新潟出身で、とてつもなく優しく、他人を傷つけることを嫌った母親は、逆に、傷ついても断固として戦い抜くということは教えてくれなかった。
 だから、私は、在日朝鮮韓国人社会だった名古屋市中村区の義務教育で、毎日のようにひどくいじめられた。
 それは、とても暴力的なもので、加害者は大門という赤線地帯に巣食う暴力団の子弟だった。

 私は、いじめられているうちに、かなりひどい鬱病を繰り返すようになった。
 当時、私に暴力をふるっていた者は、現在、暴力団員として無期懲役刑に服している者が二人もいる。
 後に、タクシー運転手として弘道会幹部を送迎するうち、たくさんの情報をもらった。

 なんで、わが中村区が在日社会になってしまったかというと、戦前、青年男子が大東亜共栄圏構想のため徴兵されて、企業の労働力が不足した。
 1910~1945年まで日本が併合していた当時の「大韓帝国=朝鮮国」の若者たちには「徴用義務」を課しても「徴兵義務」を課さなかった。
 それは兵士としての資質(出兵時、窃盗や強盗、残虐行為をする者が多く、統制が困難だった)を慮ってのことだった。

 当時の大韓帝国人口は約1300万人、そのうち実に300万人が日本に移住してきた。(公称210万人=JICA)
 併合によって国境の壁が消えたので、船で日本に上陸できれば、犯罪扱いされずに自由に移住することができるようになり、公式手続きのない移住者が大量にいた。
 当時の日本は、まだ未開拓地に移民を受け入れる余裕が十分にあった。
 表向き、半数が韓国に帰還したことになっていて、岸信介と槙枝元文(日教組委員長)による北朝鮮帰還事業では約10万人が帰還した。(30万人説もある)
 
 朝鮮儒教は、物凄い序列主義なので、とりわけ北朝鮮では51階級(出身成分)に区分され、日本からの帰還者は、奴隷扱いでしかなかった。帰還した10万人のうち、大半が財産を没収され、北収容所で死亡している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E8%BA%AB%E6%88%90%E5%88%86

 韓国も、李朝時代からの身分差別、序列思想が頑強に人々を支配していたので、とりわけ被差別者である女性たちは帰国を嫌がったので、帰還した者は少なかった。
 当時の戦後韓国では、強姦など犯罪のうちに入らなかった。また、トイレや風呂のない家も多く、路上排便の習慣が残り、清潔な日本を体験すれば帰還意欲は湧かなかった
 
 中村区には三菱重工岩塚工場があり、北区や港区とならんで、三菱重工軍需産業の中核をなしていた。そこに職があった。日本人青年が徴兵されていたので、朝鮮移住者は貴重な戦力だった。
 さらに、中村区には「大門赤線」という性産業の一大拠点があり、大量の在日者が働いた。それは私の学区(日吉)だったので、わが小学校には、赤線に従事する暴力団の子弟が入学していた。どれくらいかといえば、たぶん半数近くが在日子弟だった。

 在日者の特徴は、朝鮮儒教による序列差別思想を持ち込んでいたこと。つまり、すぐに人間の優劣、序列で格付けしたがった。今、韓国が世界一の学歴至上主義国である理由は、朝鮮儒教の序列主義で、韓国民が他人を見下すことを人生の目標にしているからだ。それは日本社会にも持ち込まれた。
 今、テレビ番組で、格付けをネタにしているものがあるが、たぶん、その発想は日本人のものではない。
 戦後は、正村竹一がパチンコ産業を勃興させて、遊戯界の王者となった。娘は同級生だった。大門の超一等地に正村会館があった。

 在日者は、日本社会で差別されていたので、まともな職業や一流企業には就職できず、土建・娯楽・飲食接待・赤線用心棒などの仕事に就くしかなかった。
 NTTの前身、電電公社なんか、半世紀前くらいまで壬申戸籍や日本部落名鑑を利用していた。後にgooブログに部落問題を書いたら、無断削除された上、プラットホームが廃止された。

 中村区に在日者が多かった理由は、三菱工場だけでなく、江戸時代から被差別地域だったからだ。それは尾張藩時代の風水「城の南西(裏鬼門=申未)に不浄を置く」という思想で、処刑場が設置され、動物の死体処理地に指定された。
 だから今でも、烏森~万場に、その種の施設の後裔がある。ここは今でも、土地がひどく安いので、貧乏な父が家を建てたのも、その跡地だった。
 霊能者は「呪われた土地」と言った。名古屋の未解放部落の半数がここにあった。

 まあ、「中村区で育った男子にろくな人間がいない」という噂もあるのだが、自分を省みると、「当たっている」としか思えない。
 でも、女性は、私の記憶では、同級生に優れた人格を持った人が多かった。こんなひどい差別社会では、女性が立派に育つ。朝鮮半島でも、女性がいわれのない差別を受ける宿命ゆえに、立派な女性が多いと思う。

 とりわけ、李朝に降嫁した梨本宮方子は、元々、裕仁の許婚だったのだが、岸信介の政治的思惑によって李朝に送り込まれたが、戦後、李承晩に資産を没収されながら、朝鮮戦争の孤児を引き取り、無私の献身的活動を行っていた素晴らしい女性である。
 彼女の回りには、人々の心の支えになる、本当の人格者女性が集まっていた。彼女らがいなかったなら、韓国の戦後復興はないといえるほどだ。

 私は、生涯にわたって、ひどい鬱病を繰り返すようになった。まあ簡単にいえば、精神異常者のようなものだ。私の場合はIQはひどく高かったのだが、鬱病のおかげで性格が曲がってしまい、想像力が強すぎることもあって、社会に順応することができなかった。
 私は、トラック運転手やタクシー運転手、鳶職もやった。おかげで、百名山登頂もクライミングの難度を感じなかった。エロ小説を書いたりもした。

 今でもクマ出没の多い山道を毎日のように歩いているが、笹薮に真っ黒な背中を見ても恐怖を感じずにすんでいる。カウンターアーソルトは必需品だが。
 私は、名古屋の殺伐とした在日社会を好きになれず、清浄さを感じる山の多い、中津川周辺で余生を終えたいと思っていた。
 そのチャンスが巡ってきたのは、50歳になる少し前のことだ。あるとき、祖母の故郷の黒川から帰宅するとき、突然、自分はここに住むというビジョンが現れた。

 それが2003年くらいのことだ。それから、あれよあれよという間に、話が進み、黒川の隣村である蛭川村に移住することになった。
 その後、近所に住むAという老人からひどい嫌がらせを受け、中津川警察から許しがたい人権侵害を受けたのだが、残念ながら鬱病障害もあって勝利することはできなかった。
 A老人は、今年9月に死んだが、たくさんの情報を集めているうちに、彼が豊明事件の主犯である確信を強めるばかりだった。たぶん、妻も関わっているだろう。

 今回は、その話は置いておく。
 私が蛭川に移住して、歴史を調べているうちに、驚愕の事実を見出した。
 私は、40年くらい前から静岡県遠州地区の京丸部落について調べていたのだが、そこに出てくる登場人物、シチュエーションとまったく同じものが、蛭川にあった。

 それぞれの山の物語 2 京丸山 2017年02月14日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828413.html

 簡単に書くと、南北朝時代、南朝後醍醐の子、宗良親王の第四子? 尹良親王(ゆきよし=これなが)が、井伊谷に拠点を構えた宗良の代理として、東濃~伊那一帯に勢力を伸ばしていた。
 1400年代の初期に、足利勢力によって天竜熊谷家付近で捕獲され、首を切り落とされたが、家臣が首級を保持し、京丸集落の上にあった高塚山に奉じ、それを守って京丸集落を開いたという伝説である。

 ところが、この尹良親王の首塚を意味する高塚山が、ずいぶんたくさんあるらしいのだ。京丸だけでなく、わが蛭川にも、隣村の、笠置にもあり、東濃、遠州一帯に散らばっているのだ。
 結局、南朝守護勢力のアイデンティティになっているようだ。
 後に調べたところ、蛭川では黒瀬街道という廃道があり、これが足利勢力に封じられた中山道(東山道)の抜け道として南朝支援に使われていたらしい。
  https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6207978.html

 この経路に、森蘭丸の金山城や明智光秀の明智城があるので、間違いなく光秀の通路だったにちがいない。
 この一帯の神社は、大半が八坂神社(祇園社)から派生したものだ。つまりユダヤ神社であり、杉原千畝を輩出した八百津町の纐纈一族も、ユダヤ人末裔と考えてもよい。だから、蛭川も中津川全域も八坂神社ばかりだ。
 誰も言っていないのだが、南朝はもしかしたら祇園社、ユダヤ神社と関係あるのかもしれない。

 私の住む蛭川地区は、大正時代から蛭川石というペグマタイト、花崗岩の採掘で繁盛していた。2000年ころから、中国が超安価な花崗岩を輸出するようになって、日本全国の石材産業が窒息させられてしまった。
 石ばかりは、日本の高度技術との差別化を図ることはできなかった。

 私が移住した2003年ころは、まだ最後の残り火があって、過疎の村なのに石材業者向けの宴会料亭がたくさんあった。今は、一つ残らず廃業した。
 人口も、4000人近くあったものが、現在では2500人近くしかいない。石材産業労働者は、瑞浪などの窯業に流れていった。

 かつて、ひどく儲かった時代があったことで、蛭川の人々の人間性に大きな影響を与えている。
 正直にいえば、ずいぶん人間性が冷たい人が多い。貧乏な村では、温かい人が多いが、金持ち村では、みんな冷たくなる。
 かつての、儲かった時代が忘れられず、今に満足できない人が多い。

 私が、蛭川に移住してから、暖かい人間性に触れた記憶はない。私が近所の農家に、コメの販売支援をしたときも、感謝の気持ちを受け取った記憶はない。私が勝手に趣味で支援していると思ったのだろう。みんなカネを稼ぐのに必死だった。
 近所に住むAの嫌がらせについても、「あの人が、そんなことをするとは思えない」と、私の言葉を誰も信用しなかった。みんな詐欺師に簡単に騙される人たちだった。
 そして、波風立たない生活をしたいと、ことなかれ主義を私に求めた。

 私は、暖かい、人を裏切らない人間性を求めるなら、貧乏村にゆかねばならないと確信した。金持ち村は人間性が悪い。蛭川のような元金持ちの零落村はもっと悪い。
 自動車修理を頼んだら、新品のブレーキをすり減った廃棄ブレーキに付け替えられ、ボルトも締めていなかった。
 近所の食品店に行ったら、不可解な理由で主人に排除された。残念ながら、蛭川で気分の良い思いをしたことはない。

 仕上げとして、隣人が泥棒であり、たぶん凶悪殺人犯だった。被害者の家族を復讐のため皆殺しにしたと私は確信している。
 これから、貧乏暮らしが数十年も続けば、きっと人間性が暖かくなるのだろう。

 今、リニア新幹線工事が、かなり進行しているが、私は、成功しうまくゆく要素がないと思っている。
 リニア岐阜県駅(美乃坂本駅)から蛭川まで一本道、車で10分くらいなのに、誰も蛭川に移住してこない。
 土地代も上がらない。不動産業者も様子を見ているだけだ。

 理由は、リニアの運営費、電気代が新幹線の4倍かかること。観光アトラクション以外、リニア運行のニーズが存在しないこと。リニア建設の本当の目的が、実は原発再稼働の理由付けであることを、みんな理解しはじめている。
 リニアは日本社会に必要ないのだ。それは原発と核兵器開発のために行われるのだ。

 私は、安全な自転車、歩行者インフラが絶対に必要だと思っているのだが、それを一切拒否し、こんな無謀で莫大な浪費を重ねている日本の政権が崩壊しないはずはないと確信している。日本もまた、中国崩壊の余波を受けて地獄に沈んでゆくのだろう。