私は「人間の身の丈」という言葉をよく使う。
 人という動物に必要なものは、飯を食って、ウンコをして、食料を生産し、家を建てて、異性とエッチして子供を作り、育てる。
 そして静かに物質的肉体を終わる。
 これが「身の丈のすべて」であり、人生の全てであり、生きることのすべてだ。

 江戸時代には、「立って半畳、寝て一畳、食べて四合(ニ合半)」と言った。
 これが身の丈のすべてだ。
 そこには、核開発もAIもITも存在しない。そんなものはオモチャにすぎない。

 身の丈の人生に必要なものは、クワを持って土地を耕し、種を蒔いて食物を育て、木を切って家にし、エッチして子育てすることだけだ。
 ところが、身の丈の生活が十分に豊かになると、次に、神社や寺を作ったり、権威を作り出したり、人と人とに序列をつけて優劣を競うようになる。

 この優劣と序列という思想体系が、2500年前、孔子が生み出した「儒教」である。
儒教では、すべての存在に優劣の序列をつけた。
 人間関係では、父は家族の最上位、母よりも、子よりもえらい。兄弟では兄がエライ。社会では族の長が偉く、藩主は父よりもなお偉い、という具合だ。

 これは権力者にとって都合の良い思想だったので、儒教の向かうところ、こぞって領主、藩主に歓迎され、国家思想として重用されることになった。
 日本でも、家康がひどく気に入って、儒教(朱子学)を国家思想として、全国民を洗脳することになった。

 儒教の影響を強く受けて、独自の価値観を発展させたのが朝鮮半島で、今でも、北朝鮮と韓国の人々は、人間に序列をつけて、上位が下位を見下すということが人生の価値観となってしまっている人が多い。
 そこには平等、対等という概念がなく、序列の上位に立って、他人を見下すことに人生をかけねばならない。

 儒教を体系化したのが李朝だったので、李朝社会というのは、とてつもない序列社会になり、地位の順位がもっとも大切な価値となった。
 そして、それは何よりも地位のメンツを重視する社会を生み出した。中国と朝鮮半島では、今でも序列をやかましく言い、序列の高いものが低いものを見下すということが人生の価値になっている。

 現在李朝は消えたが、代わりに財閥企業体が、その序列主義を引き継いでいる。
 そこでは、論理的正当性や真実性など、地位と序列の前では何の意味も持たない。上位がシロと決めればシロ、クロと決めればクロの世界である。
 財閥系企業では、たった今も、正義や真実、結果よりも地位やメンツの方がはるかに大きな意味を持っている。
  https://www.afpbb.com/articles/-/3576098

 韓国が、世界一の学歴社会といわれる理由は、民衆が未だに儒教の序列主義にがんじがらめに縛られ、学歴や格式で序列を定める価値観が蔓延しているからである。
 韓国人が、日本人をやたらと下げたがる理由も、自分たちの方が序列が上と刷り込まれているからで、自分より下にいる日本人は、見下す対象でしかないと固く信じているからだ。

 ところが、1910年ころ、当時の朝鮮=大韓帝国から、日本による朝鮮併合を契機に、実に300万人もの人々が日本に移住してしまい、大半が戦後も帰還せずに、日本に居着いてしまった。
 みんな「他人を見下す」朝鮮半島の価値観のなかで生きてゆくことを嫌い、人に優しい日本で生活することを選んだのだ。

 だが、朝鮮式の序列価値観を持った人たちが、日本社会に与えた影響も大きかった。
 日本人は、それほど上昇志向は強くなかったのだが、300万人の朝鮮式見下し価値観が戦後日本社会のなかで温存され、日本人全体の上昇志向に大きな影響を与えている。
 移住朝鮮人の多かった地域では、やはり学歴主義や優越主義が蔓延している。
 それは朝鮮移住者の少なかった裏日本地域と、多かった太平洋産業ベルト地帯を比較してみれば、分かることだ。

 「他人を見下す」という序列志向、優越志向の儒教価値観が、何をもたらしたかというと、他人を見下せる地位や権力、蓄財、つまり「てっぺんに向かって必死に駆け上がる」人々をたくさん生んだ。

 そうした人々にとっては、自分たちが世間から評価され、メンツが立つことが何よりも大切な価値であって、底辺で生きる人々の幸せなど興味が持てなくなる。
 身の丈に合わせて生きてゆけば満足という価値観は嘲笑され、軽視されるようになった。立って半畳、寝て一畳では満足できず、他人から羨まれる生活を望むようになった。

 車は一台あれば足りる、テレビは一台しか見られない、ベッドは一人しか寝られない、寝室は一つあれば足りる。家は1軒あれば足りるのに、何十台もの高級車を所有しなければ満足できず、何十部屋の家を欲し、何十台のテレビを所有したがり、複数の妻を独占したがるようになった。
 つまり、身の丈を超えた、他人を見下すためのライフスタイルを望むようになった。
 自分が特別な高貴者として扱われなければ納得しない人々が現れた。

 そんな身の丈を超えた特別扱いを求める人たちが、普通の生活をしていては他人を見下せないために、特別な収入を得られる、特別な尊敬を得られる事業を好むようになった。
 それが、超絶的人殺し兵器の開発であったり、原子力発電、核融合発電であったり、AIやITの開発により、人々をびっくりさせるような技術をひけらかすようになった。
 それは、穏やかな生活の必然性から生まれたものではなく、他人をひれ伏させ、見下すための特別な技術だった。

 何度も書くが、人間の身の丈というものは、メシを作って、食べて、ウンコして、寝て、エッチして、子育てをするものであって、それ以上のものではない。
 だから原子力、核開発やAIやITなど、身の丈のなかの、どこにも必要性などない。それは、他人を超越し、ひれ伏させることを望む、特権だけを求めて開発されるものだ。
 他人の幸福を求めて、科学技術を開発した人などいないだろう。それは自分の栄光と蓄財だけに貢献するものだからだ。

 人間は、身の丈がすべて、人間を超えることなどできない。また、超える必要もない。AIやITに夢中になることより、畑を耕せる腕力や、原因と結果を見抜くための自然観察力の方が、はるかに大切であり、核開発が人間の幸せに貢献したことなど、ただの一度もない。
 それらは、人間の不幸な未来を作り出すものでしかない。
 
 今、「AIが人を救う」と信じている人はいないと思うが、「AIが人間を支配するようになる」と予想している人はたくさんいる。
 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d384deef0c869cdef78fcc1544314144732abecf

 上の記事を見ていて、慶応大学教授の上山信一なる人の意見を見ていて、思わず笑ってしまった。彼は、AI社会にとてつもない憧れを持っているようだが、AIの本質的な脆弱性に気づいていない点で、まるで戦前の大日本帝国礼賛、提灯行列みたいだと思った。

 彼は、100年に一回は地球に届く予定のX100級、太陽風バーストのことを知らないのだろう。
 日本は、定期的に大震災に遭い続けている宿命の国だが、東北大震災の百万倍の被害を地球にもたらす、黒点バーストという自然現象を知っていれば、核開発やAI開発が、どれほど虚しく愚かなものかを理解できるはずなのだが…。

 それは上空300KmでEMP爆弾が爆発したときの被害に匹敵するのだが、巨大な磁場によって、あらゆる金属にサージ電流が乗ることを意味している。
 それは金属ネット遮蔽とアースで防げるような代物ではなく、IC基盤の超極細回路を完全に破壊する。マイコンからスパコンまで、すべてのコンピュータを一瞬で破壊するばかりか、コイルというコイルに巨大な電圧をかけて断線させる。

 地球社会は、X100バーストで、一瞬にして明治時代に還るといってよい。
 AIもITもお笑いの不燃物ゴミの山でしかない。
  https://gendai.media/articles/-/133530?page=1
  私は30年以上前からアマチュア無線をやっていたから、黒点フレアによるデリンジャー現象やオーロラ現象を何度も経験していて、そのとてつもない恐ろしさを理解していた。今でも、パソコンの誤作動やWi-Fiのブロッキング(電磁波干渉)を地震予知に利用している。

 だから「AIが人間を支配する」と大真面目に主張する人を見るとお笑い芸人のようにしか見えない。
 それは、巨大フレアバースト対策が本質的に存在しないことを知っているからだ。
 米軍もEMP対策のため、兵器のIC回路を守る方法を模索してきたが、フレアが出たとき、あらゆる外部回線を遮断し、超高性能の電磁波シールドに収める以外に手段がないのだ。
 だが、それでも、たぶん、完全な防御やシールドは不可能だ。

 パソコンの電源を切っても、外部に出ているあらゆる金属からサージ電流が侵入する。極細ICのCPUや記憶装置など数秒で断線してしまう。それも数百箇所でだ。
 結局、生身の人間と金属が残るから、人々は、明治時代のライフスタイルに戻るしかないのだ。

 そこではコンピュータやコイル機器は、車も含めてゴミでしかないので、大切なものは、生身の人間の知恵と筋肉労働で畑を耕して食料を生産するしかないのだ。
 すべての制御機器がダメージを受けて復旧困難になる。それは100年に一回は間違いなくやってくるのだ。

 だから、AIや核開発がどれほど無意味なものか知っておくべきだが、それ以前に、原子力発電所の制御装置が破壊されて、核暴走を始め、地球全体が莫大な放射能で汚染される現実を知るべきだ。
 それが、人類の終わりを意味する。人間は死滅する可能性が強い。しかし、爬虫類や虫たちは生き残るだろう。地球生態系の終わりではない。
 人類が自滅するだけのことだ。