このブログでは、人類の二極化分化について何回か書いた。

 人類社会の二極化について 2021年12月06日
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  私が、二極化の本当の意味に気づいたのは、まだ最近のことだ。
 それは、人間という存在の内側に価値を見出す人たちと、外側に価値を求める人達の二極という意味だ。
 もう少し言えば、自分に対する満足と救いを、自分の中味に見出す人たちと、外側の置かれた権力や地位、財産に見出す人たちの二極である。

 たとえば、街なかを高級外車やレクサスが走っているが、彼らは、何が理由で人が羨むような高級車に乗りたがるのだろう?
 私は、2014年式のアルトFに乗っているが、これほど扱いやすく低燃費で役に立つ車はないと思って満足している。かなり狭いスーパーの駐車場でも、簡単に出入りできて、四駆なのでかなり深い新雪でも、未舗装の急坂でも自由に動き回れる。
 もうすぐ20万キロだが、私は30万キロを目指し、この車とともに人生を終えたいと願っている。それに90万円で買える車なんて、もうないしね…。

 鈴木修が言ったとおり、アルトは人類の自動車産業における叡智の結晶だと思う。
 だが、たぶん8割位の人たちは、安価という理由でアルトを軽蔑している。みんなアルトより二倍以上も燃費が劣り、5倍も高価なレクサスに乗りたがる。
 その理由は、アルトに乗っていると他人から蔑まれ、レクサスに乗っていれば他人を見下せると思っているからだろう。
 そうした他人への優越感を求める価値観を持った人の多くは、朝鮮から移民してきた人の子孫に多いのだが…。

 まあ、世の中には、私のようにアルトに満足する人と、レクサスでなければ嫌だと強く思う人の二種類がいるということだ。
 バシャールが、人類の「二極化」と言ったとき、一番簡単に人を分化する基準が、アルトかレクサスかという価値観だ。
 言っておくが、私は、実は、バシャールが宇宙人だなんて信じていない。あれは生身の普通の人間が、宇宙人のフリをして話しているだけのことだと思う。
 その証拠が、今では、バシャールの話を聞くのにカネがかかることだ。宇宙人のフリをした一種の詐欺だろう。

 それでもバシャールが指摘した人類の二極化は事実だし、もう二度と互いに邂逅することもないと思う。
 もう一度書くが、どういう二極に分化するかというと、自分の内側に価値を見出す人と、外側に価値を見出す人の二極だ。

 私は、もちろん前者で、内側の価値を信奉すると何がいいかというと、とても安く上がることだ。だって、アルトに満足してれば、総合経費がレクサスの一割程度しかかからないのだ。
 車の目的は、見せびらかしではなく移動であって、移動という目的を果たすという意味では同じなのだ。
 しかし、レクサスやベンツに乗る人達の真の目的は、移動よりもみせびらかしにあり、自分の優越性にナルシズムを感じることかもしれない。

 そんな自分たちの共有する、「優越性」という価値観を正当化したくて、人々を統一したがって、そこから、「障害者は人間の不良品」だから、胎児のうちに殺してしまい、不妊手術を強制するということが、法律として1948~1996年まで半世紀近くも続けられ、数千人の胎児が強制堕胎され、数万人が強制不妊手術を施された。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828186.html

 こんな人々が求める社会というのが、原発や核融合エネルギーや、核兵器保有など、高市早苗たちの目指す社会だと、私は毎日書いているわけだ。
 人の内側に対する価値など興味がない。必要なものは、国家の見栄とか、自分の地位や権力、蓄財であり、ベンツやレクサスに乗って、豪邸に住み、美人妻、イケメン夫を得て、高学歴を自慢することで、自分の優越性に耽溺するという思想である。

 今、自民党が統一教会に支配され、もうすぐ日本国が皇室ぐるみ乗っ取られるとわかっていても、「優越性へのナルシズム」という価値観さえあれば、統一教会であろうと、自民党であろうと、福音派であろうと、本質的に同じなのだから、別に問題ないということだ。

 高市早苗が、「てっぺんを取り返す」と言った。
 https://www.youtube.com/watch?v=ZcaYAAKw-yg

 日本国とは決して言わず、「日本列島を強く豊かに」と言った。
 https://www.youtube.com/watch?v=yLx9Rs0h9Ao

 彼女は、自分の内側ではなく、外側にある、国のメンツとか科学技術とか、軍事力という虚構が、人々の心の満足よりも、はるかに価値の高いものだと信じ切っている。
 もう明らかに宗教的信念だ。他人を見下したくて仕方ないのだ。

 まあ、こんな思想を持っている人には共通点がある。それは優越性を目指す環境に育ったということだ。
 全員が共通して、高学歴が価値が高く、高級車の価値が高く、地位の高さの価値が高いと信じ込んでいる。私のアルトなんか、最初から小馬鹿にして見向きもしない。
 人間と出会うと、最初に見るものは、「自分より上か下か?」という値踏みだ。東大出の大金持ちで高い地位にあると知れば、へりくだって、卑屈に媚を売る。
 人間に序列をつけなければ気がすまない。

 だから、そんな価値観が間違っているよと言いたいので、私は、自分を最底辺の見下される人間であると自己紹介してきた。
 すると、「中卒のバカ」と私を誹謗する人物が湧いてきた。
 https://love2mac2002jp.wixsite.com/love2mac2002jp
 この人を調べたら、富士宮市の創価学会の職員だった。池田太作の悪口を書く私のような人間を懲らしめるために、学会が組織している工作機関の人間だという。
 私の家に自分の車で乗り付けたので、監視カメラに記録されたのだ。

 まあ、私を嘲笑する人たちの大半が、調べてみると朝鮮系移民の子孫であることが多い。朝鮮から来た人たちは、儒教の影響を強く受けていて、人の地位や序列に極端に敏感であり、他人を小馬鹿にし、嘲笑することが三度の飯よりも好きなのだ。
 みんな高市早苗のように上昇志向なので、他人を威圧する大きな車に乗りたがり、高い地位の政治家や官僚、政治家になりたがる。
 一説によれば、現在の国会議員の半数近くが、朝鮮移住者の子孫なのだという。

 朝鮮人でも、昔(1900年まで)は8割が奴隷階級であり、残りの2割が両班という特権階級と、良民という両班代理人だった。
 それを朝鮮を併合した日本政府が、両班の特権を奪い、奴隷制度を廃止させてしまった。(それを実現させたのは西郷隆盛の征韓論だった)

 文鮮明は、そのときの両班階級の恨みを晴らす目的で、80年もかけて日本を乗っ取ってきたのだ。両班出身の朴槿恵が「千年の恨」と言ったことを覚えている人もいるだろうが、それは、朝鮮儒教が遠い先祖の恨みを子孫が晴らす義務があると定めているからだ。
 それなら、日本人にも元寇や刀伊の入寇なんかの恨みを晴らさなければならない義務があることになるから大変だ。

 日本に移住したきた人で、子孫が日本の政治家や官僚になった人たちの多くが、両班階級子孫だった。高市早苗とか梶栗正義とか、安倍晋三とか萩生田光一とかだ。
 実は民間にも、経団連会長の榊原定征や、電通の天皇といわれた成田豊とか、連合会長の芳野友子とか、松下正寿とか、いっぱいいる。
 芸能界スポーツ界まで見ると、朝鮮系の人を除いたなら、日本のスポーツ芸能が成立しないほどだ。
 理由は、みんな序列を大切にし、てっぺんを目指して、必死に努力するからだ。

 こんな他人を見下したい上昇志向の人たちが自民党を作り、日本政府を支配してきた。だから、なんでも一番になりたがっているし、高い地位やレクサス・ベンツにあこがれているわけだ。
 彼らは、人間の内側の価値には興味がない。外側を飾る権威や財物にしか興味がない。いつでも優越感に浸っていたい。

 これに対して、日本の民衆は、鎌倉仏教の因果応報思想に薫陶されてきたから、貧しくとも助け合うという心の温かさや、底辺の仕事でも、誰からも評価されなくとも、自分の心を満足させる価値観、すなわち人の内側に向かう価値観を育ててきた。
 自分の心の内側に価値を見出そうとする人は、自分の外面を良くすることは考えない。地位や財物の見せびらかしには興味がない。

 ただ、自分の心の内側をキレイにすることに満足し、他人から評価されなくとも、気にしない。決して他人を見下さない。
 みんな心が優しい。それが鎌倉仏教に薫陶された日本人なのだ。
 自分の外面を飾るのではなく、内側にある心を温める人生を送るのである。これが、本当の日本人だ。

 もう一度、二極化の意味に戻ろう。
 一つの極は、自分の外面を飾る人生であり、他人を蔑み、見下し、自分の優越性に耽溺するナルシズム人生である。
 対立する極は、他人に親切にすることで、自己満足し、自分の心を温める人生である。外側などに興味はない。いつでも自分の内側の価値を考える人生なのだ。

 この両極は、たぶん日本社会にあって、十年以上前から分裂し、もうどんどん乖離が進み、もはや永久に交わることがないように見える。
 今の日本では、他人から見下されるような、誰からも評価されない底辺の仕事を誇りに思う人が少なくなった。
 みんな豪邸に住んでレクサスに乗るようなセレブに憧れている。

 だが、霊的人生にそんな序列の差別はない。
 人間は、何百世代もかかって、無数の生まれ変わりの人生のなかで、真実の価値を学ぶのだ。
 人は、わずか80年程度の間に、人生のすべてを体験させられることになる。それは、何が真実かという探求である。
 この人生で、真実を知ることができず、自分のカルマを返せなかった人は、それを来生に持ち越してゆかねばならない。

 私から見ると、序列の価値観に騙されて、他人を見下す一生を送った人のカルマは重い。男尊女卑や奴隷制度にあぐらをかいていた人たちのカルマは、返せないほど重い。
 私は、昔、ある霊能者から、奴隷制にあぐらをかいて生きてきた人が死んで生まれ変わるとき、自ら志して、凄まじい苦悩の人生を選ぶと聞いたことがある。
 生まれ代わっても、北朝鮮のような地獄社会を選ぶのだと…。

 まあ、自分の内側の価値を選んできた人たちが、極楽世界に向かえるのかというと、それも違うらしい。自分に不足していたもの、必要な人生を求めて生まれ変わるとのことだった。
 私が、アルトを選んでも、それが來世を良いものにしてくれるとは限らない。
 大切なことは、良き社会のために、どれだけ努力をしたかということらしい。

 確か、バシャールは、自分の外にある価値を求めて、例えば火星に救いを求めたイーロン・マスクのように、外の世界に救いを求めた人たちは、永遠に還ってこないとか言っていたと思う。
 例えば、原発とかスーパーシティに未来を見出している人たちが得られるものは、正真正銘のディストピアである。
 だって、生物は核廃棄物に汚染された社会では、子孫を残せなくなるからだ。

 今、自民党、統一教会は、全力でディストピア社会に向かって疾走している。それが高市のいう「てっぺん」なのだから。
 我々の言う、人の心の内側に価値を見出そうとする社会と正反対だ。もう永久に交わることはないのだ。
 さよなら! 統一教会のみなさん、福音派、ユダヤ教のみなさん!