「人間の身の丈」という言葉をよく使う。
人という動物に必要なものは、飯を食って、ウンコをして、食料を生産し、家を建てて、異性とエッチして子供を作り、育てる。
そして静かに物質的肉体を終わる。
これが「身の丈のすべて」であり、人生の全てであり、生きることのすべてだ。
江戸時代には、「立って半畳、寝て一畳、食べて四合(ニ合半)」と言った。
これが身の丈のすべてだ。
そこには、核開発もAIもITも存在しない。そんなものはオモチャにすぎない。
身の丈の人生に必要なものは、クワを持って土地を耕し、種を蒔いて食物を育て、木を切って家にし、エッチして子育てすることだけだ。
ところが、身の丈の生活が十分に豊かになると、次に、神社や寺を作ったり、権威を作り出したり、人と人とに序列をつけて優劣を競うようになる。
この優劣と序列という思想体系が、2500年前、孔子が生み出した「儒教」である。
儒教では、すべての存在に優劣の序列をつけた。
人間関係では、父は家族の最上位、母よりも、子よりもえらい。兄弟では兄がエライ。社会では族の長が偉く、藩主は父よりもなお偉い、という具合だ。
これは権力者にとって都合の良い思想だったので、儒教の向かうところ、こぞって領主、藩主に歓迎され、国家思想として重用されることになった。
日本でも、家康がひどく気に入って、儒教(朱子学)を国家思想として、全国民を洗脳することになった。
儒教の影響を強く受けて、独自の価値観を発展させたのが朝鮮半島で、今でも、北朝鮮と韓国の人々は、人間に序列をつけて、上位が下位を見下すということが人生の価値観となってしまっている人が多い。
そこには平等、対等という概念がなく、序列の上位に立って、他人を見下すことに人生をかけねばならない。
儒教を体系化したのが李朝だったので、李朝社会というのは、とてつもない序列社会になり、地位の順位がもっとも大切な価値となった。
そして、それは何よりも地位のメンツを重視する社会を生み出した。中国と朝鮮半島では、今でも序列をやかましく言い、序列の高いものが低いものを見下すということが人生の価値になっている。
現在李朝は消えたが、代わりに財閥企業体が、その序列主義を引き継いでいる。
そこでは、論理的正当性や真実性など、地位と序列の前では何の意味も持たない。上位がシロと決めればシロ、クロと決めればクロの世界である。
財閥系企業では、たった今も、正義や真実、結果よりも地位やメンツの方がはるかに大きな意味を持っている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3576098
韓国が、世界一の学歴社会といわれる理由は、民衆が未だに儒教の序列主義にがんじがらめに縛られ、学歴や格式で序列を定める価値観が蔓延しているからである。
韓国人が、日本人をやたらと下げたがる理由も、自分たちの方が序列が上と刷り込まれているからで、自分より下にいる日本人は、見下す対象でしかないと固く信じているからだ。
ところが、1910年ころ、当時の朝鮮=大韓帝国から、日本による朝鮮併合を契機に、実に300万人もの人々が日本に移住してしまい、大半が戦後も帰還せずに、日本に居着いてしまった。
みんな「他人を見下す」朝鮮半島の価値観のなかで生きてゆくことを嫌い、人に優しい日本で生活することを選んだのだ。
だが、朝鮮式の序列価値観を持った人たちが、日本社会に与えた影響も大きかった。
日本人は、それほど上昇志向は強くなかったのだが、300万人の朝鮮式見下し価値観が戦後日本社会のなかで温存され、日本人全体の上昇志向に大きな影響を与えている。
移住朝鮮人の多かった地域では、やはり学歴主義や優越主義が蔓延している。
それは朝鮮移住者の少なかった裏日本地域と、多かった太平洋産業ベルト地帯を比較してみれば、分かることだ。
「他人を見下す」という序列志向、優越志向の儒教価値観が、何をもたらしたかというと、他人を見下せる地位や権力、蓄財、つまり「てっぺんに向かって必死に駆け上がる」人々をたくさん生んだ。
そうした人々にとっては、自分たちが世間から評価され、メンツが立つことが何よりも大切な価値であって、底辺で生きる人々の幸せなど興味が持てなくなる。
身の丈に合わせて生きてゆけば満足という価値観は嘲笑され、軽視されるようになった。立って半畳、寝て一畳では満足できず、他人から羨まれる生活を望むようになった。
車は一台あれば足りる、テレビは一台しか見られない、ベッドは一人しか寝られない、寝室は一つあれば足りる。家は1軒あれば足りるのに、何十台もの高級車を所有しなければ満足できず、何十部屋の家を欲し、何十台のテレビを所有したがり、複数の妻を独占したがるようになった。
つまり、身の丈を超えた、他人を見下すためのライフスタイルを望むようになった。
自分が特別な高貴者として扱われなければ納得しない人々が現れた。
そんな身の丈を超えた特別扱いを求める人たちが、普通の生活をしていては他人を見下せないために、特別な収入を得られる、特別な尊敬を得られる事業を好むようになった。
それが、超絶的人殺し兵器の開発であったり、原子力発電、核融合発電であったり、AIやITの開発により、人々をびっくりさせるような技術をひけらかすようになった。
それは、穏やかな生活の必然性から生まれたものではなく、他人をひれ伏させ、見下すための特別な技術だった。
何度も書くが、人間の身の丈というものは、メシを作って、食べて、ウンコして、寝て、エッチして、子育てをするものであって、それ以上のものではない。
だから原子力、核開発やAIやITなど、身の丈のなかの、どこにも必要性などない。それは、他人を超越し、ひれ伏させることを望む、特権だけを求めて開発されるものだ。
他人の幸福を求めて、科学技術を開発した人などいないだろう。それは自分の栄光と蓄財だけに貢献するものだからだ。
人間は、身の丈がすべて、人間を超えることなどできない。また、超える必要もない。AIやITに夢中になることより、畑を耕せる腕力や、原因と結果を見抜くための自然観察力の方が、はるかに大切であり、核開発が人間の幸せに貢献したことなど、ただの一度もない。
それらは、人間の不幸な未来を作り出すものでしかない。
今、「AIが人を救う」と信じている人はいないと思うが、「AIが人間を支配するようになる」と予想している人はたくさんいる。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d384deef0c869cdef78fcc1544314144732abecf
上の記事を見ていて、慶応大学教授の上山信一なる人の意見を見ていて、思わず笑ってしまった。彼は、AI社会にとてつもない憧れを持っているようだが、AIの本質的な脆弱性に気づいていない点で、まるで戦前の大日本帝国礼賛、提灯行列みたいだと思った。
彼は、100年に一回は地球に届く予定のX100級、太陽風バーストのことを知らないのだろう。
日本は、定期的に大震災に遭い続けている宿命の国だが、東北大震災の百万倍の被害を地球にもたらす、黒点バーストという自然現象を知っていれば、核開発やAI開発が、どれほど虚しく愚かなものかを理解できるはずなのだが…。
それは上空300KmでEMP爆弾が爆発したときの被害に匹敵するのだが、巨大な磁場によって、あらゆる金属にサージ電流が乗ることを意味している。
それは金属ネット遮蔽とアースで防げるような代物ではなく、IC基盤の超極細回路を完全に破壊する。マイコンからスパコンまで、すべてのコンピュータを一瞬で破壊するばかりか、コイルというコイルに巨大な電圧をかけて断線させる。
地球社会は、X100バーストで、一瞬にして明治時代に還るといってよい。
AIもITもお笑いの不燃物ゴミの山でしかない。
https://gendai.media/articles/-/133530?page=1
私は30年以上前からアマチュア無線をやっていたから、黒点フレアによるデリンジャー現象やオーロラ現象を何度も経験していて、そのとてつもない恐ろしさを理解していた。今でも、パソコンの誤作動やWi-Fiのブロッキング(電磁波干渉)を地震予知に利用している。
だから「AIが人間を支配する」と大真面目に主張する人を見るとお笑い芸人のようにしか見えない。
それは、巨大フレアバースト対策が本質的に存在しないことを知っているからだ。
米軍もEMP対策のため、兵器のIC回路を守る方法を模索してきたが、フレアが出たとき、あらゆる外部回線を遮断し、超高性能の電磁波シールドに収める以外に手段がないのだ。
だが、それでも、たぶん、完全な防御やシールドは不可能だ。
パソコンの電源を切っても、外部に出ているあらゆる金属からサージ電流が侵入する。極細ICのCPUや記憶装置など数秒で断線してしまう。それも数百箇所でだ。
結局、生身の人間と金属が残るから、人々は、明治時代のライフスタイルに戻るしかないのだ。
そこではコンピュータやコイル機器は、車も含めてゴミでしかないので、大切なものは、生身の人間の知恵と筋肉労働で畑を耕して食料を生産するしかないのだ。
すべての制御機器がダメージを受けて復旧困難になる。それは100年に一回は間違いなくやってくるのだ。
だから、AIや核開発がどれほど無意味なものか知っておくべきだが、それ以前に、原子力発電所の制御装置が破壊されて、核暴走を始め、地球全体が莫大な放射能で汚染される現実を知るべきだ。
それが、人類の終わりを意味する。人間は死滅する可能性が強い。しかし、爬虫類や虫たちは生き残るだろう。地球生態系の終わりではない。
人類が自滅するだけのことだ。
人という動物に必要なものは、飯を食って、ウンコをして、食料を生産し、家を建てて、異性とエッチして子供を作り、育てる。
そして静かに物質的肉体を終わる。
これが「身の丈のすべて」であり、人生の全てであり、生きることのすべてだ。
江戸時代には、「立って半畳、寝て一畳、食べて四合(ニ合半)」と言った。
これが身の丈のすべてだ。
そこには、核開発もAIもITも存在しない。そんなものはオモチャにすぎない。
身の丈の人生に必要なものは、クワを持って土地を耕し、種を蒔いて食物を育て、木を切って家にし、エッチして子育てすることだけだ。
ところが、身の丈の生活が十分に豊かになると、次に、神社や寺を作ったり、権威を作り出したり、人と人とに序列をつけて優劣を競うようになる。
この優劣と序列という思想体系が、2500年前、孔子が生み出した「儒教」である。
儒教では、すべての存在に優劣の序列をつけた。
人間関係では、父は家族の最上位、母よりも、子よりもえらい。兄弟では兄がエライ。社会では族の長が偉く、藩主は父よりもなお偉い、という具合だ。
これは権力者にとって都合の良い思想だったので、儒教の向かうところ、こぞって領主、藩主に歓迎され、国家思想として重用されることになった。
日本でも、家康がひどく気に入って、儒教(朱子学)を国家思想として、全国民を洗脳することになった。
儒教の影響を強く受けて、独自の価値観を発展させたのが朝鮮半島で、今でも、北朝鮮と韓国の人々は、人間に序列をつけて、上位が下位を見下すということが人生の価値観となってしまっている人が多い。
そこには平等、対等という概念がなく、序列の上位に立って、他人を見下すことに人生をかけねばならない。
儒教を体系化したのが李朝だったので、李朝社会というのは、とてつもない序列社会になり、地位の順位がもっとも大切な価値となった。
そして、それは何よりも地位のメンツを重視する社会を生み出した。中国と朝鮮半島では、今でも序列をやかましく言い、序列の高いものが低いものを見下すということが人生の価値になっている。
現在李朝は消えたが、代わりに財閥企業体が、その序列主義を引き継いでいる。
そこでは、論理的正当性や真実性など、地位と序列の前では何の意味も持たない。上位がシロと決めればシロ、クロと決めればクロの世界である。
財閥系企業では、たった今も、正義や真実、結果よりも地位やメンツの方がはるかに大きな意味を持っている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3576098
韓国が、世界一の学歴社会といわれる理由は、民衆が未だに儒教の序列主義にがんじがらめに縛られ、学歴や格式で序列を定める価値観が蔓延しているからである。
韓国人が、日本人をやたらと下げたがる理由も、自分たちの方が序列が上と刷り込まれているからで、自分より下にいる日本人は、見下す対象でしかないと固く信じているからだ。
ところが、1910年ころ、当時の朝鮮=大韓帝国から、日本による朝鮮併合を契機に、実に300万人もの人々が日本に移住してしまい、大半が戦後も帰還せずに、日本に居着いてしまった。
みんな「他人を見下す」朝鮮半島の価値観のなかで生きてゆくことを嫌い、人に優しい日本で生活することを選んだのだ。
だが、朝鮮式の序列価値観を持った人たちが、日本社会に与えた影響も大きかった。
日本人は、それほど上昇志向は強くなかったのだが、300万人の朝鮮式見下し価値観が戦後日本社会のなかで温存され、日本人全体の上昇志向に大きな影響を与えている。
移住朝鮮人の多かった地域では、やはり学歴主義や優越主義が蔓延している。
それは朝鮮移住者の少なかった裏日本地域と、多かった太平洋産業ベルト地帯を比較してみれば、分かることだ。
「他人を見下す」という序列志向、優越志向の儒教価値観が、何をもたらしたかというと、他人を見下せる地位や権力、蓄財、つまり「てっぺんに向かって必死に駆け上がる」人々をたくさん生んだ。
そうした人々にとっては、自分たちが世間から評価され、メンツが立つことが何よりも大切な価値であって、底辺で生きる人々の幸せなど興味が持てなくなる。
身の丈に合わせて生きてゆけば満足という価値観は嘲笑され、軽視されるようになった。立って半畳、寝て一畳では満足できず、他人から羨まれる生活を望むようになった。
車は一台あれば足りる、テレビは一台しか見られない、ベッドは一人しか寝られない、寝室は一つあれば足りる。家は1軒あれば足りるのに、何十台もの高級車を所有しなければ満足できず、何十部屋の家を欲し、何十台のテレビを所有したがり、複数の妻を独占したがるようになった。
つまり、身の丈を超えた、他人を見下すためのライフスタイルを望むようになった。
自分が特別な高貴者として扱われなければ納得しない人々が現れた。
そんな身の丈を超えた特別扱いを求める人たちが、普通の生活をしていては他人を見下せないために、特別な収入を得られる、特別な尊敬を得られる事業を好むようになった。
それが、超絶的人殺し兵器の開発であったり、原子力発電、核融合発電であったり、AIやITの開発により、人々をびっくりさせるような技術をひけらかすようになった。
それは、穏やかな生活の必然性から生まれたものではなく、他人をひれ伏させ、見下すための特別な技術だった。
何度も書くが、人間の身の丈というものは、メシを作って、食べて、ウンコして、寝て、エッチして、子育てをするものであって、それ以上のものではない。
だから原子力、核開発やAIやITなど、身の丈のなかの、どこにも必要性などない。それは、他人を超越し、ひれ伏させることを望む、特権だけを求めて開発されるものだ。
他人の幸福を求めて、科学技術を開発した人などいないだろう。それは自分の栄光と蓄財だけに貢献するものだからだ。
人間は、身の丈がすべて、人間を超えることなどできない。また、超える必要もない。AIやITに夢中になることより、畑を耕せる腕力や、原因と結果を見抜くための自然観察力の方が、はるかに大切であり、核開発が人間の幸せに貢献したことなど、ただの一度もない。
それらは、人間の不幸な未来を作り出すものでしかない。
今、「AIが人を救う」と信じている人はいないと思うが、「AIが人間を支配するようになる」と予想している人はたくさんいる。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d384deef0c869cdef78fcc1544314144732abecf
上の記事を見ていて、慶応大学教授の上山信一なる人の意見を見ていて、思わず笑ってしまった。彼は、AI社会にとてつもない憧れを持っているようだが、AIの本質的な脆弱性に気づいていない点で、まるで戦前の大日本帝国礼賛、提灯行列みたいだと思った。
彼は、100年に一回は地球に届く予定のX100級、太陽風バーストのことを知らないのだろう。
日本は、定期的に大震災に遭い続けている宿命の国だが、東北大震災の百万倍の被害を地球にもたらす、黒点バーストという自然現象を知っていれば、核開発やAI開発が、どれほど虚しく愚かなものかを理解できるはずなのだが…。
それは上空300KmでEMP爆弾が爆発したときの被害に匹敵するのだが、巨大な磁場によって、あらゆる金属にサージ電流が乗ることを意味している。
それは金属ネット遮蔽とアースで防げるような代物ではなく、IC基盤の超極細回路を完全に破壊する。マイコンからスパコンまで、すべてのコンピュータを一瞬で破壊するばかりか、コイルというコイルに巨大な電圧をかけて断線させる。
地球社会は、X100バーストで、一瞬にして明治時代に還るといってよい。
AIもITもお笑いの不燃物ゴミの山でしかない。
https://gendai.media/articles/-/133530?page=1
私は30年以上前からアマチュア無線をやっていたから、黒点フレアによるデリンジャー現象やオーロラ現象を何度も経験していて、そのとてつもない恐ろしさを理解していた。今でも、パソコンの誤作動やWi-Fiのブロッキング(電磁波干渉)を地震予知に利用している。
だから「AIが人間を支配する」と大真面目に主張する人を見るとお笑い芸人のようにしか見えない。
それは、巨大フレアバースト対策が本質的に存在しないことを知っているからだ。
米軍もEMP対策のため、兵器のIC回路を守る方法を模索してきたが、フレアが出たとき、あらゆる外部回線を遮断し、超高性能の電磁波シールドに収める以外に手段がないのだ。
だが、それでも、たぶん、完全な防御やシールドは不可能だ。
パソコンの電源を切っても、外部に出ているあらゆる金属からサージ電流が侵入する。極細ICのCPUや記憶装置など数秒で断線してしまう。それも数百箇所でだ。
結局、生身の人間と金属が残るから、人々は、明治時代のライフスタイルに戻るしかないのだ。
そこではコンピュータやコイル機器は、車も含めてゴミでしかないので、大切なものは、生身の人間の知恵と筋肉労働で畑を耕して食料を生産するしかないのだ。
すべての制御機器がダメージを受けて復旧困難になる。それは100年に一回は間違いなくやってくるのだ。
だから、AIや核開発がどれほど無意味なものか知っておくべきだが、それ以前に、原子力発電所の制御装置が破壊されて、核暴走を始め、地球全体が莫大な放射能で汚染される現実を知るべきだ。
それが、人類の終わりを意味する。人間は死滅する可能性が強い。しかし、爬虫類や虫たちは生き残るだろう。地球生態系の終わりではない。
人類が自滅するだけのことだ。

コメント
”チーム未来”について「また別の意味でヤバい政党」と書いた理由の一つに、この政党が「AI・IT至上主義」政党であるという事があります。
この政党はできたばかりですが、先の選挙でもそれなりの票を獲得し、今後も議席を増やす可能性が高く、要注意だと私は思っています。
<根本良輔@nemoto_ryosuke2
軍産複合体は戦争を望む。政治家はそれを利用して票を得る。庶民は物価高と増税で苦しみ、最後に戦場に行かされる。高市、参政党、維新、国民民主が進める「改憲」は、この地獄の扉を開く鍵だ。戦争は遠い話じゃない。今、私たちの足元で始まっている。
戦争が始まると軍需産業は笑いが止まらない。アメリカの武器企業トップ5だけで年間77兆円超の契約。戦争が続けば続くほど儲かる。けれど戦場に行くのは金持ちじゃない。貧しい若者だ。血と涙で誰かの株価が上がる。そんな仕組みを「国防」と呼ぶ国は、もう病んでる。
アメリカは日本を戦争で焼き尽くし、原爆まで落とした。その後は憲法から外交まで縛り、経済やメディアにまで影響力を行使してきた。同じ手口をアジア、中東、南米で繰り返す。これが世界の現実だ。なぜ日本人は中国だけを危険だと思い込まされているのか?
戦後の日本は、銃ではなく検察で支配された。
特捜部はアメリカの意向を実行する“司法の兵隊”。
独立を志す者には容赦なく牙をむく。
アメリカの支配構造を壊そうとした者たちが、
次々と“疑惑”で消されていったのはその証拠。
表の主権者は国民。
裏の主権者はアメリカだ。
アメリカに逆らった政治家が消えるのは偶然ではない。
特捜部が動く時、それは“対米独立”の芽を摘む合図だ。
日本の政治家が何を恐れているか?
国民ではなく、アメリカと特捜部。
この国は見た目だけ民主主義、
中身は占領の延長線上にある。
ヤマトユダヤ友好協会という団体は、イスラエルが落とす爆弾に「バンザイ」と祝詞を書くようなカルト的組織。その理事を神谷が務めていた過去を知っている支持者はどんな気持ちなんだ?それでも「日本を守る」と信じられるのか?方向はむしろ戦争に向かっている。>
川森じゅんじ れいわ新選組勝手連帯広チームさんが挙げてくれました。↓
<川森じゅんじ れいわ新選組勝手連帯広チーム@UXtKuy3SI6izsvK
本日の山本太郎の国会質疑。
山本太郎議員による原子力防災と屋内退避計画の実効性に関する石原環境大臣への質疑
(参議院・環境委員会 2025/12/02)
【Topix】
山本太郎:あのデタラメやめてくださいってことを言っているんですよ。指針もデタラメでしょって、今説明したじゃないですか?
しかも、避難計画自体がインチキなんですよ。
人々を守れる計画になっていないということ
それに対して『石破』さんはそういうものであるならば、これは見直しが必要だと答弁したということ。
そこから何か変わったのですか?今日までの間に何も変わっていません。
嘘に嘘を重ねただけです。
このインチキに対して、あなた自身が新しい『総理大臣』に対して、これは『避難計画』の見直しが必要です。
もう1回 これをやっていくんだ。やり直すんだってことを言わなきゃ。命を守るという言葉は嘘になりますよ。
『命を守る』って言葉を撤回するんですか?
それともやるんですか?総理に言ってくれるんですか?どっちですか?
石原環境大臣:人の命と環境を守るというのは、しっかりと取り組んでまいります。
山本太郎:全くここには何も答えてない。
自分で手を挙げたんだから、ちゃんと真摯に向き合ってください。この質問は続けますからね、追及も続けます。
(ここで一旦切ります。)
【要約】
本文章は、山本太郎(れいわ新選組)議員が、石原環境大臣(原子力防災担当大臣を兼任)に対し、原子力発電所事故時の避難計画、特に屋内退避計画の実効性について厳しく追及した質疑応答の要約です。
1. 担当大臣としての姿勢の確認
石原大臣が自ら希望して環境大臣に就任し、「人の命と環境を守る」との抱負に嘘はないこと、そして原子力防災に関わる使命感があることを確認しました。
2. 屋内退避計画の実効性への追及
問題の提起: 原発から5km〜30km圏内の住民に求められる「屋内退避」について、能登半島地震での大規模な家屋損壊や道路寸断の教訓を踏まえ、非現実的であると指摘しました。
能登半島地震では、当該地域の全住宅の約54.5%が被害を受け、屋内退避が困難な状況が浮き彫りになりました。
検討チーム設立の背景の曖昧さ:
政府が能登半島地震の直後に「原子力災害時の屋内退避の運用に関する検討チーム」を立ち上げた理由について、山本議員は能登半島地震の教訓を受けて改善するためと指摘しましたが、大臣や事務方はこれを明確に認めず、「複合災害時の運用を改善するため」などと曖昧な回答に終始しました。
(ここで一旦切ります。)
3. 裏会議(情報共有連絡会)の存在と内容
政府の姿勢: 山本議員は、検討チーム設置の翌日に「情報共有連絡会」という裏会議が開催され、この裏会議で政府が「避難計画の中身は変えない」「能登半島地震を踏まえた計画変更はしない」と結論づけていたことを情報公開請求に基づき暴露しました。
表向きは1年かけて議論するとしながら、裏で結論を決めていた政府の姿勢は、能登半島地震の教訓を無視・軽視するものとして厳しく批判されました。
山本議員は、議論の透明性を確保するため、すべての議事録と音声記録の公開を要求しましたが、大臣は「避難計画の協議や検討を行うための会議ではない」として事実関係を否定しました。
4. 改定された指針の非現実性
物資支援の不確実性: 改定された原子力災害対策指針では、屋内退避の期間を「物資支援を前提に3日間を目安」とし、その後も継続することを前提としています。
山本議員は、能登半島地震の事例を挙げ、3日後に届く物資は圧倒的に不足しており、物資支援を前提とした屋内退避は非現実的だと批判しました。
民間事業者の活動の前提: 指針が「住民等の生活を支える民間事業者等の活動は屋内退避という防護措置の一部をなす」とし、コンビニやガソリンスタンドなどが営業継続することが必要だと整理している点を追及しました。
山本議員は、放射線量が基準値の10倍を超える状況で、民間企業に営業継続を求める法的義務はないにも関わらず、政府が自治体と企業の協定に丸投げしている姿勢を「むちゃくちゃだ」と批判しました。
(ここで一旦切ります。)
5. 結論と要求
山本議員は、これらの問題点を踏まえ、石破総理(当時)の答弁(実効性のない避難計画は了承を取り消す)を引き合いに出し、石原大臣に対し、避難計画をゼロから見直すよう総理に提言することを求めました。
石原大臣は、「人の命と環境を守ることにしっかり取り組む」としつつも、避難計画の見直しについては「不断の点検や見直しを行い、継続的に体制の充実強化に取り組む」と述べるにとどまり、明確な言質を避けました。>
前の一連の投稿の元の環境委員会の山本太郎の質疑の動画です。↓
https://www.youtube.com/watch?v=NHjY2cGtV1I
人々は、自分の見たいものしか見ない
信じたいものしか信じない
それでは何を見たいのか? 何を信じたいのか?
自分の生活が破綻せずにすむ体制を願うということだろう
既存の秩序が間違っていても、上司がシロといえばシロ、クロといえばクロ
と納得していれば、うまくゆく
ただ、それは戦後秩序を前提としたものであり、すでに戦後でなく、現在は大半が新自由主義に洗脳された新しい秩序に馴致されている
見たいもの、信じたいものが変化してゆくわけだ
見たいもの、信じたいものが変化してゆくわけだ>
本当にそのとおりになってきています。
この国では新自由主義と高市的なもの(儒教カルトの思想)とが合体した、まさに「新自由主義の儒教カルト化」が進行しているのです。
多数派の人々の「見たいもの、信じたいもの」が、この「新自由主義の儒教カルト化した社会」であるとは、なんて悍ましい事か!と思います。
日本人は日本人らしい価値観を忘れてしまったのでしょうか。。
日本人を日本人たらしめているのは
因果応報思想にあり、「肉体は空蝉であり、魂こそが自分である」という信仰が根底に流れているところにあります。
日本人にとって、この世はあくまでも仮の世であり、魂の本来の棲家は霊の世界にあります。その宗教観では人間も動物も肉体に宿っている魂です。
(だから「肉体から魂が抜け出して誰かに影響を与える生霊という概念」もあるわけです。)
「袖触れ合うも他生の縁」という言葉はまさにこの因果応報を的確に言い表すもので、この国の人々は「思いやり」や「助け合い」の文化を形成してきました。
こうした宗教観は「鎌倉仏教の聖たちが全国行脚して民衆に広めた日本独自の宗教思想」であり、この国の人々の魂の根底に流れている「日本人らしさの源」でもあると思われます。
誤解を恐れずに言えば、
(たとえ国籍が日本であろうと、遺伝的には先祖代々からの日本人であろうと)
「儒教的価値観に染まった人たちはもはや日本人とは言えない」と私は思うのです。
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