https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AF%E8%8D%92%E9%87%8E%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%99

 『青年は荒野をめざす』は五木寛之が1967年に書いた小説。当時若い男性に人気のあった週刊『平凡パンチ』に、1967年3月から10月まで連載した青春小説。
 ザ・フォーク・クルセダーズが同名の楽曲(作詩:五木寛之)を歌っており、テレビ映画にもなっている。

 ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
 さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
  今 ウウーウウ 青春の河を越え
  青年は 青年は 荒野をめざす

 もうすぐ夜明けだ 出発の時が来た
 さらば故郷、想い出の山よ川よ
  今 ウウーウウ 朝焼けの丘を越え
  青年は 青年は 荒野をめざす

 みんなで行くんだ 苦しみを分け合って
さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ
  今 ウウーウウ 夕焼けの谷を越え
  青年は 青年は 荒野をめざす

 ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
  今 ウウーウウ 青春の河を越え
  青年は 青年は 荒野をめざす
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1967年て、どんな時代だっけ? 2026−1967=59年前
 オイラは中学生で、毎日、本多勝一のドギュメンタリー記事に夢中になってた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1967%E5%B9%B4

 1945年、日本は太平洋戦争に敗戦した。これを「終戦」と都合良く言い換えて報道する歪曲傾向は、たぶん1980年くらいからだと思う。
 日僑=(華僑の日本人版)である外国移民はすごかった。ブラジルでは、「太平洋戦争では負けなかった」と信じた人々が「勝ち組」というのを結成して、敗戦を認めた日本人を襲撃、数百名が虐殺された。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E3%81%A1%E7%B5%84

 彼らのような「勝ち組」が日本にもいて、「敗戦ではない…終戦だ」と報道に圧力をかけていたのだ。(後の日本会議の核心メンバーが多く、笹川良一と児玉誉士夫はいずれも朝鮮籍があった。電通の成田豊も韓国人ながら勝ち組だった。)

 私の記憶では、1959年、明仁氏と美智子さんの結婚式あたりから、まるで日清日露戦争戦勝提灯行列のような「勝ち組」の国家ナルシズムが復活したように見えた。
 かつての大日本帝国の栄華が忘れられない人たちが、再び日本社会の表通りを闊歩しはじめた。
 とはいっても、まだまだ日本社会に徴兵されて地獄を見てきた男たちが多かったから、あからさまな戦争賛美はなかった。

 私ごとだが、実父がインパール作戦から骨皮筋右衛門になって帰還したのだが、帰還後、戦争体験から強烈な反戦派になって、自ら国労愛知書記長や愛労評事務局長を歴任し、労働運動や反戦運動に取り組んだ。
 もっとも、戦前の立身出世価値観にも囚われていたので、愛人を作って母を裏切った。だから、私には会ったことのない異母兄弟がいるそうだ。
 どうりで、父親は家に帰らなかったわけだよな…。
 
 戦後労働運動、社会運動を牽引してきた総評と社会党が凋落を始めたのは、1960年、CIAの指揮と資金によって、西尾末広らが民社党を作り、社会党を内部崩壊させたこと。
 1994年、村山富市社会党連立政権が誕生し、「自衛隊合憲、日米安保堅持、原発容認、推進」を表明し、基幹政策を180度転換し、日本社会党は、完全に自民党に迎合、吸収された形になったことで、それまでの社会党岩盤支持層を完全に失った。
 1994年11月消費税率を3%から4%に引き上げ、さらに地方消費税1%を加える税制改革関連法が成立。大蔵省の言いなり政権が始まっている。

 もう一度、1967年に戻ると、この年、私が全身全霊で怒っていたアメリカによるベトナム侵略戦争は、テト攻勢もあり、ジョンソン政権の北爆が佳境に至っていた。
 私の敬愛する本多勝一が、ベトナムに1年間を過ごしたのも、この年だ。「戦場の村」を読みながら、私は、まだ高校生なのに全学連のベトナム反戦デモに参加し、機動隊から逃げ回っていた。まじめに学校に通い、社会の上位に抜け出すなんて価値観を嘲笑していたころだ。

 1967年当時、20歳だった人たちは、現在80歳前後だ。耄碌して認知症になってしまった人もたくさんいるだろう。
 かくいう私も、自分で書いたブログを1時間後に思い出せいないほどだ。でも、もうとっくに死を覚悟して受け入れる準備ができている人が多いから、命を捨てることにも、それほどの躊躇を感じない人が多いと思う。

 政治的なことを敬遠していた女性なんか、ジュリアナなんかで踊り狂った人も多いかもしれない。ほとんど裸に近い衣装で踊っていた彼女たちも、もう60~80歳の老婆なんだな。
 私は老人敷設で、ビージーズをかけて、みんなで裸になって踊り狂うなんて場面を想像すると歓喜に身が踊る。まず5歳は絶対に若返るぞ! 病気も飛んでいってしまうだろう。

 現在、80歳前後の人は、私の身近にもいるが、みんな自分の過去の人生を、整合した法則で総括できていないような気がする。自分は、何を価値とみなし、他人に対してどのような姿勢で生き、社会や他人に対して何をなしたのか?
 自分の人生を納得させる「満足」があったのか?
 まるで都会の河のウグイやフナのように、ただ流され、特別な価値も認められず、また認めようともせず、あるがままに、なすがままに漂っただけの人生ではなかったのか?

 いまある自分の人生の価値とは何なのか?
 1967年、我々の世代は、フォークルの歌う「青年は荒野を目指す」に、うっとりとし、未来にははてなき希望と人間解放の光があると信じたものだ。
 楽をしてはいけない。苦しみを克服するんだ。危険で苦痛に満ちた登山を経験するのだ。

 日本アルプスは、荒野を目指す青年たちで溢れていた。私も、100名山完登をめざし、90年頃に実現した。
 確かに私は荒野を目指した。厳冬のアルプス単独縦走も沢登りもクライミングもやった。
 だが、それだけだ。得たものはあるのか?
 少し、苦痛に強くなったかな…。肺線維症になっても、ひどい苦痛を我慢して、ノロノロと山を歩くことができたから、5年で死ぬところを10年以上生きていられる。
 だが、それだけだ…。 
 
 千日回峰行で得たものはあるのかと問われた酒井雄哉は、「なにもない」と答えた。行を行った今があるだけだ…と。
 荒野に向かっても、結果は、荒野を体験した今があるだけ。人から尊敬されることもないし、優越感を抱くこともない。異性からもてることもなかった。むしろ洗練さがなくなった分、逆に異性から嫌がられるようになっただけかもしれない。
 カネも貯まらなかった。ただ我慢強くなり、貧乏を苦にすることも減った程度だ。
 いつ野垂れ死にしても後悔しない強さはできたかもしれない。

 私には孤独な老後が待っていた。でも、それを苦痛と思わないですんでいるのは、荒野を歩いた賜物かもしれない。
 でもね、老人になってしまった今になっても、荒野が懐かしくてたまらない。誰も出会わずに何時間も歩き続けている自分が愛おしい。いいことなんか、何一つなかったのにね…。

 私の若い時代、父親の「末は博士か大臣か」という立身出世主義価値観が嫌でたまらず、学校や職場で評価されることなんか何の価値も見いだせなかった。
 ただベトナム反戦デモに出て、機動隊と対峙し、逃げ惑うことに興奮したんだ。
 1967年にベトナム反戦デモや、成田空港阻止デモに参加した世代は、今や80歳近い老人だ。彼らは反体制の荒野を歩いた。そして老いた。

 ほとんどの人たちは、自分の歩いた道を肯定的にも否定的にも評価できないだろう。
 だが荒野を歩き、体制ヨイショ人生の道を外れて生きてきたことで、価値観の多様性を身を持って思い知ったのではないだろうか?

 若者たちに、自分の歩いた荒野を歩けという人はいないだろう。確かにろくでもない結果しか得られていないから。
 多くの若者達は、もう荒野には向かわない。もっと楽な道が見えている。
 でも、私は、もう一度生まれ変わって、新しい人生を得られたなら、間違いなく、再び荒野に向かうにちがいない。
 私は、たぶん荒野の人生しか生きられないのだ。