私自身は、もう20年近く、外食を利用しないで100%自炊なのだが、ごく稀に、時間的都合で入る外食といえば、丸亀製麺とかなか卯とか、吉野家とかココイチなんだけど、今日現在の価格を調べてみると、たぶん二度と行けないと思う店が増えた。

 まあ、私の予算は、最大500ワンコインだ。ワンコインでお釣りが来る店は、ひどく少なくなった。ココイチなんか、無理になった。
 https://www.ichibanya.co.jp/menu/list.html?cid=1
 吉野家は、かろうじてセーフかな…。でも痛風発作を起こすしな…。
 https://www.yoshinoya.com/menu/gyudon/gyu-don/

 昔はね、立ち食いそば屋がたくさんあって、10年くらい前まで300円程度で食べられたものだ。名古屋に富士そばはなかったが、代わりに、住よしのきしめんなんか最高だった。でも、今じゃワンコインじゃ食べられない。
 まあ、丸亀やはなまるがあるからいいか…。
 給料前に懐が寂しくなると、立ち食いそば屋や、吉野家に通ったものだ。朝定の納豆なんか、どれだけ食べたことか…。

 生涯を底辺民として生きてきた私にとって、こうした安価チェーン店は救いの神であり、コンビニのおにぎりとともに命の綱だった。
 こうした食事チェーン店の経営者たちには、我々底辺の生活を支える神のような使命感があったと私は信じている。これが日本なのだと…。
 資本の論理が貫かれ、「企業は株主を儲けさせるためにある」なんて、新自由主義が社会を席巻してみても、こうした安価食事提供店の経営者たちの心の底には、我々底辺の人間に対する愛が受け継がれてきたと私は思う。

 こうした外食産業の温かさは、戦後、日本人が窮乏に追いやられて、みんなが助け合わなかれば生き抜いてゆけなかった時代の名残なんだろうと思う。
 私が幼かった時代、1960年前後は、子どもたちはみんな栄養不足で、青洟を垂らしていたものだ。きれいな顔をしていたのは、赤線やパチンコ産業の朝鮮人子弟くらいなものだった。

 主婦たちは、寄り集まれば、わずかでも助け合うのが生きる力の根源であり、日常風景だった。
 我が家では、父が国鉄労働組合の書記長で、第一次安保闘争の盛り上がりのなかで逮捕され、数カ月間、獄中にいた。母は心労で倒れ、入院した。
 妹は親戚に預けられ、姉と私だけで生きてゆかねばならなかった。

 食べ物といえば、熊野神社の西側にあった肉屋のコロッケと漬物だったかな。肉屋のコロッケは、一個10円とかで、ひどく安く、しかもうまかったからだ。
 しかし、近所の奥さんたちが毎日のように、おかずを差し入れしてくれた。みんな、目の前の人の苦労は自分の苦労だと連帯してくれていたのだ。

 地域の食品店も、貧しい人たちへのサービス精神にあふれていた。母は肉屋で豚小間肉くらいしか買えなかったが、だからといって嘲笑されたこともなかった。私は、大人になるまで牛肉を食べたことがなかった。初めて吉野家の牛丼を食べたときは感激した。
 しかし、みんな、とてつもなく優しく、暖かったから悪い思い出はない。
 学校では朝鮮人子弟にひどい目に遭わされたが、地域社会には愛が満ち溢れていたのだ。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828613.html

 「助け合わなければ生きてゆくことができない社会」だった。
 だから、みんな優しく、暖かい人間性だった。その時代に育った人たちが、外食産業(丸亀や吉野家)を経営しているから、人々に対する愛を忘れていないのだと、私は思った。
 愛がなければ、コメダのモーニングサービスは成立しなかったのだ。
 私はコメダの社長の送迎をしたことがあるが、南山のありふれた普通の民家だった。

 もし、金儲け最優先の新自由主義に染まった経営者だったなら、豪邸に住んでいて、きっと、欧米のように物凄い価格の食事になってしまっただろう。
 そもそも、そんな人達は大衆向けの食事店など経営しない。高級レストランで客からふんだくることしか考えないだろうな。
 だから、日本に来て、安価外食チェーンに入った外国人は、一様に安さとうまさにびっくりするし、水もおしぼりもタダであることに感激するのだ。「これが、日本のオ・モ・テ・ナ・シ」だと。

 だから、国民全体が貧乏を経験することは、決して悪いことではない。
 ココイチの創業者である、宗次徳二さんも、私はタクシーで送迎したことがあるが、彼は、親に捨てられた孤児院出身で、養子先でも地獄のような体験をさせられた。
 https://www.ohk.co.jp/data/26-20230708-00000001/pages/

 とてつもなく暖かい人柄で、ハウスに経営を譲る前のココイチは、安くてうまくて正真正銘、大衆の味方だった。
 宗次さんは、学校に弁当を持ってゆけなかった。昼休み、いつも校舎の裏で孤独に時間を過ごしていた。今また、宗次さんと同じように弁当を持ってゆけない子供が増えているのだという。
 だから、宗次さんのような人の努力で、無償の子ども食堂が全国に作られた。宗次さんは、自分の資産を我子には残さず、すべて子ども食堂に注ぐと言っている。
 
 「日本が悪くなった」のは、1980年代のバブル時代だとは衆目が一致するところだろう。
 日本人が少しだけ豊かになり、まだ文鮮明の指示である「税金を5倍に上げて生活水準を三分の一にする」という計画は実行されていなかった。
 その後、文鮮明の同志となった、中曽根康弘や福田赳夫が、それを実行に移したのだ。

 当時の日本は、競争社会がひどく強調されるようになり、企業は労働者を鞭打って死ぬまでこき使う風潮が生まれ、金持ちの勝ち組は、一斉に投資に走りバブル経済が成立していた。
 会社は、人々を食べさせ、生活を保証するものではなく、株主の所有物であり、経営者=株主を儲けさせるためにある…と信じる人が増えた。

 あらゆるメディアが競争を煽りまくり、ちょうど今の高市早苗のように「てっぺんに立つ」ことが日本社会の目的であるかのように扇動された。
 当時のCMで、ひたすら競争を煽ることで記憶に残っているのが以下のCMだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=_F07XMAwFGw

 私は、豊田章一郎夫妻も、私のボロタクシーで松坂屋まで送迎したことがある。章一郎は、鈴木修とまったく同じで、「大衆に奉仕する」思想に一生を捧げた人物だった。彼はカローラを国民車として提供することを人生の柱にしていた。金持ちの見栄に奉仕し、利用するような人物ではなかった。
 当時、章男氏は、古い家の車庫で車の下に油まみれになって潜り込んでいた。
 私は、この一家に感銘し、トヨタが滅びることはないと思った。

 だが、バブル時代がやってきて、トヨタの支配権が、奥田硯や張富士夫に移ると、トヨタも特権階級への迎合を始めた。レクサスという特権ブランドを作り、ひたすら利益だけを追求する姿勢を見せ始めた。
 世の中は、一斉に金儲けに飛びつき、他人を睥睨して見栄を張ることが正義であるかのような価値観がもてはやされることになった。

 私は、うんざりして、人生に投げやりになっていった。国立駅前で、自己開発の研修プログラムで自己批判を怒鳴り散らす「企業戦士」を見ていて、これが人類の断末魔なのかとも思った。
 そして、再現のない不動産バブルと金儲け競争があり、必然的にバブル崩壊による価値喪失が起こった。

 私は1990年前後に、名古屋でタクシー運転手をしていて、山一證券倒産から始まったバブル崩壊後の経済収縮を見せつけられていた。
 崩壊前、月80万円くらいあった私の売上は、半分に落ちた。名古屋市内を3時間流しても、一人の客も見つけられないときがあった。
 金儲けが人生の最大価値であるとする、投機ブームの価値観こそ新自由主義の核心だったのだが、それが無惨に崩壊し、尾張名古屋の繁栄は、吉宗による宗春弾圧以来の惨状となった。

 このころ、戦後の助け合い社会の価値観は、投機ブームによって根底から崩壊させられ、贅沢や見栄、豪邸や高級車をみせびらかす見栄張り自慢の価値観に取って代わっていて、人々は自分を大きく見せるのに必死になり、他人を助けることに価値を見出す人は少なくなっていた。

 学歴競争もひどくなって、あたかも人間の価値が学歴や偏差値であるように思い込む人が激増した。私のような底辺の労働者は、ひどく蔑まれる時代だった。
 社会を本当に支えているのは、みんなが嫌う、ゴミ掃除やゴミ回収など底辺の労働なのだが、それを誇りに思う人が減り、他人を見下すことが人生の価値であると思い込む人ばかりになってしまった。

 ただ、ここで言っておかねばならないのだが、こうした歪んだ学歴競争文化の多くは、1900~1945年までに朝鮮半島から日本に移住してきた300万人の人たちが持ち込んだ、儒教思想によるものが大きい。
 もともとの日本人には、社会の底辺の人たちを蔑むような思想は少なかった。なぜなら、鎌倉仏教の因果応報思想が、日本の大衆に広く深く浸透していたからだ。

 朝鮮儒教文化は、鎌倉仏教の思想とは大きく異なり、人間の序列を第一義にし、他人を見下し、蔑むことで、自分の優位性、自己肯定感を作り出すものだった。
 私は、日本の学歴競争と他人を蔑む思想の多くが朝鮮から持ち込まれたと考えている。本当の日本人は、もっと優しかった。
 それは、私自身が、小中学校で在日子弟に凄まじいイジメに遭って思い知らされてきたことなのだ。

 私の母は、朝鮮人の少ない新潟出身なので、真宗の平等思想のなかで育ったから、他人を大切にする価値観を持っていた。他人のために奉仕することが人生の価値だと信じていた人だった。
 だが、朝鮮には、他人を見下す思想ばかりがあった。現在の、自民党政治家の半数以上が、朝鮮系移民子孫との情報もあり、日本の支配階級には朝鮮半島の思想文化が深く入り込んでいる。
 このことを知らないと、バブル時代や統一教会の本当の意味も理解できないと思う。

 今や、日本は統一教会に乗っ取られ、もうすぐ皇室まで朝鮮人血統になってしまう。
 在日二世の高市早苗は、「てっぺんを取り戻す」と、まさに朝鮮思想のエッセンスである競争思想を前面に打ち出して、日本人を追い詰めている。

 いまや統一教会政権が成立していて、宗次さんたちの努力の結晶である子ども食堂も、統一教会の支配するこども家庭庁がしゃしゃり出てきて、あたかも自分たちの事業であるかのように、口出しするようになっている。
 奥野さんの子ども食堂に、統一教会の国税庁が「脱税容疑」で捜索に入った。
 https://www.youtube.com/watch?v=pDLTeMyCRng

 少子化対策を口実に、10兆円の予算で設けられたこども家庭庁だが、その実態は統一教会の利権組織である。予算の使い道は、誰の懐に入るのか不透明なものしか存在しない。
 
ニュース 国内 社会 ひろゆきも指摘、統一教会の働きかけで「こども庁」が「こども家庭庁」に!安倍元首相、山谷えり子と教会の関係を物語る内部文書  リテラ 2022年07月19日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_12393/

 統一教会は、文鮮明の指示で、日本人口を5000万人以下に減らす目標を持っていて、こども家庭庁は、統一教会が作った組織である以上、決して、少子化対策を行わず、逆に人口を減らす政策しか行わない。
 少子化問題の本質は、子供を作る若者たちが生活苦に陥って子供を産み育てる余力を失っていることである。だから、底辺の若者たちの収入を構造的に底上げする、唯一の手段である消費税廃止以外の対策は存在しないのだ。

 高市早苗も財務省も、それを絶対にやらない。
 今後、底辺の我々は、アメリカのフードスタンプシステムのように、こども食堂に準じた、食堂を利用するしかないのだが、統一教会政権に、底辺を救済する思想は皆無である。

 正直に言って、ワンコインの大衆レストランであっても、もはや今の物価暴騰では、利用することは困難になりつつある。
 統一教会、文鮮明ビジョンは、ここまで我々を追い詰めたのだ。
 高市早苗が、我々の命をも破壊しようとするなら、それはフランス革命の再来になるとしか思えない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E9%9D%A9%E5%91%BD

 いつまでも調子に乗るなよ、高市早苗、梶栗正義、麻生太郎、小林鷹之よ。
 このまま行けば、我々は餓死の前に最後の行動に出るしかないのだ。

 統一教会の「勝共推進議員」名簿に麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長 「スパイ防止法」で手を組んできた自民党と教団の半世紀(3) 2026年01月29日
 https://tansajp.org/investigativejournal/13158/

 このなかに、文鮮明と朴正煕、笹川良一らが作った国際勝共連合の歴史が描かれている。
 文鮮明のビジョンを、半世紀以上にわたって自民党が実現してきたことが明らかにされている。福田赳夫は、文鮮明を救世主のように称えていた。
 【1974年5月、帝国ホテルでムンの「希望の日晩餐会」が開かれた。当時大蔵大臣で後に首相になる福田赳夫は、こう言ってムンと固い握手を交わした。
 「アジアに偉大な指導者現る。その名は文鮮明!」】

 この当時から、大蔵省は、原理研出身者に乗っ取られていた。財務大臣を長期にわたって独占してきた麻生太郎が、天皇制を乗っ取るため、愛子ちゃんを追放しようとしていることも、すでに半世紀前から始まっていることなのだ。
 自民党は、文鮮明の手足である。290名の議員が統一教会の支援で、当選しているのだ。
 彼らの多くは、在日者の子孫で、統一教会が日本政府を簒奪する目的で。計画的に国会に送り込まれたと考えるしかない。