YouTubeで表示される音声ドラマを視聴すると、ほぼワンパターンで、傲慢な夫に裏切られ、義実家から迫害搾取される主人公は貞淑な妻で、愛人を作って自分を追放した夫の裏切りへの妻の復讐と、夫の自己肥大、ナルシズムへの嘲笑と、その残酷な転落が主題になっていることが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=nUnBJUbM0Ds
これでもかと多数の作品が、視聴数目当てに投入されているのだが、いつでもワンパターンで、金銭欲に溺れる義実家と夫の醜態が描かれ、迫害された妻の戦いが賛美される構成に、いささかうんざりしてしまう。
そもそも、人間は金銭欲だけではなく、なまざまな欲望に満ちていて、他人を奴隷のように服従させたり、性的快楽の対象にしたりと、いろいろあるはずなのだが、人間がカネとナルシズムだけで動いているようなストーリーの単純さには飽きてしまった。
たまには、変態的迫害と性衝動なんかも書いてほしいな。妻が監禁され拘束されて性的虐待を受けるシーンなんか喜ぶ人が多いのでは…? それは、被虐願望を持っている人が多いからだ。
私は、若い頃、エロ作家を目指して文章を作っていた時期もあって、人間の隠された本性を暴く記述が大好きだ。
70歳を過ぎたこの年まで、社会の底辺から一歩も出ることもなく、ドブネズミのように生活していて、誰からも嘲笑されるような私の人生なのだが、底辺から社会を見渡すと、社会的に尊敬される人々の生活感覚では、決して見えない人間の本当の姿が見えることが多い。
例えば、女性なんか、表の健全な価値観=意識が異常性を拒絶していても、裏側には、密かに虐待=マゾヒズムに浸って、性的快感を得たい人が決して少なくない。こうした被虐願望がなければ、SM遊びなんて存在しないし、宮沢洋一がSM世界に浸って叩かれることもなかった。
ときには、苦悩は快楽の裏側から反転して、表舞台に飛び出して、被虐価値を生み出すことだってあるんだ。
エプスタイン事件で、誘拐された、たくさんの児童・少女がエプスタイン・ペドフィリア島に連れてこられて、アメリカを代表する特権階級の小児性愛の慰みものにされ、ときには殺害されていた。遺体は焼却炉で焼かれ証拠隠滅された。
ここには、トランプ大統領や、ビル・ゲイツ、オバマ・クリントン・マスクらが来ていた。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm46067194
なぜ、こんなことが起きるのかといえば、それはアメリカの特権階級が、ふだんは、福音派やユダヤ教に支えられ、その戒律に束縛された生活を送っていて、小児性愛が強く否定されているため、みんな「禁断の蜜の味」に強い憧れを抱いているからだ。
そうした破戒行為を行うのは、法律を自由に支配できる、大金持ちや権力者による特権であって、自分たちだけが破戒の蜜を味わい、陶酔できることに自己満足しているからなのだ。
これは、日本でもまったく同じで、同じ本質によってプチエンジェル事件が起きた。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827954.html
女性たちに憧れが多い「被虐」=心の奥底で密かに蠢く変態志向は、無事に五体満足で生きられることが前提ではあるが、場合によっては後遺症や死まで受け入れる「切腹・自殺マニア」さえいる。
アナル虐待は、後遺症が残ることが知られているが、西洋キリスト教価値観のなかで、「ソドミー」として無条件に強い嫌悪感をもって拒絶されることから、これを「隠された秘密の快楽」として究極の憧れを抱き、夢中になって後遺症を抱え込んでしまう人が実に多い。
人々は、隠されたもの、道徳的、観念的に洗脳された「悪事」に「破戒」の憧れを抱くのである。「虐待されたい」=虐待を好む人が多くなければ、世の中、ここまで悪くならないと私は思う。それは真実を隠してしまうことで、好奇心を無理矢理抑圧することの反映である。
自分が隠そうとする性癖=「破戒」は蜜の味なんだ。世間が嫌えば嫌うほどに快感が高まるのである。
この社会がおかしい、悪に支配されていると思っていても、みんな好き好んで、他人の強欲支配を受け入れているんだ。でなけば、この世界にSMなんて成立しないんだよ。
抑圧されてみたい。恥ずかしい経験をしてみたい。「戒律社会」では、人々の心の奥底を抑圧された「破戒への憧れ」が蠢いている、出口を探していると思っていい。
だから、イスラムの「破戒への鞭打ち」なんてのは、完全な逆効果だね。
若い娘が、少しばかりのカネで、風俗で働いたり、身元がバレたらひどく困る性的営利動画に出演したりする理由は、カネ目当てというより、破戒への憧れ、被虐的な嗜好が働いているように見えるのだが…。
みんな表向きの世界、統一教会推薦の「健全な家族の秩序=性道徳」にうんざりしてる。もっと自由に無茶苦茶に生きてみたいと思ってるんじゃないだろうか?
押し付けられた社会常識なんかクソくらえ! 気持ちよければなんでもいい…と思ってる若者が多いのではないだろうか?
だから、ラリー見物や暴走行為なんかでウサを晴らしたい。
少しの金で、闇サイトに騙されて、カンボジアの詐欺強制施設で奴隷のように働かされ、挙句、臓器まで抜き取られて殺される例が少なくないが、これも、わかっていながら、心霊スポットに行って怖い思いを経験したい心理と似たようなものではないだろうか?
だいたいね、人間は二重性どころか多重性を持っている。みんな表の世界、「つきあいの世界」では、本当の自分からかけ離れた虚構の自分を作っている人がほとんどだ。
裏側にある本当の姿を隠して、自分を社会常識の中でキレイに見せることに必死になっている人が多い。
それは、金持ちの世界=見栄を張り合う世界では著しいが、実は、底辺や反体制活動、サヨクのなかにも多い。
自分を大きく見せたい人は、人間社会のどこにでもいるものだ。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828612.html
自分の人生を唯一無二の一度きりの人生であり、自分の価値を高めナルシズムに浸ることが人生の目標であると考える人は非常に多い。
子供の頃から、儒教的な道徳価値観の洗脳を受けてきた人は、在日子孫に多いのだが、統一教会の信者たちは、アメリカ福音派やモルモン教信者と同じように、文鮮明の主張した封建的家族秩序=「家族価値観」に洗脳されているため、保守的な道徳観を持っていて、自分の自由な心がたえず束縛されていて、まるで不自由な重しを抱えて生きているようだ。
なんとかして、この、とてつもなく不自由な重しを外して身軽になって、自由に生きて生きたいという願いが、いつでも心の底にある。
だが、周囲の人間関係や、組織の制約から、この足枷をどうしても外せないで洗脳された道徳にがんじがらめに拘束されたまま、それを正当化する人も多い。
たとば、高市早苗なんか、その典型だろう。
私の住む中津川市は、古い道徳的秩序に縛られている人が多い。室町時代から、この地域を支配し続けてきた領主である、遠山氏(青山氏)は、厳格な道徳観を持った一族であり、家康が導入した朱子学儒教の信奉者だった。
「人間は、こうあるべき」という心の規制が大好きな「誇り高き一族」である。
幕末に、平田国学=平田篤胤・鉄胤が国学を当地界隈に入れ、幕末の地方のインテリたちは、こぞって本居宣長→平田篤胤の国学思想を受け入れた。苗木遠山家も国学を全面的に受け入れ、適当なことができない性格の遠山一族は、全国でももっとも激しい廃仏毀釈運動を行い、仏教を追放した。
この経過は、島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
このため、我が村は、維新後、「神国教」という神道流派が9割を占めるようになったが、その思想は、旧約聖書を信奉するユダヤ教に近いもので、戒律を重視している。
中津川界隈では、アーミッシュのような厳格な封建的道徳観、価値観を持っている人が多くて、古い価値観に反逆するLGBTなどが激しく嫌悪されていることは何回か書いた。
ところが、人の心は、表向き、厳格な道徳観を持っている人ほど、「背徳の美学」に憧れを持つ人が多くなる。秘密の禁断の蜜をなめたいわけだ。
ちょうど、霞が関の自民党議員たちが変態性欲を発揮するのと似ている。
まあ、書くと憚られることも多いので、具体的には書けない。
人間、心を抑圧するほどに、「破戒の蜜」を舐めたくなるものだと書いておく。
抑圧から自由な人は、「禁断」を持っていないので、エプスタイン島のような秘密の小児性愛にふける人もいない。
私は、エプスタイン事件が明らかにされたということの意味は、世界史のなかで、「禁断の秘密」が人々の目にさらされ始めたことで、いわゆる「表の秩序」が根底から崩壊しはじめたことを意味していると思う。
これまでの、人間の価値観、秩序は、「優越感VS劣等感」によって形成されてきたと私は思う。
優越、つまり優れたものだけに価値があり、劣ったものが見捨てられ、弾圧され、ときに抹殺される社会だった。
日本人は、1946~1996年まで、障害者を無理矢理拘束し、強制断種させ、妊娠していれば胎児を引きずり出して殺害することが「優生保護法」の名のもとに正当化されてきたのだ。
「優勢保護」って何なんだ?
優れたものを求める思想が、断種手術の強制、そして胎児を殺害した。その数は数万人といわれる。
これが、人間社会と人の心に二重性をもたらした本質である。女性たちに被虐願望を与え、宮沢洋一がSM風俗に通った本質である。
優れたもののためには、人殺しも許される。
どうして、こんな価値観が蔓延したのかといえば、それは孔子の作った儒教のせいかもしれない。
儒教の本質は、序列主義だ。人間には生まれながらにして犯し難い序列があるという刷り込みだ。これを前提にして、身分差別が生まれ、天皇制が生まれた。
序列上位の者たちが、自分たちの地位を正当化するために、上流社会のメンツと優位性を守る仕組みを作った。
だが、本当は、人間に差別や序列など存在しない。それは、すべて虚構であり、人々の暴力への恐怖や想像力の産物である。
「天皇はタダの人だ」なんて人前で言うと殺害された恐怖が、それを生み出してきた。本心から天皇を絶対に必要な大切な存在と考えている人が、どれだけいるんだ。
ところが、人間には序列があるという儒教を信奉している人たちは、無理矢理にでも序列を作り、根拠もないまま天皇制を信奉する。
今、統一教会が天皇制を完全破壊する皇室典範改定に取り組んでいるのだが、彼らは、序列や差別を、破壊するのではなく、自分たちが、天皇の地位に取って代わろうとしているだけだ。
人々に見えないバリアを張り巡らす、差別序列の社会システムは、統一教会の故郷のような思想だ。
文鮮明は、キリスト教を装っているが、実は生まれながらの儒家である。
文鮮明死後、子どもたちの生活は、麻薬三昧、性的紊乱三昧だと長女が証言している。それは文鮮明が、儒教特有の心の二重性を持っていて、子どもたちの自由な欲求を弾圧してきたので、そうなる。
https://www.youtube.com/watch?v=L0nm0mABf2o
文鮮明の子どもたちにとって、儒教に否定された「禁断の花園」は、あまりにも魅力的だった。それは「破戒の蜜」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=nUnBJUbM0Ds
これでもかと多数の作品が、視聴数目当てに投入されているのだが、いつでもワンパターンで、金銭欲に溺れる義実家と夫の醜態が描かれ、迫害された妻の戦いが賛美される構成に、いささかうんざりしてしまう。
そもそも、人間は金銭欲だけではなく、なまざまな欲望に満ちていて、他人を奴隷のように服従させたり、性的快楽の対象にしたりと、いろいろあるはずなのだが、人間がカネとナルシズムだけで動いているようなストーリーの単純さには飽きてしまった。
たまには、変態的迫害と性衝動なんかも書いてほしいな。妻が監禁され拘束されて性的虐待を受けるシーンなんか喜ぶ人が多いのでは…? それは、被虐願望を持っている人が多いからだ。
私は、若い頃、エロ作家を目指して文章を作っていた時期もあって、人間の隠された本性を暴く記述が大好きだ。
70歳を過ぎたこの年まで、社会の底辺から一歩も出ることもなく、ドブネズミのように生活していて、誰からも嘲笑されるような私の人生なのだが、底辺から社会を見渡すと、社会的に尊敬される人々の生活感覚では、決して見えない人間の本当の姿が見えることが多い。
例えば、女性なんか、表の健全な価値観=意識が異常性を拒絶していても、裏側には、密かに虐待=マゾヒズムに浸って、性的快感を得たい人が決して少なくない。こうした被虐願望がなければ、SM遊びなんて存在しないし、宮沢洋一がSM世界に浸って叩かれることもなかった。
ときには、苦悩は快楽の裏側から反転して、表舞台に飛び出して、被虐価値を生み出すことだってあるんだ。
エプスタイン事件で、誘拐された、たくさんの児童・少女がエプスタイン・ペドフィリア島に連れてこられて、アメリカを代表する特権階級の小児性愛の慰みものにされ、ときには殺害されていた。遺体は焼却炉で焼かれ証拠隠滅された。
ここには、トランプ大統領や、ビル・ゲイツ、オバマ・クリントン・マスクらが来ていた。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm46067194
なぜ、こんなことが起きるのかといえば、それはアメリカの特権階級が、ふだんは、福音派やユダヤ教に支えられ、その戒律に束縛された生活を送っていて、小児性愛が強く否定されているため、みんな「禁断の蜜の味」に強い憧れを抱いているからだ。
そうした破戒行為を行うのは、法律を自由に支配できる、大金持ちや権力者による特権であって、自分たちだけが破戒の蜜を味わい、陶酔できることに自己満足しているからなのだ。
これは、日本でもまったく同じで、同じ本質によってプチエンジェル事件が起きた。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827954.html
女性たちに憧れが多い「被虐」=心の奥底で密かに蠢く変態志向は、無事に五体満足で生きられることが前提ではあるが、場合によっては後遺症や死まで受け入れる「切腹・自殺マニア」さえいる。
アナル虐待は、後遺症が残ることが知られているが、西洋キリスト教価値観のなかで、「ソドミー」として無条件に強い嫌悪感をもって拒絶されることから、これを「隠された秘密の快楽」として究極の憧れを抱き、夢中になって後遺症を抱え込んでしまう人が実に多い。
人々は、隠されたもの、道徳的、観念的に洗脳された「悪事」に「破戒」の憧れを抱くのである。「虐待されたい」=虐待を好む人が多くなければ、世の中、ここまで悪くならないと私は思う。それは真実を隠してしまうことで、好奇心を無理矢理抑圧することの反映である。
自分が隠そうとする性癖=「破戒」は蜜の味なんだ。世間が嫌えば嫌うほどに快感が高まるのである。
この社会がおかしい、悪に支配されていると思っていても、みんな好き好んで、他人の強欲支配を受け入れているんだ。でなけば、この世界にSMなんて成立しないんだよ。
抑圧されてみたい。恥ずかしい経験をしてみたい。「戒律社会」では、人々の心の奥底を抑圧された「破戒への憧れ」が蠢いている、出口を探していると思っていい。
だから、イスラムの「破戒への鞭打ち」なんてのは、完全な逆効果だね。
若い娘が、少しばかりのカネで、風俗で働いたり、身元がバレたらひどく困る性的営利動画に出演したりする理由は、カネ目当てというより、破戒への憧れ、被虐的な嗜好が働いているように見えるのだが…。
みんな表向きの世界、統一教会推薦の「健全な家族の秩序=性道徳」にうんざりしてる。もっと自由に無茶苦茶に生きてみたいと思ってるんじゃないだろうか?
押し付けられた社会常識なんかクソくらえ! 気持ちよければなんでもいい…と思ってる若者が多いのではないだろうか?
だから、ラリー見物や暴走行為なんかでウサを晴らしたい。
少しの金で、闇サイトに騙されて、カンボジアの詐欺強制施設で奴隷のように働かされ、挙句、臓器まで抜き取られて殺される例が少なくないが、これも、わかっていながら、心霊スポットに行って怖い思いを経験したい心理と似たようなものではないだろうか?
だいたいね、人間は二重性どころか多重性を持っている。みんな表の世界、「つきあいの世界」では、本当の自分からかけ離れた虚構の自分を作っている人がほとんどだ。
裏側にある本当の姿を隠して、自分を社会常識の中でキレイに見せることに必死になっている人が多い。
それは、金持ちの世界=見栄を張り合う世界では著しいが、実は、底辺や反体制活動、サヨクのなかにも多い。
自分を大きく見せたい人は、人間社会のどこにでもいるものだ。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828612.html
自分の人生を唯一無二の一度きりの人生であり、自分の価値を高めナルシズムに浸ることが人生の目標であると考える人は非常に多い。
子供の頃から、儒教的な道徳価値観の洗脳を受けてきた人は、在日子孫に多いのだが、統一教会の信者たちは、アメリカ福音派やモルモン教信者と同じように、文鮮明の主張した封建的家族秩序=「家族価値観」に洗脳されているため、保守的な道徳観を持っていて、自分の自由な心がたえず束縛されていて、まるで不自由な重しを抱えて生きているようだ。
なんとかして、この、とてつもなく不自由な重しを外して身軽になって、自由に生きて生きたいという願いが、いつでも心の底にある。
だが、周囲の人間関係や、組織の制約から、この足枷をどうしても外せないで洗脳された道徳にがんじがらめに拘束されたまま、それを正当化する人も多い。
たとば、高市早苗なんか、その典型だろう。
私の住む中津川市は、古い道徳的秩序に縛られている人が多い。室町時代から、この地域を支配し続けてきた領主である、遠山氏(青山氏)は、厳格な道徳観を持った一族であり、家康が導入した朱子学儒教の信奉者だった。
「人間は、こうあるべき」という心の規制が大好きな「誇り高き一族」である。
幕末に、平田国学=平田篤胤・鉄胤が国学を当地界隈に入れ、幕末の地方のインテリたちは、こぞって本居宣長→平田篤胤の国学思想を受け入れた。苗木遠山家も国学を全面的に受け入れ、適当なことができない性格の遠山一族は、全国でももっとも激しい廃仏毀釈運動を行い、仏教を追放した。
この経過は、島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
このため、我が村は、維新後、「神国教」という神道流派が9割を占めるようになったが、その思想は、旧約聖書を信奉するユダヤ教に近いもので、戒律を重視している。
中津川界隈では、アーミッシュのような厳格な封建的道徳観、価値観を持っている人が多くて、古い価値観に反逆するLGBTなどが激しく嫌悪されていることは何回か書いた。
ところが、人の心は、表向き、厳格な道徳観を持っている人ほど、「背徳の美学」に憧れを持つ人が多くなる。秘密の禁断の蜜をなめたいわけだ。
ちょうど、霞が関の自民党議員たちが変態性欲を発揮するのと似ている。
まあ、書くと憚られることも多いので、具体的には書けない。
人間、心を抑圧するほどに、「破戒の蜜」を舐めたくなるものだと書いておく。
抑圧から自由な人は、「禁断」を持っていないので、エプスタイン島のような秘密の小児性愛にふける人もいない。
私は、エプスタイン事件が明らかにされたということの意味は、世界史のなかで、「禁断の秘密」が人々の目にさらされ始めたことで、いわゆる「表の秩序」が根底から崩壊しはじめたことを意味していると思う。
これまでの、人間の価値観、秩序は、「優越感VS劣等感」によって形成されてきたと私は思う。
優越、つまり優れたものだけに価値があり、劣ったものが見捨てられ、弾圧され、ときに抹殺される社会だった。
日本人は、1946~1996年まで、障害者を無理矢理拘束し、強制断種させ、妊娠していれば胎児を引きずり出して殺害することが「優生保護法」の名のもとに正当化されてきたのだ。
「優勢保護」って何なんだ?
優れたものを求める思想が、断種手術の強制、そして胎児を殺害した。その数は数万人といわれる。
これが、人間社会と人の心に二重性をもたらした本質である。女性たちに被虐願望を与え、宮沢洋一がSM風俗に通った本質である。
優れたもののためには、人殺しも許される。
どうして、こんな価値観が蔓延したのかといえば、それは孔子の作った儒教のせいかもしれない。
儒教の本質は、序列主義だ。人間には生まれながらにして犯し難い序列があるという刷り込みだ。これを前提にして、身分差別が生まれ、天皇制が生まれた。
序列上位の者たちが、自分たちの地位を正当化するために、上流社会のメンツと優位性を守る仕組みを作った。
だが、本当は、人間に差別や序列など存在しない。それは、すべて虚構であり、人々の暴力への恐怖や想像力の産物である。
「天皇はタダの人だ」なんて人前で言うと殺害された恐怖が、それを生み出してきた。本心から天皇を絶対に必要な大切な存在と考えている人が、どれだけいるんだ。
ところが、人間には序列があるという儒教を信奉している人たちは、無理矢理にでも序列を作り、根拠もないまま天皇制を信奉する。
今、統一教会が天皇制を完全破壊する皇室典範改定に取り組んでいるのだが、彼らは、序列や差別を、破壊するのではなく、自分たちが、天皇の地位に取って代わろうとしているだけだ。
人々に見えないバリアを張り巡らす、差別序列の社会システムは、統一教会の故郷のような思想だ。
文鮮明は、キリスト教を装っているが、実は生まれながらの儒家である。
文鮮明死後、子どもたちの生活は、麻薬三昧、性的紊乱三昧だと長女が証言している。それは文鮮明が、儒教特有の心の二重性を持っていて、子どもたちの自由な欲求を弾圧してきたので、そうなる。
https://www.youtube.com/watch?v=L0nm0mABf2o
文鮮明の子どもたちにとって、儒教に否定された「禁断の花園」は、あまりにも魅力的だった。それは「破戒の蜜」だ。

コメント
一昨日の参予算委を聞いていて、耳を疑いましたよ
@れいわ奥田質疑
奥田「総理、武器って何ですか?小学生でも分かるように、分かりやすくお答え下さい」
高市「小学生にも、分かりやすく、ぇーっと申し上げれば、いわば紛争の発生を未然に防ぐため、ひいては人の命を守るためのものでございます」>
これ↑についての↓のコメントが秀逸。
<とぺ🔝📧@cos_onoma
高市さん武器が人の命を守るものとか言ってるけど、安倍さんが手製の銃で撃たれて死んだの忘れた????????大丈夫????????>
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