不可解な自己責任論―イラク人質事件

 環境市民「みどりのニュースレター2004年6月号

 http://www.kankyoshimin.org/modules/cef/index.php?content_id=55



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特定非営利活動法人 環境市民 理事会



(2004年)4月8日、市民活動家の高遠菜穂子さん、今井規明さん、ジャーナリストの郡山総一郎さんら3人がイラク・ファルージャ近郊でイラク人武装グループに拘束され、一時生命が危ぶまれる事態に陥った。

 これに対し、多くの人が彼らを助けたい、殺されてなるものかと声をあげ、行動をとった。さらにはその後、ジャーナリストの安田純平さん、渡辺修孝さんも拘束され、拘束された日本人は5人となった。



 幸いにして、武装グループおよびイラク人の多くが、彼らのイラク入りの目的を理解し、彼らは無事解放された。しかし、解放後の彼らに待っていたのは、「国の発した退避勧告を無視する者として自業自得」「自己責任を知らぬ無謀な行為」「救出に国が要した費用を支払わせるべき」などの言葉であり、その重さは、彼らを押しつぶさんばかりである。



 この問題を看過することは、市民の良心に基づく自発的な活動を否定することになりかねないと思い、今回この問題を採り上げた。市民活動を実践する団体として、この問題に向き合い、意見を発信したい。



 彼ら5人が危険を承知で、イラクの中でも特に危険な状況になっていたファルージャに近寄り、拘束されて以降、「自己責任」を問う論が出てきた。

 彼らのうち4人はもともとイラクで活動していた人たちである。彼らも、拘束という事態が自己の責任において発生したことは、よく理解していたはずである(彼らが活動できないほど危険な状況がどうして生まれたか、イラク戦争の目的や米軍の駐留政策などから考える必要があるが、ここではそこに入らずにおく)。



 それでも声高に「自己責任論」が出てきたのは、彼らを拘束した武装グループから発せられた解放条件に「自衛隊撤退」があり、被害者家族や支援者たちがそれを国に強く要求したところからである。



 国の立場とすれば「人質をとられたから撤退する」と軽々に言えないのだろう。しかし、「自己責任論」が「国策と反する者」を封じる込めるため、個人の行動に規制をかける言葉として用いられているように感じた。人道支援では、国レベルでこそ、できることがある一方、行政では機動性が乏しく手の届かないことが多々ある。それは1995年の阪神淡路大震災によって明らかになったはずである。



 拘束された人たちのイラク入りの目的や、これまでの活動が伝わると、多くの人が「危険をおかしてまで、イラクの人たちに尽くそうとする人たちを殺させてはいけない」と声をあげた。もし彼らがオイルマネーを目当てに一獲千金を求めた人たちなら、このような共感・共鳴は広がらなかっただろう。



 幾万もの人たちが、彼らの目的やこれまでの活動を知ったうえで、「同じ社会に生きる者の責任として、彼らを助けたい」と思った時、その思いを実現することは十分「国の責任」となり得たのではないだろうか。中には、この問題を「雪山遭難」と同質に論じるものまであったが、この例えは問題を見誤っていると言わざるを得ない。



 そもそも「国」とは、個人がそれぞれの幸福の実現のため、権利の一部を国に預け、かつ義務を果たすことで成り立っている。国にはその付託に応える責任がある。今回耳にした「自己責任論」の中には、国の成り立ちそのものを見誤っているものもないだろうか。海外のメディアが奇異に感じているのもそこであり、「お上」といった発想まで見えてしまう。この考えの恐さは、個人または市民層の良心にもとづく自発的な動きを大きく制限しかねないことである。



 ただし、楽観しているのは、一時高まった「自己責任論」に対して、反論が各所からあがっていることである。「自己責任論」を声高に叫んでいた者は、いずれその狭量を指弾される時がくるだろう。

今回拘束された5人のような人たちが、私たちと同じ社会に居たことを誇りに思いたい。

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 引用以上



 2004年、高遠菜穂子さんは、後に米軍によるイラク侵攻、無差別殺人の激戦地になるファルージャで、地元住民への支援活動に真摯に取り組んでいる最中に、ゲリラ組織に拘束された。

 高遠さんの献身的な活動は、現地で広く支持されていて、武装勢力が殺さなかったのも、住民たちが彼女を守ろうとしたからだといわれる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%81%A0%E8%8F%9C%E7%A9%82%E5%AD%90

 だが、捕獲された五人に対して、「米軍の侵攻を邪魔している、自衛隊の派兵を妨害している」とレッテルを貼り、自民党青年部やネトウヨ(百田尚樹や橋下徹ら)らは、「勝手に行ったのだから、勝手に死んでこい」と、「自己責任論」を吹聴し、激しい批難を浴びせ続けた。

 解放されて帰国後も、高遠さんたちは、ネトウヨから罵声を浴びせられ続けた。

 https://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-7.12.W.html



 同じころ、ボランティア活動でアフガンに向かった中村哲医師が、荒廃したガンベリ砂漠に用水を引いて60万人もの人々の生活を救い、緑を大規模に蘇らせた事業についても、政府・自民党関係者は、中村さんらの活動を「自己責任」と決めつけ、ほとんど援助しようとしなかった。



 だが、中村哲の活動が着実に成果を出し、世界的に報道され、賞賛を浴び始めると、コロリと立場を翻して持ち上げはじめ、中村哲が現地武装勢力に殺されると、最大の自己責任論者だった安倍晋三らは、あたかも自分たちが支援してきたかのように、中村を褒め称えた。

 https://www.nishinippon.co.jp/theme/tetsu_nakamura/



 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%93%B2_(%E5%8C%BB%E5%B8%AB)



 内閣総理大臣・安倍晋三:

 「中村先生は、医師として医療分野において、また、灌漑事業等において、アフガンで大変な貢献をしてこられました。なかなか危険で厳しい地域にあって、本当に、本当に命懸けで様々な業績を挙げられ、アフガンの人々からも大変な感謝を受けていたというふうに、我々も知っておりますが。しかし、今回このような形で、お亡くなりになられたことは本当にショックですし、心から御冥福をお祈りしたいと思います。」



 内閣官房長官・菅義偉:

 「中村医師を含む方々が犠牲となったことは痛恨の極みだ。今回の卑劣なテロは許されるものではなく、わが国は断固として非難し、今後とも日本人の安全確保のために全力を尽くしていくとともに、アフガニスタンの平和と発展のために引き続き貢献していきたい」



 自由民主党政務調査会長・岸田文雄:

 「中村さんの大きな功績を改めて振り返り、敬意を表し、ご冥福をお祈り申し上げたい。国際社会では厳しい現実が存在し、日本人が命をかけて頑張っている。今後、中東への自衛隊派遣の問題など、国際社会との関わりを政治の立場から真剣に考えていかないといけない」



 自由民主党幹事長・二階俊博:

 「誠に無念で、ご家族の心中を思うと大変胸が痛む。何の罪もない尊い生命を奪う卑劣で残忍なテロを断じて許すことはできない。政府は、真相究明を徹底的に行い、このようなテロが二度と起きないよう、最善の努力を尽くすべきだ」



 国民民主党外交・安全保障調査会長・渡辺周:

 「国会で参考人として証言し、当時の民主党でも貴重な意見をいただいた。『何をしてはいけないか。殺してはいけない、戦争に関わってはいけない』という直接いただいたことばを思い起こし、世界の平和と日本国民の安全のためにどのような行動をとるべきか、常に考えなければならない。われわれがきちんと役割を果たすことをお誓いし、心からご冥福をお祈りしたい」

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 おいおい、安倍も菅も、中村さんたちがアフガンに向かったときは「自己責任で日本政府を頼るな」といい、ろくに援助もしないでおいて、世界的に賞賛を浴びると、コロリと立場を変えて、あたかも自分たちが殺された中村医師を支援してきたかのような言い回しに変わった。

 調子いいにもほどがある。これを読んでいると、「何も援助しなかったが、成果は我々が横取りしてやるから安心しろ」と言っているように聞こえるのは、私だけだろうか?



 「自己責任論」を日本で吹聴しているのは、竹中平蔵・菅義偉ら新自由主義者である。

 どこの、どんな記事を見ても、日本における元祖「自己責任論者」こそ竹中平蔵であると指摘している。



 https://www.tokyo-np.co.jp/article/55521



 https://note.com/pond_kop/n/n1210704fbfe4



 https://twitter.com/search?q=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%AB%96&src=typed_query



 https://biz-journal.jp/2020/09/post_181364.html



 そもそも、「自己責任論」の大元は、竹中の師匠であり、新自由主義思想の創設者、ミルトン・フリードマンである。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3



 フリードマンは、「自己責任」のことを「自由」と言い換えている。

 人間には自由がある。それは政府の規制を受けないで、社会原理で淘汰されるのがもっとも合理的であるという主張なのだが、よく読んでみると、フリードマンの自由とは「金儲けの自由」であり、それは自己責任において、何をやっても許される。

 それを政府や国際協議が規制してはならない。ただ「市場原理に任せておけば、自然に淘汰洗練されてゆく」という主張である。



 要するに、「自己責任で金儲けをやるのだから、周囲は、それを規制するな」というわけで、その金儲けのプロセスが、人々を苦しめているとしても、放置しておけば市場原理によって勝手に収束するというわけだ。



 これは、フリードマンが守ろうとしたユダヤ系国際金融資本にとって、もっとも都合の良い屁理屈である。

 世界中の金という金を洗いざらい独占しようとする国際金融資本にとって、もっとも邪魔になるのが、貿易障壁であり、国家権力による規制なのだ。

 だから、国の枠組みを超えた「グローバルスタンダード」を国際社会に強要することにより、自分たちの国際的な利権を極限まで追求しようとした。



 そのために、1970年代にフリードマンの新自由主義思想が誕生し、80年代になって、レーガンや中曽根義弘、サッチャーによって世界的に拡散された。

 日本に持ち込まれた新自由主義を具現化して、資本家、国際金融資本の利権を極限にまで高めようとしたのが、小泉純一郎・竹中平蔵コンビである。

 そして今、竹中のダミーといわれる菅義偉が政権をとり、再び、「自己責任論」=自助努力を強調して、民衆からあらゆる資産を奪い取って、国際金融資本に貢ごうとしている。



 以下が、菅義偉の「自己責任論」イメージ図だ。

  

jikosekininn01.jpg





 これが何を意味しているかというと、日本国民は、何事もすべて政府や公的機関に頼らず、自分で自分を守れ、政府は最低のセーフティネットしか与えない。

 竹中は、その生活保護や年金、健康保険も廃止し、月7万円で生活しろといってる。これがセーフティネットなのだと……。

 https://www.mag2.com/p/money/968355



 普通に稼いでいる国民は、その7万円を返却しろとも言う。いったい、今現在、日本のどこで7万円で生活できる人がいる?

 公園で寝泊まりするホームレスくらいだろう。家を借りれば、7万円など瞬時に飛び去ってしまう。ちなみに竹中自身の年収は、パソナ会長や数十の団体利権で、30億円は下らないといわれている。



 おまけに、年金も健康保険も廃止というのだから、とてもじゃないが正常な精神性ではない。安倍晋三が、パート労働者の月収は25万円と決めつけて話題になったが、竹中は、国民が家賃1万円の家に住んで、月に3万円もあれば食費が出ると思い込んでいるにちがいない。病気になれば、アメリカと同じで、死ぬまで我慢させる。医療サービスは大金持ちに限定するというわけだ。



 この竹中平蔵を忠実にコピーした政策を行おうとしているのが菅義偉政権なのだ。

 菅は、首相就任後、最初に竹中と会談し、政策の最高ブレーンに任命するらしい。

 結局、国民から年金給付を強奪し、日本国民が数十年にわたって爪に火を点すようにコツコツと貯めて支払ってきた年金基金は、全部、国際バクチに注ぎ込む。



 実際に、すでに年金は安倍政権によって、それ以前まで危険性から絶対に排除されてきた高リスク金融(詐欺)商品(例えば、サブプライムローンのような)に全額投入されてきたせいで、現在、残高は隠されていてはっきりわからないが半分は欠損してしまっていると噂されている。



 GPIFの、この報告には、都合の良い数字ばかりが出ていて、全投資額と全損失の具体的な数字がないので、信用できない。

 https://www.gpif.go.jp/operation/the-latest-results.html



 政府は、国民の年金基金を投機性の極めて強いバクチ運用に、ほぼ全額を放りこんだので、巨大な損失を被り、都合の良い数字だけを出して、全体像を見せようとしない。

 https://kumitateru.jp/media/topic/public_pension/15-trillion-yen-loss



 つまり、政府が国民の預金を勝手に使い込んで大穴を開けてしまったので、これ以上、年金を支払い続ける原資が不足し、これ以上年金を支払わない、健保にもカネを出さない、代わりに、毎月7万円で、何もかも自己責任でやってゆけと言っている。

 これが自己責任の正体だ。



 そもそも、我々人間は、誰一人、自己責任だけで生きている者などいない。

 人類は助け合わねば生きてゆけないようにプログラムされている。

 生まれて、少なくとも10才くらいに達するまでは、自己責任も糞もない。誰かが助けてあげなければ死んでしまうのだ。また70才以降も同じだ。

 本当に、自己責任で生きて行けるのは、せいぜい20才〜50才くらいまでの30年程度だろう。



 「自己責任」という概念が通用するのは、極めて限られた強い立場の人間だけであり、その人ですら、他人の助けなしに、強い立場を作り出すことも、維持することもできないのだ。

 自己責任論は、まさに新自由主義を利用して利己的ボロ儲けを狙う者たちの詭弁である。それは、人間社会を破綻させる屁理屈なのだ。



 我々は、自助ではなく、共助でなければ生きられない。消費税に10%もの罰金をかけたこの国のなかでは、公助がなければ悲惨な事態になる。

 人々が、医療を利用するには、公助がなければ不可能なのだ。そのために、もの凄い罰金としての消費税を国民に強要しているではないか!



 何が「公助に頼るな」だ、ふざけるな! ならば、税金を取るのをやめよ!



 我々は「助け合い社会」によって生かされている。このことを忘れてはならない。

 高遠菜穂子さんも、中村哲医師も、「助け合い社会」にいたのだ。