文鮮明の盟友といわれる岸信介・娘洋子の夫、安倍晋太郎・その子の安倍晋三(と、名目上はなっている)は、山口県出身である。
 以下のリンク先にある岸家家系図が、統一教会問題の源流にある。
 https://www.gentosha.jp/article/22392/?srsltid=AfmBOooNBUqGp56f6DjpEzpzyMLPKCxdCe9JUnrrfoeulLBSobjJbRdf

 岸信介の曽祖父に岸要蔵が一族の開祖として描かれている。一世代25年とみても、1896年生まれの信介の80年くらい前だから、要蔵は、1820年(文政時代)より前の人だ。だいたい松浦武四郎と同世代だろう。

 具体的な証拠を確認できていないのだが、伝聞では、岸要蔵は、李朝両班階級で、元は李要蔵といい、李を分解すると木と子になるので、日本に来てからは岸を名乗ったと伝えられる。同じ両班の儒者として知られた文鮮明の祖父(文致國)の知己で定州の人だったといわれる。

 要蔵は、推測だが、李朝の指令を受けて長州藩に移住した。
 当時、幕府・長州と朝鮮の関係は良好で、対馬宗氏が李朝と幕府の二股をかけて朝貢していたとの記録がある。朝鮮通信使も繰り返し日本を訪れていた。
 勝手な推測を重ねると、要蔵は朝鮮通信使に便宜を図るため、大内氏の助けで長州に派遣されたのではないだろうか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF

 このとき、大内氏も、日朝貿易と水軍活動のため、李朝に朝貢していたとされる。大内氏には、自分たちが百済の末裔であるとの伝承があった。
 長州は、江戸時代以降、毛利氏が関ヶ原の敗戦以降、押し込められた地域だが、それ以前の海賊で知られた大内氏は、毛利氏の周防・長門守護職として生き残っていた。
 いずれ、長州支配を大内氏に返すという約束があったらしい。

 要蔵は、李朝の命を受け、大内氏の手引きで、田布施に移住したように思われる。
 岸(李)要蔵は、信介の妻、良子の曽祖父なのだが、実は、信介は佐藤家から養子に入ったとはいっても、事実上、佐藤家と岸家は婚姻を繰り返し、同一家といえるほど親密な関係であって、全員が親族であり、遺伝障害が心配になるほどだ。

 岸信介は、なぜか、この歴史を隠蔽し、田布施にあった戸籍を4回も転籍して新戸籍を現在の山口市に移し、要蔵との関係を消そうしとしていた。
 おそらく、岸の指示によって、裕仁の許婚だった梨本宮方子を無理やり、李朝、李垠王(朝鮮ラストエンペラー)に降嫁させたので、自分が朝鮮人末裔だったことを知られたくなかったことだと思う。

 山口県は、岸信介が表舞台に躍り出ていた、1920~60年代まで、維新と新政府の超大物たちを続々と産んでいて、長州閥といえば、現代に至るまで日本の支配階級に君臨してきた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7
 岸信介は、日本最大の人脈アドバンテージの上に、若くして満洲国副総理の地位についたが、なぜか朝鮮経営には直接関与していない。
 しかし、史上最大の麻薬武器密売組織である昭和通商を創立したのは岸信介だ。
 このとき、昭和通商内部で文鮮明・小泉純也・笹川良一・文鮮明らの名前が見える。
 昭和通商の手足となったのは、上海麻薬王と呼ばれた里見甫、技術長として二反長音蔵がいた。731部隊を作らせたのも岸信介といわれる。

 初期には、昭和通商はイランから莫大なアヘンを輸入した。イランはアフガニスタンにケシ畑を作った。それをヘロインやモルヒネに精製する工場として、北京郊外の通州に基地が設けられた。フェンタニルが登場するまで、アフガン麻薬は黄金三角地帯と並んで世界の麻薬シンジケートの要だった。
 これを青幇の麻薬利権を犯すものとして、通州工場を大規模に襲撃して麻薬精製作業を行っていた日本人女性を猟奇的に皆殺しにしたのが、青幇の頭目=蒋介石だった。
 日本軍部は、この復讐として南京大虐殺を実行した。
 https://mainichi.jp/articles/20221113/k00/00m/040/089000c

 日本は、1900年に李朝を解体し、大韓帝国という日本の傀儡政権を作った。だが1910年に、それを日本に併合してしまった。
 https://www.youtube.com/shorts/x2z0ihJczeo
 このとき、約40年間の間に約300万人を超える朝鮮の人たちが、日本の軍需産業の仕事を求めて、日本に渡航し、そのまま日本に居着くことになった。
 この移住を指示したのが岸信介であり、帰還の指揮をとったのも信介だった。

 実は、今世紀に入るころ、国際政治学者の中丸薫が、李朝に降嫁した方子の子が、安倍晋太郎や横田早紀江であることをネット上で暴露した。
 現在、すべて削除されているが、第一子の晋が宮廷両班に毒殺されてから、次の子どもたちを守るために、方子が岸と相談して、第二子を盟友の安倍寛に託して、晋太郎として育てた。第三子は、たぶん西村正雄で、第四子は唯一手元に置いた李玖、第五子は、横田早紀江である。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5959096.html

 上のリンクに彼らの写真があるが、李方子と横田早紀江は、酷似していた母娘であることが誰にでもわかり、全員が、方子の八の字眉を遺伝的に受け継いでいる。
 安倍晋三も同じで、彼は、文鮮明が日本国を完全に乗っ取ったとき、「韓日帝国」を宣言し、安倍晋三を王にしたかったのではないかと思う。
 天皇家にも、文鮮明の血を入れ、自分の血脈が天皇にとって代わるよう計画した。
 悠仁の母、秋篠宮紀子の母、川嶋和子と、文鮮明の長女が瓜二つであることから、おそらく文鮮明の娘の誰かが川嶋和子であるように思われる。

 朝鮮人は戦後、帰還したと信じている人もいるが、実際には、帰還したのはごく一部、1割にも満たない。
 理由は、渡航してきた人の大半が、旧奴隷階級(中民・白丁)であり、当時、朝鮮には風呂もトイレもなく路上垂れ流しであり、女性たちは両班に強姦されても文句も言えなかったからだ。
 安全な日本に来た朝鮮女性たちは、絶対に帰還したがらなかった。
 岸信介と槙枝元文の手引きによって、北朝鮮に帰還した10万人の人々は、全員が、財産を没収され、地獄のような強制収容所で餓死させられたといわれる。

 文鮮明・朴正煕ら李朝両班階級が、李朝→大韓民国併合(奴隷制廃止)の報復として、統一教会と国際勝共連合を使って日本国を乗っ取りはじめたことは、これまでブログに何十回も書いた。
 李朝両班だった李要蔵の血脈だった岸信介が、文鮮明とともに日本破壊のキーマンとして活動したことは、戦後、自民党の歴史により明らかだ。
 それは、自民党内の統一教会の根城といわれる安倍派に受け継がれた。安倍晋三暗殺後は、萩生田光一が梶栗正義とともに、統一教会日本支部のトップといわれる。

 山口県が、広島や、兵庫とならんで、朝鮮韓国からの移住者が多く、強い影響下にあったことを、長周新聞が記事にしたので紹介する。
 実は、統一教会問題を知る上で、山口県の役割が欠かせないのだ。

 民族教育守るため闘った日朝市民連帯の歴史 朝鮮学校80周年を迎えるにあたって 山口県における設立・認可運動 教育・文化2026年6月10日
 https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/38282

 以下、一部抜粋
 現在の山口朝鮮初中級学校(下関市)は1946(昭和21)年4月、朝連下関小学校として設立された。「内鮮一体」「皇民化」を掲げた植民地支配のもとで国、言葉、名前を奪われた朝鮮人は日本が敗戦するや、時を移さず子どもたちに国語(朝鮮語)を教え、朝鮮の文化・歴史を学ばせ、本来の民族の子として育てることに情熱を傾けた。

 当時、朝鮮人の子どもたちは日本の学校で民族的な屈辱を受けながら、日本名を名乗り「日本人として立派に生きることが名誉だ」と教え込まれてきた。日本で生まれて朝鮮語がわからない子どもは、日本語をうまく使えない父母との意思疎通すらままならない事情もあった。

 下関の在日朝鮮人たちの戦後出発は、こうした問題を解決することから始まった。寺子屋のような勉強会を持ち、敗戦の翌月の1945年9月には大坪、園田、彦島など市内の数カ所に国語(朝鮮語)講習所を開設した。講習所は山口県下では宇部、岩国など数十カ所で朝鮮人の身を削る事業として急速に広がった。それはやがて在日本朝鮮人連盟(朝連)の手で、朝鮮人教師による組織的で体系的な民族教育をおこなう学校へと統合されていった。

 山口県下では、1947年10月までに33校の初等学校が設立され、2836人の子どもたちが通っていた。朝鮮語(国語)、歴史、公民、地理、算数、理科、音楽、体育、日本語などが授業科目であった。
 しかし、ようやく植民地支配から解放された朝鮮人は、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)の新たな抑圧に直面した。朝連下関小学校が開校した翌年の1947(昭和22)年10月、GHQは「朝鮮語以外は日本の学校制度・授業カリキュラムに従わなければ認めない」として、朝鮮人の民族教育を日本政府の規制下に置くよう日本政府に指示した。
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 一部抜粋引用

 この文章には、韓国で、日本の戦後援助、1965年の日韓基本条約および日韓請求権・経済協力協定についてまったく書かれていない。
 当時の朴正煕政権は、両班出身であり、日本からの現在価値で数十兆円規模の援助は、すべて両班の財閥に与えられ、朝鮮人民には一切使われなかった。

 朴正煕と文鮮明らは、一般民衆を奴隷とみなしていた。両班階級から奴隷制度を奪った日本に対し、激しい敵愾心を燃やし、凄まじい反日教育を行った。同時に、国際勝共連合を使って、日本乗っ取り作戦を開始した。
 李承晩が日本漁師50名の命を奪って強奪した竹島も絶対に返還しなかった。吉田茂も岸信介も、竹島強奪にまともに抗議さえせず、韓国の言いなりになった。
 それは冒頭にリンクした、岸家の家系図を見れば、二人が朝鮮李朝と深い関係にあり、その代理人であった構図が浮き彫りになる。

 韓国の両班による反日運動と歴史の捏造がなければ、日本と韓国の関係は、はるかに良好なものになっていたはずで、朝鮮人学校問題も起きなかったと思う。
 そもそも、韓国にハングルを導入したのは、朝鮮総督府だったのだから。
 両班は、朝鮮の8割の民衆に教育機会を与えなかった。朝鮮半島に全員の義務教育を与えたのは、日本である。日本は、民衆教育に極めて熱心だったのだから。
 朝鮮人学校に反対したのは、両班階級、文鮮明らである。彼らは、朝鮮民衆を奴隷階級に引き戻そうとしているのである。