人間社会は、序列と差別に満ちているのだが、唯一、この世の全員が平等を享受しているものがある。誰一人差別もなく、序列もない、正真正銘の平等がそこにある。
 それが「死」である。
 生き物として生まれて、死を避けることができる者はいない。

 【人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか…】幸若舞より。
 人が死を覚悟させられるリスクの高い行動をするとき、「誰でも死ぬんじゃ」という言葉が勇気を与えてくれる。人間として生まれたからには、死を避けることなどできないのだから…。

 でも、痛そうだから…と、死を直視すると苦痛を呼びそうな気がするので、みんな死を見たくないんだよね。ネットでも、ユーチューブなんか、「死」というワードを使っただけで、AIに排除され、収益を失うので、みんな使いたがらない。
 だから、人生最大のタブーといってもいい。見てはいけないものなんだ。

 でも、私の若い頃、1940~1990年代あたりは、そうでもなかった。私が、名古屋市中村区で育って、まだ未開だった場所を駆け巡って遊んでいたころ、野原の一隅で、白いカケラを見つけることが珍しくなかった。それは人骨だった。
 名古屋は、あちこちに三菱重工の零戦工場があって、私の生まれた中村区は岩塚地区周辺が絨毯爆撃を受けて数万という単位の死者が出ていた。だから、いたるところに死骸の風化残骸が残っていたんだ。

 それにね、当時は、今のように動物死体を片付けるシステムがなくて、犬猫の死骸が放置されて、いたるところで腐敗し、干からびたまま放置されていた。
 近所の黄金通というところ(権現湯の近くだ)に、日本ブラッドバンクという731部隊が作った売血所があって、仕事のない浮浪者がたくさんいた。当時は麻薬が平然と流通する社会だったしね。
 彼らの行き倒れ死体が放置されていたことも珍しくなかった。当時は、「死」という風景が隔離されていなかったから、日常的光景に埋もれて「こんなもんか」という認識だった。

 私が生まれたのは敗戦後8年目だから、まだ「戦後」がまともに残っていた時代だった。爆撃の穴も残っていたし、不発弾も無数にあった。
 そうした戦後の処理が片付いたのは、たぶん敗戦後、15年を経た1960年くらいじゃなかっただろうか?

 力道山と明仁氏の嫁さんのブームがあったころだな。1964年には伊勢湾台風がやってきて私の地域では、5000名以上の死者が出た。
 でもね、戦争で爆撃に逃げ惑った人たちには、まだ記憶が鮮明に残っていたから、死屍累々たる災害現場を前にしても、みんな黙々と後始末をしていた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828613.html

 テレビや洗濯機、冷蔵庫といった「三種の神器」が家庭にも入ってきて、みんな激流のような時代の変化に就いてゆくのがやっとだった。
 そんななかで、やがて「死」が日常から隔離された光景に変わっていった。あれほど当たり前にあった死骸、遺体が日常から消えてしまった。
 そして、人々の意識の内部でも、死は身近なものでなく、遠い、危険な、疎外すべきものという認識に変化していった。

 「死」を身近に観察する機会が非常に少なくなった人たちに、子供たちにとって、死は人生にとって疎遠なものであり、それについて詳しく話し合う風潮も失われた。
 そして、自分に必ずやってくる死についても、できるだけ遠ざけ、目を背けるようになった。
 自分の死は、自分が気づかないうちに終わってほしいと願うようになり、年老いて、施設に入り、できるだけ死を直視しないですむ終末を選ぶようになった。

 「介護施設」という名で、気づかないうちの死を待つのが、もっとも良好な終末であると考えられるようになった。
 私は、老人施設で介護を受けながらの死というものは、死を直視できない人たちにとって自然な流れであるように見えるのだが、それが人生の本当の目的である、カルマの克服に役立つとは思えない。

 だから、私は、老人施設は、ナチスの「安楽死政策」の延長にあるように思えてならない。それは、楢山節考のなかで語られている死の風景と、本質的に大きく異なるようには見えないのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83

 老人施設が「安楽死施設」であり、老人たちの死が国家によってコントロールされていると考える人は少ない。だから、私の数日前のブログは、評価がひどく低かった。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6240183.html
 なぜ、私のブログが受け入れられなかったのかと考えると、みんなが、たぶん、「介護施設での終末」という人生プログラムに馴致されているからのように思える。

 それは直視されなくなった「死への恐怖」がもたらしたものであり、国家の定めた「常識」に埋もれて終末を迎えるなら、多少でも気が休まるという考えかもしれない。
 「終わりの日」は限りなく見たくない。気づかないうちに終えてしまいたい。だから施設に委ね、「常識」のなかに消えてゆくのが望ましい…ということだろう。

 だが、私は、間質性肺炎を発症し、悪化して自分自身が死に直面する経験を強いられることになったことで、死の意味を考え、自分の最期を考え続けることを迫られている。
 自分にとっての死とはなんだろう? 自分の人生は何だったのだろう? 自分の人生に何かの意味があったのだろうか?
 そして、客体的運命の死を待つべきなのか、主体的に自ら死を選ぶべきなのか? と考え、自分で自分を始末するとすれば、どんな方法を選ぶのがよいのか?と真剣に考えるようになった。

 私は、16歳のころから、日本中の山を歩いてきた。沢登りで、整備されない本当の自然界をたくさん経験した。あるとき、数千回という山歩きを重ねても、野生動物の死に直面したことが異常に少ないことに気づいた。
 野生動物の死体に出合ったことなど、数えるほどしかないのだ。
 一体、死を待つ野生動物は、どこに行くのだろう? 本当に不思議だ。
 野生動物たちは、自分の死体を見せたがらないのだ。

 雪崩に巻き込まれたカモシカの死体とか、皇海山の登山道の脇に折り重なっているような大量の鹿の骨を見たことはある。羅臼岳で、鹿を食べているヒグマも見た。
 しかし、これほど膨大な野生動物が生きているのに、その死骸を見た経験が、あまりにも少なすぎる。なぜだが、まだわからない。

 人間も、同じように自分の死体を見てほしくない。この気持ちが、死骸を隠す力になっているように思える。
 死は忌むべきものだ。恐怖の対象だ、しかし、この世でもっとも確実に遭遇する運命であり、誰一人逃れることはできない。死の先には差別も序列もない。死は平等だ。

 私は、死について、少し調べてみた。
 本当に、死は怖い、痛い、苦しいものなのだろうか?
 だんだん、我々が持っている常識とはかけ離れた、「死の真実」が見えてきた。
 死が、怖い、痛い、苦しいものである意味は、それを介護施設や病院のベッドの上でじわじわと恐怖を感じながら、豪奢な晩餐会に参加するように味わうからなのだ。

 私は、かつてたくさんの鶏を飼育したことがある。一度、鶏を屠殺して食べようと思い、捕まえてナタを持って首をはねようとした。
 そのとき、暴れていた鶏は捕まえられると、とたんに動かなくなり、おとなしく首を切断される姿勢をとった。まるで自分の運命を静かに受け入れるようだった。
 私は、とたんに首を切断する意思が消え、鶏を解放した。
 
 たぶんだが、動物たちは、死を受け入れる本能ができているように見えた。
 そして、死というものは、我々が想像するほど、痛さ、苦しさ、怖さがないのではないかと思った。
 人間も同じで、「案ずるより産むが易し」という言葉があるように、「案ずるより死ぬが易し」ではないかと確信した。

 実は、痛みというものは、人間が感じると、それ以上痛みが続かないように、脳が痛みを解放してしまうメカニズムがあるらしい。
 https://r-chiro.com/pain-modulation-brain
 首を切られても、注射のように刺される瞬間は痛みを感じるのだが、その後は、瞬時に脳が痛みを遮断してしまうのだ。
 だから、死に至る痛みは決して続くものでなく、以外に死が簡単に手に入るのだ。

 とはいえ、我が家のムカデ君は、噛みつくと痛いのなんの、激痛が何時間も何日も続くので、確実にトラウマになってしまう。死ぬときは痛みや苦しみが一瞬で消えるって本当かい?
 そういえば、ロシアでクマに食べられた少女が、母親に電話して、「クマが私を食べてる…でも、もう痛みを感じない」と言ってたな。
 https://president.jp/articles/-/67145?page=1

 まあ、死ぬときの苦痛や苦しみは、我々が想像するほどのものではないらしい。でなければ戦争なんて、みんな嫌がって、できるはずがないよな…。
 
 「死ぬ瞬間は痛いのか」「死んだらどこへ行くのか」「私は忘れられてしまうのか」住職に聞いてみた 孤独は乗り越えられても、死は怖い
 https://president.jp/articles/-/54927?page=1

 死というのは、臓器の死、細胞の死、脳の死と何段階もあるらしい。問題は苦痛に関与する脳だ。脳が素直に死を受け入れてくれれば、ごく簡単にあの世に行けるらしい。つまり、心の問題ということだ。

 なぜ私たちの細胞には「死」のプログラムが備わっているのか〜「生」と「死」のパラドックスに迫る
 https://www.kyoto-su.ac.jp/faculty/ls/column/ls_column05/

 さて、ここから私が一番書きたかったことだ。
 私は、「介護施設の死」に大きな疑問を持っている。それは「安楽死=尊厳死」のように見えるが、実は、死を意識することで、少しずつ恐怖を増幅する、「心の死」を招く、国家権力にとって都合の良い死に方ではないかと思うのだ。

 私は、本当の死というものは、家族や知人のなかで、最期まで自分の存在を積極的に関与させる主体的な死の方が、施設のベッドで死を待つスタイルより、何千倍も価値ある死だと思うようになった。

 日本政府は、統一教会という儒教団体に乗っ取られているので、「国に役立たない老人」は、安楽死=尊厳死させる方向を向いている。参政党の神谷宗幣の政策だ。自民党や維新、国民も同調している。
 だから、これから老人たちには「施設での安楽死」が待っている。

 私は嫌だ。力尽きるまで、誰にも頼らず、自分の力で生きて、そして朽ちてゆきい。
 もうすぐ、私にその運命がやってくるのだが、私も身動きができなくなったとき、どうやって自決するかばかりを考えている。
 今のところ、庭にテントを張って、目張りしてから木炭を燃やすのが、一番楽ちんに死ねると考えているが、自分の人生を自分で始末したい、安楽死施設なんか行ってたまるか…と決意している。
 
 でも、みんな世間体を気にして、「みんなと同じ死に方をしたい」と思っているからな…。だから介護施設の死を選ぶんだろうな。
 私は、国民の命を権力に利用することしか考えていない連中、とりわけ統一教会の思想のなかで死ぬことは、まっぴらごめんなんだ。
 国と儒教思想は、役に立たない国民を施設で安楽死させたい。オイラは最期まで自分の力で全力で生きて、力尽きて路傍に斃れて息絶えたいんだよ。

 これは、みんなが絶対に避けることのできない運命なんだ。誰一人逃れることができない。だから、目を背けないでくれ。