すでにランドマークについて何回か書いている。
ランドマーク 2022年09月24日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5970044.html
続 ランドマーク 2022年09月27日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5971012.html
ランドマークについて、しつこく書いている理由は、それが人間の行動を定める様式であり、ランドマークなしには人間は何もできないことが分かるからだ。
こんなことを書いているものは、私以外にはたぶんないと思う。私の文章はオリジナリティにあふれているが、なにせ肩書のような権威が伴わないため、社会からは軽視・無視されっぱなしだ。
若い頃は、小説家になることに憧れていたときもあったのだが、私の目指したのは変態エロ小説だった。私は、人が恥ずかしくて隠そうとするものを暴くのが好きだった。「人間の真実は、本当はエグいんだよ」と言いたかったのだ。
だから、70歳をすぎても、世間から相手にされることはない。
私は若い頃から、宮本常一や柳田國男の民俗学に夢中になっていた。そこには、人間の包み隠さない真実があったからだ。メンツや世間体に配慮するようでは民俗学は成立しない。みんなが驚くような真実を暴露してナンボという学問なのだ。
とりわけ、私が憧れたのが、宮本常一の「土佐源氏」だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%BA%90%E6%B0%8F
このなかに、橋の下に住む老人が、若い頃、馬喰をしながら土地の名士の妻と関係を持っていた事実が語られ、あまりの面白さに、完全に近代文学を超えていると感動したものだ。それはドギュメンタリーだったからだ。
名士の妻が、馬喰に惹かれた理由は、とてつもない優しさだった…。
今回、私は人が道程を示す指標として選ぶランドマークについて書こうとしているのだが、もしかしたら、長い道のりの指標だけでなく、人生についても指標としてのランドマークがあると考えていて、少し書いてみたい。
かなり多くの人たち、とりわけ地位や権威のある「家」という概念の名誉に固執する人たちにとっては、人生のランドマークといえば、まずは学歴、そして所属組織であり、その地位である。人によっては、住んでいる地域とか、家の外観とか、所有する車なんかもそうだろう。
少なくとも、戦前までの日本では、人のランドマークといえば、学歴や地位、家の外観などだった。
それは、朝鮮半島から出た船が、日本に向かい、対馬・隠岐の島を目印に出雲日御碕に上陸し、さもなくば、まっすぐ西に向かって、右手の大山を目印に進み、やがてどこよりも明瞭な東尋坊を見つけ、九頭竜川を遡行して福井県に上陸した行程は、歴史記録よりも、ランドマークの方が確実に真実を示しているので、一人の人生の道程についても、同じようなランドマークが、たくさんの人達の、同じような人生を定めていると考えることができる。
地方の名士の子弟は、社会的地位を示すランドマークに沿って定められた人生を歩いた。それは各地の一高、帝大というマークだ。
それは、儒教における序列、地位という価値観を信奉する人々に共通するもので、こんな文化は、土着のものではなく、騎馬民族集団が、日本列島に移住してきて以来、上位の権力集団に浸透したものだ。
地位・序列の上下関係を強いる儒教価値観は、人間から優しさを奪い、人を見下すことばかり考える人間を生み出してしまう。だから、土佐源氏に登場する名士の妻が、初めて馬喰の優しさに触れて、体を委ねた心情が手に取るように分かる。
人間の序列という虚構価値観のなかで、女性を蔑む「名士」たちは、見下している相手の本当の価値になど気づこうとしない。
日本の権力社会では、いまだに、こうした儒教的価値観が「上を向いてだけ歩こう」とする人々の心を縛り付けている。
今、私は70年以上の人生体験の累積から、人の持っている、あるいは自慢しているモノを見ただけで、その持ち主の価値観、思想を類推することができる。
たとえば、ベンツやレクサスなんかを運転している人、グッチのカバンを抱えている人、高級衣類や靴を身に着けている人なんか、私には特別のランドマークを背負っているように見える。
他人を睥睨して、自分が金持ちや特権階級であることを自慢するようなランドマークの持ち主は、人間としての優しさを見失っている人である。
例えば、本当に心優しい、大谷翔平君の妻の真美子さんなんか、超大金持ちになっても、シマムラの数千円のグッズを愛用している。
自分の使うモノが高い価値を持っていることを見せたがる人は、心の狭い、独善的な人だということは瞬時に分かる。
彼らは、ホームレスや行き倒れた人を嘲笑することはあっても、助けることなどない。議員になりたがる人は、上昇志向の強い朝鮮渡来民の子孫であることが多いが、市長になると公用車にセンチュリーを購入させたり、高級品を身に着けたりして、弱者救済よりも、自分の給与待遇を上げることしか考えない。
この点、私が絶対に自分を飾らない「エライ様」(市長)として感心したのは、河村たかし元名古屋市長で、彼は市長公用車としてダイハツタントを採用した。もしかしたら泉房穂氏も同じかも知れない。
市長公用車が軽自動車というのは、ものすごいランドマークだ。
まあ、その議員が、本当に民衆の味方かどうかというのは、公用車や着ている服を見れば一目瞭然だ。河村さんは、記者会見でも高級品は身に着けない。
ただ、民社党に加盟したり、南京大虐殺を否定したり、日本保守党に入ったりと、ちょっと右寄りに洗脳されすぎている印象はあるが、彼が弱者の味方であることはホンモノだと思う。
願わくば、再び名古屋市長に復帰し、死ぬまで勤めてもらいたい。私は、河村さんと直接の接点があったので、彼を人間として信頼している。
私は、徳川時代の尾張で、藩主を務めた宗春を思い出している。宗春は吉宗と対立して追放された。当時の徳川諸藩で唯一、民衆芸能を振興し、町人文化と消費を開花させた。そして、尾張藩は全国で最高の景気に涌いた。
節約主義の吉宗は、これが許せず宗春を弾圧したが、吉宗は、家康の定めた四公六民租税を五公五民に変えたことで、ちょうど自民党が消費税を導入したときのように、全国の経済は沈滞し、全国に百姓一揆が巻き起こった。
今、「名君」などと粉飾されているが、実態は吉宗こそ、徳川歴代最悪の暴君であり愚君であった。本当に名君にふさわしいのは、宗春だったのだ。
徳川家は、吉宗を将軍に選んだことで衰退の道を辿った。同じ意味で、米沢藩の上杉鷹山の業績も再考が必要かもしれない。
かといって、私は贅を尽くした消費暴走をするべきだとは言っていない。底辺の民衆の消費というものが、実は社会経済の基礎になると言っている。
国家や社会を繁栄させたいなら、底辺の経済力と消費を増やすことで全体の需要を向上させるのが経済学の基本中の基本なのだ。
高市早苗は、結局、底辺の経済力には感心がなく、困っている人にカネをばら撒いて自民党の支持を上げるかのような愚行に走っている。
一時的なプレゼント、バラマキで需要と消費基盤が向上するはずがない。ばら撒いたカネは貯蓄にしか回らない。
民衆は、構造的な所得向上がないかぎり、消費と需要を増やすことはありえない。
経済学者を自称しているのに、ケインズ経済学の基礎も理解できないのか?
本当にやるべきは、減税であり、消費税撤廃である。河村たかしが優れていたのは、名古屋市市民税を5%減税することで、10%の景気上昇による増収を獲得した。次に10%の減税を準備している。まさに宗春経済の再現だったのだ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD256XE0V20C25A9000000/
こうなると、必ず経済に無知蒙昧の政治家が、財源不足とか新たな税収とか言い出すのだが、河村減税の意味は、減税が、そのまま増収につながることだった。
徳川吉宗は、宗春を弾圧し、五公五民政策を行うことによって、逆に税収を激減ささせたのだ。吉宗以降、氷のような江戸幕府経済の縮小が始まってしまった。
今の財務省もまったく同じで、消費増税が景気に冷水を浴びせたことで税収の何倍もの減収をもたらしたのだ。
私も、20年ほど前まで、「借りたものは返さなければならない」と思い込み、財政の本質に対する無知に騙されていた。
しかし財政というものの本質は、人々が新しい価値を生み出す「信用創造」にあったのだ。これについては、いずれ、まとめて解説する。
今回は、「ランドマーク」という主題で、政治家が身につけているもの、乗っている車を見れば、何が起きているのか容易に分かることを書くつもりだった。
自分が贅沢をしたいという欲求のある人は、必ず高級品を身に着け、高級車に乗り、豪邸に住みたがり、美人妻を持ちたがる。
これは本質的、劣等感のランドマークである。劣等感があるから他人を見下して、威張りたくて仕方ないのだ。
劣等感を持たない人なら、真美子さんのようにシマムラあたりのグッズで決めている。数百万円もするような衣類は、絶対に身に着けない。
本当に必要なものにしか支出しない。
だが、劣等感の強い政治家は、必ずといっていいほど、自分の事績を残すため、箱物を作りたがる。これも政治家の人間性にかかわるランドマークといえる。
まあ、河村たかしも、木造名古屋城という超高価で巨大な箱物を残そうとしているようなので、あまり褒められたものではない。
それは、彼の家が尾張藩の宗春に仕えた重臣だったことと関係があるかもしれない。
木造名古屋城は、名古屋市の木造建築文化にとって、ものすごいランドマークであるとともに、宮大工の技量と組織を残すのに巨大なイベントとなっている。
もしかしたら名古屋経済に見えないが巨大な貢献をしてくれているかもしれない。
これは、「自分が作らせた」と威張るためのランドマークとは違うような気もする。
ちなみに、私の親族も、宮大工の一族なので、河村ビジョンに大賛成している。
「ランドマーク」という主題で書こうとしたが、とりとめのない内容になってしまった。ただ、人を見るうえで、その人の風体、持ち物、家や家族が、その人の人生を判断するランドマークになることを書きたかった。
ランドマーク 2022年09月24日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5970044.html
続 ランドマーク 2022年09月27日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5971012.html
ランドマークについて、しつこく書いている理由は、それが人間の行動を定める様式であり、ランドマークなしには人間は何もできないことが分かるからだ。
こんなことを書いているものは、私以外にはたぶんないと思う。私の文章はオリジナリティにあふれているが、なにせ肩書のような権威が伴わないため、社会からは軽視・無視されっぱなしだ。
若い頃は、小説家になることに憧れていたときもあったのだが、私の目指したのは変態エロ小説だった。私は、人が恥ずかしくて隠そうとするものを暴くのが好きだった。「人間の真実は、本当はエグいんだよ」と言いたかったのだ。
だから、70歳をすぎても、世間から相手にされることはない。
私は若い頃から、宮本常一や柳田國男の民俗学に夢中になっていた。そこには、人間の包み隠さない真実があったからだ。メンツや世間体に配慮するようでは民俗学は成立しない。みんなが驚くような真実を暴露してナンボという学問なのだ。
とりわけ、私が憧れたのが、宮本常一の「土佐源氏」だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%BA%90%E6%B0%8F
このなかに、橋の下に住む老人が、若い頃、馬喰をしながら土地の名士の妻と関係を持っていた事実が語られ、あまりの面白さに、完全に近代文学を超えていると感動したものだ。それはドギュメンタリーだったからだ。
名士の妻が、馬喰に惹かれた理由は、とてつもない優しさだった…。
今回、私は人が道程を示す指標として選ぶランドマークについて書こうとしているのだが、もしかしたら、長い道のりの指標だけでなく、人生についても指標としてのランドマークがあると考えていて、少し書いてみたい。
かなり多くの人たち、とりわけ地位や権威のある「家」という概念の名誉に固執する人たちにとっては、人生のランドマークといえば、まずは学歴、そして所属組織であり、その地位である。人によっては、住んでいる地域とか、家の外観とか、所有する車なんかもそうだろう。
少なくとも、戦前までの日本では、人のランドマークといえば、学歴や地位、家の外観などだった。
それは、朝鮮半島から出た船が、日本に向かい、対馬・隠岐の島を目印に出雲日御碕に上陸し、さもなくば、まっすぐ西に向かって、右手の大山を目印に進み、やがてどこよりも明瞭な東尋坊を見つけ、九頭竜川を遡行して福井県に上陸した行程は、歴史記録よりも、ランドマークの方が確実に真実を示しているので、一人の人生の道程についても、同じようなランドマークが、たくさんの人達の、同じような人生を定めていると考えることができる。
地方の名士の子弟は、社会的地位を示すランドマークに沿って定められた人生を歩いた。それは各地の一高、帝大というマークだ。
それは、儒教における序列、地位という価値観を信奉する人々に共通するもので、こんな文化は、土着のものではなく、騎馬民族集団が、日本列島に移住してきて以来、上位の権力集団に浸透したものだ。
地位・序列の上下関係を強いる儒教価値観は、人間から優しさを奪い、人を見下すことばかり考える人間を生み出してしまう。だから、土佐源氏に登場する名士の妻が、初めて馬喰の優しさに触れて、体を委ねた心情が手に取るように分かる。
人間の序列という虚構価値観のなかで、女性を蔑む「名士」たちは、見下している相手の本当の価値になど気づこうとしない。
日本の権力社会では、いまだに、こうした儒教的価値観が「上を向いてだけ歩こう」とする人々の心を縛り付けている。
今、私は70年以上の人生体験の累積から、人の持っている、あるいは自慢しているモノを見ただけで、その持ち主の価値観、思想を類推することができる。
たとえば、ベンツやレクサスなんかを運転している人、グッチのカバンを抱えている人、高級衣類や靴を身に着けている人なんか、私には特別のランドマークを背負っているように見える。
他人を睥睨して、自分が金持ちや特権階級であることを自慢するようなランドマークの持ち主は、人間としての優しさを見失っている人である。
例えば、本当に心優しい、大谷翔平君の妻の真美子さんなんか、超大金持ちになっても、シマムラの数千円のグッズを愛用している。
自分の使うモノが高い価値を持っていることを見せたがる人は、心の狭い、独善的な人だということは瞬時に分かる。
彼らは、ホームレスや行き倒れた人を嘲笑することはあっても、助けることなどない。議員になりたがる人は、上昇志向の強い朝鮮渡来民の子孫であることが多いが、市長になると公用車にセンチュリーを購入させたり、高級品を身に着けたりして、弱者救済よりも、自分の給与待遇を上げることしか考えない。
この点、私が絶対に自分を飾らない「エライ様」(市長)として感心したのは、河村たかし元名古屋市長で、彼は市長公用車としてダイハツタントを採用した。もしかしたら泉房穂氏も同じかも知れない。
市長公用車が軽自動車というのは、ものすごいランドマークだ。
まあ、その議員が、本当に民衆の味方かどうかというのは、公用車や着ている服を見れば一目瞭然だ。河村さんは、記者会見でも高級品は身に着けない。
ただ、民社党に加盟したり、南京大虐殺を否定したり、日本保守党に入ったりと、ちょっと右寄りに洗脳されすぎている印象はあるが、彼が弱者の味方であることはホンモノだと思う。
願わくば、再び名古屋市長に復帰し、死ぬまで勤めてもらいたい。私は、河村さんと直接の接点があったので、彼を人間として信頼している。
私は、徳川時代の尾張で、藩主を務めた宗春を思い出している。宗春は吉宗と対立して追放された。当時の徳川諸藩で唯一、民衆芸能を振興し、町人文化と消費を開花させた。そして、尾張藩は全国で最高の景気に涌いた。
節約主義の吉宗は、これが許せず宗春を弾圧したが、吉宗は、家康の定めた四公六民租税を五公五民に変えたことで、ちょうど自民党が消費税を導入したときのように、全国の経済は沈滞し、全国に百姓一揆が巻き起こった。
今、「名君」などと粉飾されているが、実態は吉宗こそ、徳川歴代最悪の暴君であり愚君であった。本当に名君にふさわしいのは、宗春だったのだ。
徳川家は、吉宗を将軍に選んだことで衰退の道を辿った。同じ意味で、米沢藩の上杉鷹山の業績も再考が必要かもしれない。
かといって、私は贅を尽くした消費暴走をするべきだとは言っていない。底辺の民衆の消費というものが、実は社会経済の基礎になると言っている。
国家や社会を繁栄させたいなら、底辺の経済力と消費を増やすことで全体の需要を向上させるのが経済学の基本中の基本なのだ。
高市早苗は、結局、底辺の経済力には感心がなく、困っている人にカネをばら撒いて自民党の支持を上げるかのような愚行に走っている。
一時的なプレゼント、バラマキで需要と消費基盤が向上するはずがない。ばら撒いたカネは貯蓄にしか回らない。
民衆は、構造的な所得向上がないかぎり、消費と需要を増やすことはありえない。
経済学者を自称しているのに、ケインズ経済学の基礎も理解できないのか?
本当にやるべきは、減税であり、消費税撤廃である。河村たかしが優れていたのは、名古屋市市民税を5%減税することで、10%の景気上昇による増収を獲得した。次に10%の減税を準備している。まさに宗春経済の再現だったのだ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD256XE0V20C25A9000000/
こうなると、必ず経済に無知蒙昧の政治家が、財源不足とか新たな税収とか言い出すのだが、河村減税の意味は、減税が、そのまま増収につながることだった。
徳川吉宗は、宗春を弾圧し、五公五民政策を行うことによって、逆に税収を激減ささせたのだ。吉宗以降、氷のような江戸幕府経済の縮小が始まってしまった。
今の財務省もまったく同じで、消費増税が景気に冷水を浴びせたことで税収の何倍もの減収をもたらしたのだ。
私も、20年ほど前まで、「借りたものは返さなければならない」と思い込み、財政の本質に対する無知に騙されていた。
しかし財政というものの本質は、人々が新しい価値を生み出す「信用創造」にあったのだ。これについては、いずれ、まとめて解説する。
今回は、「ランドマーク」という主題で、政治家が身につけているもの、乗っている車を見れば、何が起きているのか容易に分かることを書くつもりだった。
自分が贅沢をしたいという欲求のある人は、必ず高級品を身に着け、高級車に乗り、豪邸に住みたがり、美人妻を持ちたがる。
これは本質的、劣等感のランドマークである。劣等感があるから他人を見下して、威張りたくて仕方ないのだ。
劣等感を持たない人なら、真美子さんのようにシマムラあたりのグッズで決めている。数百万円もするような衣類は、絶対に身に着けない。
本当に必要なものにしか支出しない。
だが、劣等感の強い政治家は、必ずといっていいほど、自分の事績を残すため、箱物を作りたがる。これも政治家の人間性にかかわるランドマークといえる。
まあ、河村たかしも、木造名古屋城という超高価で巨大な箱物を残そうとしているようなので、あまり褒められたものではない。
それは、彼の家が尾張藩の宗春に仕えた重臣だったことと関係があるかもしれない。
木造名古屋城は、名古屋市の木造建築文化にとって、ものすごいランドマークであるとともに、宮大工の技量と組織を残すのに巨大なイベントとなっている。
もしかしたら名古屋経済に見えないが巨大な貢献をしてくれているかもしれない。
これは、「自分が作らせた」と威張るためのランドマークとは違うような気もする。
ちなみに、私の親族も、宮大工の一族なので、河村ビジョンに大賛成している。
「ランドマーク」という主題で書こうとしたが、とりとめのない内容になってしまった。ただ、人を見るうえで、その人の風体、持ち物、家や家族が、その人の人生を判断するランドマークになることを書きたかった。

コメント
相変わらずの卓見・達見ですね。とても勉強になります。
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