朝鮮半島から日本に人が移住することには、長い歴史がある。
少なくとも、7000年以上前の縄文人たちは、朝鮮どころか、アメリカ大陸や遠く大西洋、欧州にまで向かった可能性がある。
シナイ半島・パレスチナの先住民が日本人と共通の遺伝子を持つモンゴロイドだった証拠がある。当時「セム族」と呼ばれた先住民は、モンゴロイドの黒髪・黒瞳を共有していて、「スファラディユダヤ人」と呼ばれている。モーゼもイエスも黒髪黒瞳のセム族であり、ユダヤの失われた十支族、祭祀を司るエフライム族だった。
https://remnant-p.com/nihonyudayadna.htm
まさか、縄文人が中東にまで出かけたの?
縄文人は地球上を自由にかけめぐる天体航法の技術があった。それは、今でもポリネシア・ミクロネシアに残されている。
当時の海はとてつもなく豊かで、有明海を100m歩けば数日分のイカや小魚を得ることができたと記録されたほどで、世界の海でも事情は同じだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
南北アメリカの先住民は、すべてモンゴロイドであり、そこには縄文文化が確認されている。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8899/
7300年前に、縄文人の数百万人もの可能性があった一大集落が存在した九州に、過去1万年で最大の鬼界カルデラ噴火が起きた。
当時の縄文集落は、四国、岡山付近までほぼ壊滅したが、石灰岩質の洞窟を探しても、縄文人の遺骨を発見できないことから、縄文人は壊滅的噴火を事前に察知し、大移動を行っていた可能性が大きい。
つまり、九州の縄文人たちは、世界中に逃げ出して、新しいテリトリーを築いたのだ。だから、南北アメリカの先住民も、船で逃げ出した縄文人である可能性が非常に強い。
彼らは、億単位の人口になるまで子孫を増やしたが、そこに欧州帝国主義がやってきた。それはAD1500年前後に起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%BE%81%E6%9C%8D
北米に欧州から、南米にスペイン・ポルトガルの軍事侵攻があったのは、まだ300~500年くらい前のことなのだが、7000年かけて繁栄した南北アメリカの子孫たちは、彼らによって人口の95%が殺戮されたといわれる。残りは混血させられた。
こうした移住と侵略の歴史は、人間が何をする性質を持っているのかを我々に教えてくれる。
人は戦い、そして移動するのだ。そこには法則がある。16世紀には、世界中で国取り合戦が繰り広げられ、大虐殺が普通に起きていた。日本も例外ではない。「戦国時代」と呼んでいる。
16~17世紀は「殺戮の世紀」である。実は13世紀にも似たような世界的殺戮があった。次に来るのは、20世紀初頭の第一次世界大戦だ。
もしかしたら人類史は、300年ごとに巨大な殺戮を伴う世界的な戦争の時代を迎える宿命なのかもしれない。
皆殺し戦争が起きると、人々は土地を捨てて逃げ出す法則がある。
今から2500年くらい前の中国も、戦争の時代で「春秋戦国時代」とラベルがつけられている。
このとき、長江下流の蘇州にあった呉と、浙江省にあった越という国が長い戦いを行った。これは「呉越戦争」と呼ばれて、呉越春秋・史記などに初めて本格的に記録された戦争になった。
結局、呉が敗北したのだが、当時の戦争の掟では、敗戦国民は「坑刑」に遭うことが多く、水郷地帯である呉の住民は、船に乗って越の影響の及ばぬ外国に逃げた。
行先は、台湾・山東半島・朝鮮南岸・済州島・九州・山陰などだった。
うち大規模な一段が、有明海に上陸して、邪馬台国のような弥生人国家を拓いたと考えられている。
これらの逃亡先に共通する呉国習俗の集団が「倭寇」である。
つまり、2500年前に九州に上陸し、弥生人国家を開闢した人々は、呉の末裔と考えるのが正当であり、郭沫若など中国史学会では常識的解釈になっている。
ただ、皇統2600年と唱えた平泉澄教授が、万世一系説を提唱し、日本国家に特別な妄想的価値を見出したい人たちが、弥生人移住者説を認めようとしない。
どこの国でも、自分たちが歴史法則とは無関係の特別にエライ存在だと思い込みたい人がいるもので、それはブラジルで敗戦を認めた仲間を皆殺しにした、「勝ち組」と同じようなものである。
弥生人と倭寇の分布で、考えなければいけないことは、船を使った移住者は、必ず沿岸部に居住し、その交易範囲が「国=邑」になるということだ。
古代にあっては、内陸世界は人間ではなく危険な猛獣たちの世界だった。だから、山側には熊や虎の侵入を防ぐバリアが作られた。
移動は沿岸航路であり、陸路は発達していなかった。ただ、船ではなく、馬やラクダを移動手段にしていた集団は、内陸路を整備した。
弥生人にとって、国とは「沿岸交易範囲」を意味するものだった。国境など確定できるはずがない。日本でも、各藩の国境を確定したのは測量学の普及した1800年頃である。
それに東日本震災級の地殻変動があると、基準点でさえ数メートルも移動するのが普通であることを知っておいた方がいい。それは地球が認めていないものだ。
日本には、朝鮮半島からたくさんの回数、移住者が訪れた。最初に記録されているのはAD300年あたり、満州族(女真)の国だった高句麗・夫余から南下した騎馬民族が百済国を作ったのだが、やがて強力な戦闘力を持つエベンキ族新羅との戦争に追われて、国ぐるみ日本列島に移住してきたことが日本書紀に記録されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
今の京都太秦周辺にある祇園神社、八坂神社あたりが、弓月=秦氏の拠点地域と考えられていて、移住者たちは、やがて東山道を使って東国に拡散していった。
福井県・岐阜県・京都府・滋賀県などの住民の先祖は、騎馬民族である弓月=秦氏の子孫が多いので、神社も八坂神社がもっとも多いことを私は調べて回ったことがある。そもそも、神社神道は、騎馬民族の持ち込んだ旧約聖書から来ているものだ。
朝鮮からの移住者は、奈良時代にも非常に多いのだが、秀吉の朝鮮出兵で、利休が高く評価した青磁などの窯業技術を日本に持ち帰るため、数万という陶工が日本に連行され、九州各地(有田・唐津・加世田など)また山口県の萩や田布施にも居住させられ、全国各地の窯業を指導したのも彼らだった。
大内萩藩・宋対馬藩などは、この縁で李朝と幕府に二重朝貢していたことが知られる。
最後は、いわずとしれた朝鮮併合である。このときJICAの調べで210万人の公式移住者が大韓帝国から日本にやってきた。
https://www.jica.go.jp/jica_ri/news/topics/2023/20230413_01.html
ただ、1910~1945年まで、日本と朝鮮の国境が消えていたので、密入国という犯罪が存在せず、非正規ルートで、多数の密入国者がいた。その数は50~100万人と噂されている。
また戦後、李承晩がジェノサイドを実行し、400万人の韓国人が虐殺されたとき、弾圧と虐殺を逃れて、数万人の人々が日本に密入国したといわれている。
行く先は同胞が多く住む関西地区で、愛隣センターの住民の多くがそんな人達だった。
朝鮮半島から日本に移動してくる場合、大半が漁船を利用する。航路もほぼ定まっている。それは沿岸航路であり、必ずランドマークの景色が見渡せる航路になる。

出港地は釜山や東海で、対馬や隠岐の島が中継地となり、山陰の北沖を東に向かって移動する。航路ランドマークは、松江周辺の湖沼地形、大山、そして東尋坊の岩場などだ。これは百済の時代から、今に至るまで変わっていない。
山陰の地形や山々が見える航海の目印として安心なルートなのだ。
上陸地としては、密入国者にとって、人家の少ない山深い地域が適していて、リアス式海岸であれば上陸が容易である。
古墳・奈良時代は、東尋坊が上陸ランドマークになり、九頭竜川を遡って一乗谷、三国湊が多く使われたように思える。
また出雲大社も、おそらく朝鮮移住者が拠点として整備したものだろう。独特の高い千木は、航海ランドマークとして使われたのではないだろうか?
戦前戦後の密入国では、若狭のリアス式海岸がもっとも合理的な上陸地であった。
ものすごく不便な地形であるため、古い居住者がほとんどいなかったので。上陸して住み着くには恵まれていた。
ちなみに関西電力が若狭に17基もの原子炉を設置した理由は、権利を主張しずらい密入国者が多かったこと。彼らは金の力で容易に移住させることができたこと。
まあ、福井県にはカネに汚い、故郷を平気で売り飛ばすような人物が多い。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/271749
福井県警は、パンティ泥棒の高木毅を立件せず、大飯町長への殺害指令を出した関電幹部も立件せず、関電に多数の天下りを送り込み、蜜月状態だ。
その福井に、高市早苗の息子が立候補するのだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b01c3ca9e8157b25d9326059cf4cf658c1b65dc3
私は、このニュースを見て、高市早苗の女真族人相と、福井県の女真族人相に強い共通点があること。朝鮮密航者の多い地域であること。福井県は、全国で一番社長が多く、カネに汚い県であることなどを思い返して、高市早苗のルーツに関して、いろいろ考えることがあった。
高市は統一教会の存亡をかけた全力支援によって、今回の衆院選を有利に進めることができる。原口新党も飛躍するだろう。立憲も公明も消える。維新も衰退する。
参政党は統一教会が作った政党であることがバレてしまう。国民も深い関係を持っていた。
報道がきちんと行われたなら、れいわは有利なのだが、れいわが低迷するようでは日本はオシマイだな…。
少なくとも、7000年以上前の縄文人たちは、朝鮮どころか、アメリカ大陸や遠く大西洋、欧州にまで向かった可能性がある。
シナイ半島・パレスチナの先住民が日本人と共通の遺伝子を持つモンゴロイドだった証拠がある。当時「セム族」と呼ばれた先住民は、モンゴロイドの黒髪・黒瞳を共有していて、「スファラディユダヤ人」と呼ばれている。モーゼもイエスも黒髪黒瞳のセム族であり、ユダヤの失われた十支族、祭祀を司るエフライム族だった。
https://remnant-p.com/nihonyudayadna.htm
まさか、縄文人が中東にまで出かけたの?
縄文人は地球上を自由にかけめぐる天体航法の技術があった。それは、今でもポリネシア・ミクロネシアに残されている。
当時の海はとてつもなく豊かで、有明海を100m歩けば数日分のイカや小魚を得ることができたと記録されたほどで、世界の海でも事情は同じだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
南北アメリカの先住民は、すべてモンゴロイドであり、そこには縄文文化が確認されている。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8899/
7300年前に、縄文人の数百万人もの可能性があった一大集落が存在した九州に、過去1万年で最大の鬼界カルデラ噴火が起きた。
当時の縄文集落は、四国、岡山付近までほぼ壊滅したが、石灰岩質の洞窟を探しても、縄文人の遺骨を発見できないことから、縄文人は壊滅的噴火を事前に察知し、大移動を行っていた可能性が大きい。
つまり、九州の縄文人たちは、世界中に逃げ出して、新しいテリトリーを築いたのだ。だから、南北アメリカの先住民も、船で逃げ出した縄文人である可能性が非常に強い。
彼らは、億単位の人口になるまで子孫を増やしたが、そこに欧州帝国主義がやってきた。それはAD1500年前後に起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%BE%81%E6%9C%8D
北米に欧州から、南米にスペイン・ポルトガルの軍事侵攻があったのは、まだ300~500年くらい前のことなのだが、7000年かけて繁栄した南北アメリカの子孫たちは、彼らによって人口の95%が殺戮されたといわれる。残りは混血させられた。
こうした移住と侵略の歴史は、人間が何をする性質を持っているのかを我々に教えてくれる。
人は戦い、そして移動するのだ。そこには法則がある。16世紀には、世界中で国取り合戦が繰り広げられ、大虐殺が普通に起きていた。日本も例外ではない。「戦国時代」と呼んでいる。
16~17世紀は「殺戮の世紀」である。実は13世紀にも似たような世界的殺戮があった。次に来るのは、20世紀初頭の第一次世界大戦だ。
もしかしたら人類史は、300年ごとに巨大な殺戮を伴う世界的な戦争の時代を迎える宿命なのかもしれない。
皆殺し戦争が起きると、人々は土地を捨てて逃げ出す法則がある。
今から2500年くらい前の中国も、戦争の時代で「春秋戦国時代」とラベルがつけられている。
このとき、長江下流の蘇州にあった呉と、浙江省にあった越という国が長い戦いを行った。これは「呉越戦争」と呼ばれて、呉越春秋・史記などに初めて本格的に記録された戦争になった。
結局、呉が敗北したのだが、当時の戦争の掟では、敗戦国民は「坑刑」に遭うことが多く、水郷地帯である呉の住民は、船に乗って越の影響の及ばぬ外国に逃げた。
行先は、台湾・山東半島・朝鮮南岸・済州島・九州・山陰などだった。
うち大規模な一段が、有明海に上陸して、邪馬台国のような弥生人国家を拓いたと考えられている。
これらの逃亡先に共通する呉国習俗の集団が「倭寇」である。
つまり、2500年前に九州に上陸し、弥生人国家を開闢した人々は、呉の末裔と考えるのが正当であり、郭沫若など中国史学会では常識的解釈になっている。
ただ、皇統2600年と唱えた平泉澄教授が、万世一系説を提唱し、日本国家に特別な妄想的価値を見出したい人たちが、弥生人移住者説を認めようとしない。
どこの国でも、自分たちが歴史法則とは無関係の特別にエライ存在だと思い込みたい人がいるもので、それはブラジルで敗戦を認めた仲間を皆殺しにした、「勝ち組」と同じようなものである。
弥生人と倭寇の分布で、考えなければいけないことは、船を使った移住者は、必ず沿岸部に居住し、その交易範囲が「国=邑」になるということだ。
古代にあっては、内陸世界は人間ではなく危険な猛獣たちの世界だった。だから、山側には熊や虎の侵入を防ぐバリアが作られた。
移動は沿岸航路であり、陸路は発達していなかった。ただ、船ではなく、馬やラクダを移動手段にしていた集団は、内陸路を整備した。
弥生人にとって、国とは「沿岸交易範囲」を意味するものだった。国境など確定できるはずがない。日本でも、各藩の国境を確定したのは測量学の普及した1800年頃である。
それに東日本震災級の地殻変動があると、基準点でさえ数メートルも移動するのが普通であることを知っておいた方がいい。それは地球が認めていないものだ。
日本には、朝鮮半島からたくさんの回数、移住者が訪れた。最初に記録されているのはAD300年あたり、満州族(女真)の国だった高句麗・夫余から南下した騎馬民族が百済国を作ったのだが、やがて強力な戦闘力を持つエベンキ族新羅との戦争に追われて、国ぐるみ日本列島に移住してきたことが日本書紀に記録されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
今の京都太秦周辺にある祇園神社、八坂神社あたりが、弓月=秦氏の拠点地域と考えられていて、移住者たちは、やがて東山道を使って東国に拡散していった。
福井県・岐阜県・京都府・滋賀県などの住民の先祖は、騎馬民族である弓月=秦氏の子孫が多いので、神社も八坂神社がもっとも多いことを私は調べて回ったことがある。そもそも、神社神道は、騎馬民族の持ち込んだ旧約聖書から来ているものだ。
朝鮮からの移住者は、奈良時代にも非常に多いのだが、秀吉の朝鮮出兵で、利休が高く評価した青磁などの窯業技術を日本に持ち帰るため、数万という陶工が日本に連行され、九州各地(有田・唐津・加世田など)また山口県の萩や田布施にも居住させられ、全国各地の窯業を指導したのも彼らだった。
大内萩藩・宋対馬藩などは、この縁で李朝と幕府に二重朝貢していたことが知られる。
最後は、いわずとしれた朝鮮併合である。このときJICAの調べで210万人の公式移住者が大韓帝国から日本にやってきた。
https://www.jica.go.jp/jica_ri/news/topics/2023/20230413_01.html
ただ、1910~1945年まで、日本と朝鮮の国境が消えていたので、密入国という犯罪が存在せず、非正規ルートで、多数の密入国者がいた。その数は50~100万人と噂されている。
また戦後、李承晩がジェノサイドを実行し、400万人の韓国人が虐殺されたとき、弾圧と虐殺を逃れて、数万人の人々が日本に密入国したといわれている。
行く先は同胞が多く住む関西地区で、愛隣センターの住民の多くがそんな人達だった。
朝鮮半島から日本に移動してくる場合、大半が漁船を利用する。航路もほぼ定まっている。それは沿岸航路であり、必ずランドマークの景色が見渡せる航路になる。

出港地は釜山や東海で、対馬や隠岐の島が中継地となり、山陰の北沖を東に向かって移動する。航路ランドマークは、松江周辺の湖沼地形、大山、そして東尋坊の岩場などだ。これは百済の時代から、今に至るまで変わっていない。
山陰の地形や山々が見える航海の目印として安心なルートなのだ。
上陸地としては、密入国者にとって、人家の少ない山深い地域が適していて、リアス式海岸であれば上陸が容易である。
古墳・奈良時代は、東尋坊が上陸ランドマークになり、九頭竜川を遡って一乗谷、三国湊が多く使われたように思える。
また出雲大社も、おそらく朝鮮移住者が拠点として整備したものだろう。独特の高い千木は、航海ランドマークとして使われたのではないだろうか?
戦前戦後の密入国では、若狭のリアス式海岸がもっとも合理的な上陸地であった。
ものすごく不便な地形であるため、古い居住者がほとんどいなかったので。上陸して住み着くには恵まれていた。
ちなみに関西電力が若狭に17基もの原子炉を設置した理由は、権利を主張しずらい密入国者が多かったこと。彼らは金の力で容易に移住させることができたこと。
まあ、福井県にはカネに汚い、故郷を平気で売り飛ばすような人物が多い。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/271749
福井県警は、パンティ泥棒の高木毅を立件せず、大飯町長への殺害指令を出した関電幹部も立件せず、関電に多数の天下りを送り込み、蜜月状態だ。
その福井に、高市早苗の息子が立候補するのだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b01c3ca9e8157b25d9326059cf4cf658c1b65dc3
私は、このニュースを見て、高市早苗の女真族人相と、福井県の女真族人相に強い共通点があること。朝鮮密航者の多い地域であること。福井県は、全国で一番社長が多く、カネに汚い県であることなどを思い返して、高市早苗のルーツに関して、いろいろ考えることがあった。
高市は統一教会の存亡をかけた全力支援によって、今回の衆院選を有利に進めることができる。原口新党も飛躍するだろう。立憲も公明も消える。維新も衰退する。
参政党は統一教会が作った政党であることがバレてしまう。国民も深い関係を持っていた。
報道がきちんと行われたなら、れいわは有利なのだが、れいわが低迷するようでは日本はオシマイだな…。

コメント
村山節という人の、「文明800年周期交代バイオリズム」という説があります。800年周期で「東の文明」から「西の文明」へ、「西の文明」から再び「東の文明」へと変遷するというものですが、西暦2000年はちょうどこの交代期に当たるそうです。交代期にはいずれの場合も大きな災害がもたらされているそうです。
推理とは書きましたが、実は真実を言い当てていると思います。
例えば
>2500年前に九州に上陸し、弥生人国家を開闢した人々は、呉の末裔と考えるのが正当
>今の京都太秦周辺にある祇園神社、八坂神社あたりが、弓月=秦氏の拠点地域と考えられ
>そもそも、神社神道は、騎馬民族の持ち込んだ旧約聖書から来ている
こうした事実が日ユ同祖論を信じる人々の主張の基ネタともなっています。
古代、呉から多くの人が日本に渡ったのは間違いなく、日本での漢字の音読みの多くが呉音と呼ばれる発音です。(漢音もありますが、呉音の方が圧倒的に多い。)
さらに、「着物、衣服」の事を呉服と言いますね。呉服屋と言えば着物屋を指す。それくらい日本人と呉の文化は馴染んでいるのでしょう。
さらにこの指摘。↓
>朝鮮半島から日本に移動してくる場合、大半が漁船を利用(中略)必ずランドマークの景色が見渡せる航路になる。
>出雲大社も、(中略)独特の高い千木は、航海ランドマークとして使われた
私もあれは「航海の為に高い塔の様なものが建てられたのだろう」と推理していました。
朝鮮半島からの移住者が半島文化を日本に持ち込み、日本の文化を変化させて来たのは間違いないです。
問題は儒教的価値観や序列主義を持ち込んだ事にあります。
これが日本人らしさ、日本の「助け合いの精神」を「競争が全て。上は下を蹂躙搾取しても構わない」というものに変えてしまった。
日本人は鎌倉仏教の精神を取り戻さないと崩壊します。
アマさんが仰る様に「報道がきちんと行われたなら」日本の状況は全く違ったものになっていたはずです。
<gero Silence can be violent.(沈黙が暴力になる事もある)@garirou
多文化共生と言っている人たちは、歴史を学んでいない。
アメリカ大陸でネイティブアメリカンがどうなったか?
自国内で難民化した。それが移民政策のリアルです。>
コメントする