昨日(5月30日)、毎日行っている肺線維症呼吸トレーニング(2014年から週五程度続けている)のため、ブログを書いてから11時ころ、保古山に向かうと、蛭川街道の両側に、たくさんの人が集まっていて、何かを待っているようだった。もしかして祭りでもやるのだろうか?
 有名な杵振り祭は、4月中旬だし、いったいなんだろう?

 「何が行われるのか?」まったく知らなかったので、案内看板があるかと探したがまったくない。集まっている人たちは、老人夫婦も含まれていたが、大型バイクの若者が多かった。
 帰路、蛭川街道を、凄まじい爆音を響かせたカラフルなレースカーが、たくさん通過していた。
 結局、帰宅してネットで調べてみると、なんとラリーが行われていたのだ。
  https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/716598

 毎日、蛭川村内を走っているのだが、横断幕や看板など、事前に予告する広報が一切行われていなかったので、ラリーなどに興味皆無の私は、当日まで、まったく知らなかった。
 メイン会場は、どうも恵那峡ランドと笠置林道だったようだ。
 笠置林道は、笠置キャンプ場と蛭川・笠置町を結ぶ林道で、近年は熊が増えているのと、リニア中津川基地と若狭原発群を結ぶ大規模な「恵那幹線高圧線ルート」が新設されたことで、私はトレーニング場を、笠置山から根の上に変えたのだ。

 もう5年くらい前から、中津川や恵那、明智・上矢作などの東濃地域で、ラリーレースが繰り返されるようになった。一昨年には根の上高原ルートでも行われた。
 たぶん、理由は、過疎化が進み、公共交通機関が次々に廃止され、住民がラリーのような迷惑イベントを受け入れやすくなったと判断されたのだろう。

 公道ラリー開催は「公共の福祉」ではない 2024年11月24日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6177285.html

 正直、迷惑でしかないラリーレースだが、バスのない過疎地では、人が集まるだけで、なんとなく嬉しく感じてしまうので、迷惑イベントでも受け入れてしまうのだろう。
 それより、若者たちが嬉々として受け入れているうちに、「暴走することがかっこいい」という価値観が刷り込まれてしまうことが一番心配なのだ。

 「他人に迷惑をかけないように、穏やかに慎ましく生きる」という日本人らしい価値観が、公道レースを見ているうちに、バカバカしいと思うようになるのではないだろうか?
 「むちゃくちゃやるのが、痛快だ」と、峠ドリフトに興じる若者を増やすにちがいない。今でも遠ヶ根峠の舗装など、ドリフト痕に覆われているのに…。
 もっとも私が若い頃、夢中になっていた、厳冬期登山クライミングも似たようなものかな…?

 時速百数十キロという猛スピードのラリー競技が、一般住宅の存在する地域を疾走してゆく。ときに運転を誤って激突事故や転落事故が起きることもある。
 人口の多い地域なら、安全上の理由で、大きな反発を招くにちがいない。
 一昨年には、恵那で腹を立てた人がレースを妨害する事件も起きた。
 https://www.chunichi.co.jp/article/1017807

 今年は、住民である私が、まったく知らないうちに、わが蛭川村にまでラリーが押し寄せてきた。そういえば、最近、レースのような爆音が遠くで聞こえていた。
 私は、蛭川のようなバスも廃止され、駅から徒歩4時間という過疎村に、人口減少を利用した、こんなイベントが押しかけてきていることに、主宰者が考えている計算に不快感を抱く。

 完全に人的往来が遮断されている山岳地帯で行われるなら、まだ安全な日常への影響は少ないかもしれないが、ここにはわずかな居住者とのんびりした日常生活がある。
 しかし、居住者が少ない過疎の住民が、多少の危険に晒されても大きな問題にはならないと主宰者が計算したにちがいない。子供が普段のように飛び出したらどうなるんだよ?

 私が子供の頃、1960年くらいだと思うが、魚介運搬用トロ箱が、発泡スチロールに駆逐された時代があった。
 このとき、私は、発泡スチロールの登場で、交通事故が大幅に減ると期待したのだ。
 当時、私は名古屋市中村区の黄金通付近に住んでいて、まだ黄金陸橋完成前、踏切で待たされて開いたとたんダッシュする車に、6車線もある黄金通を横断している歩行者がはねられ、轢かれて毎日のように事故死者が出ていた。救急車のサイレンが途絶えたことがなかった。

 母は、信心深い人で、毎日のように犠牲者が出ている道端で、花を捧げ、般若心経と読経していた。
 だから、小学生だった私は、車の前部を、厚い発泡スチロールで覆えば、事故死者が大幅に減ると確信し、自動車メーカーは、当然、事故を減らすため実行するだろうと思った。

 しかし、安全対策に発泡スチロールバンパーを設けた車製造企業は、ただの一社も現れなかった。逆に、ヨタハチとかダットサンとか、かっこいいスポーツカーがたくさん登場してきた。どの車も、走行性能ばかり高く、安全対策には目が向けられていなかった。
 当時(1965年)、日本で初めての高速道路である名神高速が完成した。これによって車の高速化はますます加速した。最高速が100Kmしか出せないはずなのに、200Km近く出る車が普通に売られるようになった。
 もちろん発泡スチロールバンパーは使われなかった。

 最高速100キロ規制があるのに、どうして200キロ出る車が売られるのか? 私には理解不能だった。
 今回の主題である公道ラリーの発想もまた、同じである。
 制限速度50Km規制の公道で、100キロ超えの爆走競争をするという発想が、私には理解不能だ。
 「そんなに急いでどこへゆく」という有名な交通標語があるのだが、高速で走ることの意味は、競争社会のなかで、「他人を見下す」自己満足を得るという意味以外に何があるというのだろう?

 結局、スポーツカーが登場してくるということの意味は、資本主義社会が、人々の優越感、劣等感を利用して、他人を見下すアイテムに金を使わせるということだ。
 まさに資本の論理によって、人々に「見下し競争」あるいは「優越感競争」をさせているということだろう。
 ラリーが行われることも、まったく同じ意味だ。ガソリンをぶちまけて危険しか産まない競争は、優越感によって行われるのだ。
 勝者に何が与えられるというのか? あなたは交通事故を減らせるのか?

 「競争心を利用して金儲けする」
 これが「資本の論理」だ。競争があれば、確かに進歩がある。優れたものが生み出されるにちがいない。しかし、敗者、劣ったものの価値は見失われてゆく。
 「人をどれだけ幸せにできるか?」という価値観が見失われてゆくのだ。

 私は、公道ラリーには賛成できない。自治体側は、「人が集まってくれさえすればいい」と思っているだろうが、集め方の動機が間違っている。競争心を煽ることは負の連鎖しかもたらさない。
 集まってきた人々に、幸せをお土産に持たせて返すようなイベントを考えられないのか? まだハイキングイベントの方が100倍もマシだと私は思う。

 ホームレスや生活困窮者のための施設を作ったり、仕事を作って、その日ごとに、日給で支払ったりという事業を、自治体主導で、できないのか?
 蛭川は、維新のときに鎌倉仏教を廃仏毀釈で捨て去ってしまったが、我々日本人は、先祖である鎌倉時代の聖や遊行僧が、釈迦の思想を全国に行脚して教えて回った。

 人生の本質が因果応報であること。悪いことをすれば地獄に落ちること。人を大切にすること…などだ。
 だから、武家階級を別にすれば、民衆は、人を大切にする心を育てて今に至っている。戦後日本の繁栄、それも心の繁栄と思いやりの国民性を育てたものは何かといえば、私は鎌倉仏教の教えが大きいと思う。
 でなければ1700年前の世界最古の企業が生きているはずがない。世界の100年超長寿企業の半数以上が日本企業なのだ。人を大切にする国民性だけが、長寿企業をもたらしているのである。

 日本には7万の寺院があり、8万の神社がある。そこで、我々の先祖は、生きるための知恵=思想を学んできた。
 今、信仰喪失からすべての宗教施設が消えようとしている。代わって、日本国破壊を宣言する不可解な新興宗教詐欺グループ=統一教会が登場し、日本の三権、政府・国会・司法を乗っ取り、皇室まで乗っ取ろうとしている。
 
 今や、日本政府は統一教会のいいなりであり、首相も統一教会員だ。
 自衛隊幹部にも40年前から統一教会員が参入していると文鮮明語録に明記している。(発言は1980年代)
  https://insaem.jp/1641/malsm0001-1/#gsc.tab=0
 以下一部抜粋引用

日本の自民党を中心に私が今までやってきたのがそれです。毎週セミナーをしたんです。 経済問題、政治問題、軍事問題、文化問題まですべてセミナーをしたのです。日本の首相の顧問、政治顧問はたった1人か2人なんです。しかし学者は多いんです。 彼らが頭を突き合わせてクラブのようにセミナーをするんです。
文鮮明先生御言葉選集 110巻 p.195

日本統一教会の会長です。 勝共連合会長のその人を中心に、日本の首相を作るための経済団があり、そこに480人余りが連なっているというんです。岸首相がその後継を譲り渡し、福田首相が全部紹介してくれたりしました。
文鮮明先生御言葉選集 110巻 p.192
 (アマ註=現統一教会会長、梶栗正義の父親、玄太郎を中心に清和会が作られ、歴代日本首相が作られてきた)

 銃の製造・販売は「共産主義」への対応のため
私はこの共産党のことをよく知っているので、日本の共産党はいつも脅迫・恐喝し、必ず暴力に訴えてくることを知っていたので、日本に銃砲社――猟銃ですね――を38カ所作りました。
 (アマ註=日本の猟銃鉄砲店の多くを統一教会員が経営、朝日新聞襲撃事件に使われた猟銃も統一教会が手渡した)
文鮮明先生御言葉選集 110巻 p.170
 統一教会が銃砲店をもち、日本に猟銃を輸入・販売していた真の目的は「共産主義(者)との戦いに備えるため」にあり「作戦上必要」なのだと文氏が明言しています。

銃砲店を日本に作り、空気銃を5万丁輸出した
日本人を済州島(韓国)に連れて行って訓練した
銃はエアライフル、鳥用の猟銃(⇒武器・兵器ではない)
済州島の「訓練」は名目上、狩猟大会
でも、真の目的は共産主義(者)の暴発に備えるため
日本の警視庁は当初警戒したものの、実は統一教会が共産主義(者)の暴発があった時に対抗してくれることを望んでいる

韓国が生きるためには必ず日本を後ろ盾にしなければならないということです。日本だけではだめなんですよ。必ずアメリカを、どうにかして結びつけなければならないということです。
文鮮明先生御言葉選集 110巻 p.168
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 原文は、上のリンクに完全版が紹介されています。抜粋引用以上。

日本の首相は、田中角栄を除き、たぶん全員が統一教会員である疑いがある。
 統一教会が目指してきたのは、朝鮮儒教に支配された家族観、道徳観を持った日本国民の育成であって、儒教に敵対する鎌倉仏教を排除してきた。だから、仏教が衰退したのだと私は考えている。

 朝鮮儒教、最大の本質は、人間には先天的な序列=身分・地位の差別があるというものだ。この思想が、万物平等を唱える釈迦の仏教思想と根源的に矛盾している。
 「他人を見下す差別や序列」を、統一教会は日本社会に押し付けようとしている。
 私には、冒頭に取り上げたラリー・自動車競争も、そうした序列思想がもたらした価値観から来ているように思えるのだ。

 日本には、1900年~1945年まで、300万人の朝鮮韓国人が移住し、そのまま日本人になって住み着いている。
 一説によれば、国会議員の半数が、朝鮮系の子孫だとの噂もある。朝鮮人特有の人相をしている高市早苗や岸田文雄、そして安倍晋三など、戦後自民党首相の多くも朝鮮系である。
 こうした人々が、日本人の因果応報=平等思想の鎌倉仏教思想を破壊し、競争主義をもたらしてるのではないかと私は思う。
  https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6138224.html

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081138.html