ネタ切れにつき、今日は、オモシロ記事を。これは全部、私の実体験で嘘はない。
私が中津川に移住したのは、2003年の秋だ。すでに17年になるのだが、その間、非自然科学の立場から興味深い体験を書いておこう。
岐阜県の心霊スポットで検索すると、必ず出てくる場所がある。
https://traveroom.jp/gifu-sinreispot
https://shiori-tabi.jp/spots/21237
まずは、41号線、上麻生にある「天心白菊の塔」
ここでは、未だに記録が破られていない、道路交通最大の死者を出した大事故が起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%B7%9D%E3%83%90%E3%82%B9%E8%BB%A2%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
1968年8月のことだ。今から52年前の事件だが、実は、この事故は私にとっても大変な事件だった。
祖母が、このバスに乗り合わせていたのだ。祖母は、このバスツアー企画を主催した名古屋市の奥様ジャーナル社の社員で、転落した5・6号車のうち、5号車に乗っていた。
おまけに、ここは加茂郡白川町と上麻生の境界で、白川町こそ祖母の出身地だったのだ。
その日、午後に、団地の家族を乗せて乗鞍高原に出発した名鉄バス15台の一団は、上麻生に来て、台風7号の影響で、もの凄い豪雨に見舞われた。もちろん出発前に気象台に問い合わせたところ、警報が解除されたとの連絡により出発したのだが、そのわずか4時間後に再び警報が発令されたことを知ることはできなかった。
23時半には金山町まで来たが、その後、対向車から、土砂崩れで道路がズタズタとの情報を聞き、全車引き返すことを決断した。
白川口を過ぎて、上麻生ダム近くで、とうとう立往生し、動けなくなったところを大きな土砂崩れに襲われ、二台が深さ50メートルまで増水した飛騨川・飛水峡に飲み込まれた。
祖母は、主催者社員なので、立往生の情報を後続車に伝えるため、土砂降りのなか、一人バスを降りて駆けだしていった。
そしてバスに帰り着いた手前で、バスは土砂に押されて、ゆっくりと飛騨川に呑み込まれていった。
このとき、行方不明になったのは104名だが、流されてから泳いで助かった人、偶然、外に出て土砂除去作業をしていた人など、祖母を含めて5名が助かったといわれる。
祖母は茫然自失だったが、社員としての責任感から、それから数ヶ月の間、地獄のような日常が続いた。
当時の印象としては、祖母であることが分からないほど痩せて、老けてしまっていた。
この事故による死者を慰霊するため、同じ41号線沿い(事故現場より上麻生より)に「天心白菊の塔」が建てられ、毎年慰霊祭が行われるようになった。
しかし、すぐに、たくさんの心霊現象が現れたとの噂が広がった。
転落地点を歩くと、どこからともなく女子供の悲鳴が聞こえてくるというのだ。
私も、何度も現場を訪れたが、私自身は悲鳴を聞くことはできなかったが、突然、体の筋肉が硬直する不思議な現象が起きた。
この事故では、行方不明となった104名のうち、9名の遺体が回収できないままになっている。これだけの人が供養できないまま不明になっているのだから、幽霊が出ても不思議ではない。
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中津川市の心霊スポットといえば、普通は恵那峡大橋を言う人が多い。
実は、それより、一つ上手にある「源済橋」の方が、はるかに恐ろしい場所だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B8%88%E6%A9%8B
ところが、源済橋への道は狭く複雑で、道に疎い人はたどり着くのが非常に難しい。だから、驚くような風光明媚、壮絶な景観がありながら、ほとんど知られていないといってよい。
戦国時代に吉村源済という武士が住んでいた岩屋が残っている。霊感の強い友人を連れて行ったら、岩屋の前で全身を硬直させて立ちすくみ、一歩も歩けなくなった。
岩屋の脇にある狭い通路を進めば、付知川が木曽川に合流する美しく壮大な景観が待っている。
その下手にある、心霊スポットとして知られた恵那峡大橋は、知る人ぞ知る「自殺の名所」である。橋上から大井ダム湖の水面まで50メートルあるので、ほぼ即死する高さだ。年間数名の自殺者が出ることで知られている。
ここに飛び込むと、水温が低く、深いので、半月くらい遺体は上がらない。遺体にガスが溜まってから浮上して、大井ダムの流木トラップに引っかかる。
飛び込む人は中年女性が多いそうだ。
https://haunted-place.info/5326.html
私の家から近いので、一日何回も通過することがあるのだが、橋の上で怖い思いをしたことはない。しかし、やや下手にある紅岩山荘では、恐ろしい思いをしたことがある。
やはり中年女性の遺体が上がった翌日、紅岩山荘の風呂に入ってから、広い木造デッキに出ていたとき、体が硬直し、カメラのシャッターが切れなくなった。
いわゆる霊が出たとき特有の、背筋の寒さを感じたので、慌てて逃げ出した。
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「カメラのシャッターが切れない」ことで、どうしても書いておかねばならないことがある。
それは、8年くらい前、網走監獄博物館ができて、ぜひとも見学したいので、わざわざ車で網走に向かった。
内部を見学して、たくさん写真を撮影したのはいいが、シャッターが切れないのだ。写ったつもりの写真も見てみると、すべて白くぼんやりしたカーテンのような景色ばかりで、まともな写真が一枚も撮れていない。
これは完全にカメラが壊れたと判断したが、その後、網走を離れたところでの撮影は、完全に普通だった。網走監獄の付近だけ、まったくカメラが写らなくなっていたのだ。
同じことが、うちの近所でも起きた。
それは2014年のことだ。近所の恵那市中野方町に棚折千枚田という風光明媚な場所があって、ここに友人と見学に行った。
すると、友人のカメラがまったく機能しなくなった。私は、そのときカメラがなかった。そして、一日で50回以上もの地震に襲われた。
帰宅後、友人のカメラは、何もしなくても正常に戻った。
私は、地震による電磁波で、友人のスマホが誤作動したのだと結論ずけたが、この地震が何を意味するのか、そのときは分からなかった。
それから数ヶ月後の、2014年9月27日、御嶽山が最大級の噴火をして、死者不明63名という雲仙噴火を上回る戦後最大の火山災害が起きた。
このとき、私は、坂折棚田でカメラが作動しなかった本当の理由に思い当たった。
御嶽山には、たぶん30回くらいは登っている。私の子供の頃からのライフワークのようなもので、私にとって特別の山なのだ。
様子を見たさに、年末に友人とともに濁河温泉に向かった。そのときは、濁河温泉から一歩も進むことができないほど厳重に登山道が封鎖されていた。
止まったのは湯ノ谷荘だ。一泊二食で8000円くらいだったと思う。
そうして、夜、楽しみな温泉に入った。すると、奇妙な出来事が起きた。
一般浴槽を通り抜けて露天風呂に行くと、一般浴槽でジャージャーとかけ流して体を洗う音が聞こえた。しかし、そこには誰もいないのだ。
そして、突然「カキーン」という金属音が聞こえた。音の源を探したが、どこにもなく、薄気味悪くなった。
友人も入り、同じ現象が起きたと、真っ青になって帰ってきた。
温泉で、強烈な心霊現象に遭ったのは、福島の横向温泉以来だ。このときは、福島県の放射能を測定に出向いたのだが、ぬるい湯船で、全身金縛りに遭って怖かった。
おそらく東日本震災で亡くなった人が入りに来ているに違いないと思った。
湯ノ谷荘では、金縛りはなかったが、音が凄かった。
これは、噴火で亡くなった人が入りに来てるに違いないと、ひそひそ話した。
ちなみに、震災後、北海道での講演から帰宅するとき、大間に出て、八戸から国道45号を南下した。田老のあたりで、立小便をして車に戻ると、魚とたばこの臭いで車がむせかえった。
このとき、私は、震災で亡くなった漁師が乗り込んだのだと思った。
それから釜石まで来ると、突然、この臭いが消えた。
ああ、降りてくれたんだ、と思った。
震災後、この手の話は、ごく普通に話されているという。とくにタクシー運転手の間では、乗り込んできた女性が「私は死んだのですか?」と聞く話は、特に珍しくもないという。
タクシー運転手に、数珠が必需品になっているのだという。
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霊との遭遇
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-869.html
これは、私が健康上の理由で毎日歩いている笠置山のことだ。
すでに3回ほど、まるで暴走族のような若者が、手ぶらで登ってくるのを見た。挨拶もちゃんとした。
なんとなく生命現象が希薄に思えたのだが、彼が手ぶらなら車で来ているはずだ。そこで、彼の乗ってきた車を探したのだが、どこにも見つからなかった。
そして、彼の帰路を待ったのだが、忽然と消えてしまった。
私は、彼は霊なのだと思った。
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私は、名古屋から岐阜県東濃方面に向かうときは、よく志段見から多治見に抜ける愛岐国道を使った。
途中には、風光明媚な定光寺という場所がある。
狭い国道の両側にホテルが建ち並んでいて、かつて繁盛していた、それらの宿泊所も、定光寺人気の衰退とともに、営業が立ちゆかなくなり、廃墟のように変わっていった。
このなかに、定光寺でも、知られた「千歳楼」という廃墟がある。
https://traveroom.jp/chitosero
ここは、千歳楼の廃墟化とともに、心霊スポットとして有名になって、暴走族のような連中が、封鎖を壊して中に入り込んでいた。
だが、あるとき、恐ろしいものが発見された。
https://www.sankei.com/west/news/170728/wst1707280054-n1.html
物見遊山に肝試しに行った人も、このニュースを聞いて驚いただろう。実は、ホンモノの遺体があったのだ。
それは、たくさんの怖い物見たさマニアが入っていたにもかかわらず、完全に白骨化したまま誰にも発見されずに、長い間ソファーに座っていたのだ。
私も、千歳楼は盛況時から、よく知っているので背筋が寒くなった。
なお、言っておくが、この種の心霊スポットは、ほぼ必ず霊障を起こすといわれ、運命が悪化するとされている。
https://spicomi.net/media/articles/475
気功をやっていても、心霊現象を招いて、激しい副作用が起こることがある。気の波動を高めると、霊界と波動が合ってゆくのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%B7%AE_(%E6%B0%97%E5%8A%9F)
何の心得もない人が、こわいもの見たさだけで、この種の心霊スポットにゆけば、波長の合った浮遊霊に取り憑かれて、恐ろしい目に遭うことがある。
心の正しい人ならば大丈夫だが、やましい人は心霊スポットには行くべきでない。
私が中津川に移住したのは、2003年の秋だ。すでに17年になるのだが、その間、非自然科学の立場から興味深い体験を書いておこう。
岐阜県の心霊スポットで検索すると、必ず出てくる場所がある。
https://traveroom.jp/gifu-sinreispot
https://shiori-tabi.jp/spots/21237
まずは、41号線、上麻生にある「天心白菊の塔」
ここでは、未だに記録が破られていない、道路交通最大の死者を出した大事故が起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%B7%9D%E3%83%90%E3%82%B9%E8%BB%A2%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
1968年8月のことだ。今から52年前の事件だが、実は、この事故は私にとっても大変な事件だった。
祖母が、このバスに乗り合わせていたのだ。祖母は、このバスツアー企画を主催した名古屋市の奥様ジャーナル社の社員で、転落した5・6号車のうち、5号車に乗っていた。
おまけに、ここは加茂郡白川町と上麻生の境界で、白川町こそ祖母の出身地だったのだ。
その日、午後に、団地の家族を乗せて乗鞍高原に出発した名鉄バス15台の一団は、上麻生に来て、台風7号の影響で、もの凄い豪雨に見舞われた。もちろん出発前に気象台に問い合わせたところ、警報が解除されたとの連絡により出発したのだが、そのわずか4時間後に再び警報が発令されたことを知ることはできなかった。
23時半には金山町まで来たが、その後、対向車から、土砂崩れで道路がズタズタとの情報を聞き、全車引き返すことを決断した。
白川口を過ぎて、上麻生ダム近くで、とうとう立往生し、動けなくなったところを大きな土砂崩れに襲われ、二台が深さ50メートルまで増水した飛騨川・飛水峡に飲み込まれた。
祖母は、主催者社員なので、立往生の情報を後続車に伝えるため、土砂降りのなか、一人バスを降りて駆けだしていった。
そしてバスに帰り着いた手前で、バスは土砂に押されて、ゆっくりと飛騨川に呑み込まれていった。
このとき、行方不明になったのは104名だが、流されてから泳いで助かった人、偶然、外に出て土砂除去作業をしていた人など、祖母を含めて5名が助かったといわれる。
祖母は茫然自失だったが、社員としての責任感から、それから数ヶ月の間、地獄のような日常が続いた。
当時の印象としては、祖母であることが分からないほど痩せて、老けてしまっていた。
この事故による死者を慰霊するため、同じ41号線沿い(事故現場より上麻生より)に「天心白菊の塔」が建てられ、毎年慰霊祭が行われるようになった。
しかし、すぐに、たくさんの心霊現象が現れたとの噂が広がった。
転落地点を歩くと、どこからともなく女子供の悲鳴が聞こえてくるというのだ。
私も、何度も現場を訪れたが、私自身は悲鳴を聞くことはできなかったが、突然、体の筋肉が硬直する不思議な現象が起きた。
この事故では、行方不明となった104名のうち、9名の遺体が回収できないままになっている。これだけの人が供養できないまま不明になっているのだから、幽霊が出ても不思議ではない。
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中津川市の心霊スポットといえば、普通は恵那峡大橋を言う人が多い。
実は、それより、一つ上手にある「源済橋」の方が、はるかに恐ろしい場所だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B8%88%E6%A9%8B
ところが、源済橋への道は狭く複雑で、道に疎い人はたどり着くのが非常に難しい。だから、驚くような風光明媚、壮絶な景観がありながら、ほとんど知られていないといってよい。
戦国時代に吉村源済という武士が住んでいた岩屋が残っている。霊感の強い友人を連れて行ったら、岩屋の前で全身を硬直させて立ちすくみ、一歩も歩けなくなった。
岩屋の脇にある狭い通路を進めば、付知川が木曽川に合流する美しく壮大な景観が待っている。
その下手にある、心霊スポットとして知られた恵那峡大橋は、知る人ぞ知る「自殺の名所」である。橋上から大井ダム湖の水面まで50メートルあるので、ほぼ即死する高さだ。年間数名の自殺者が出ることで知られている。
ここに飛び込むと、水温が低く、深いので、半月くらい遺体は上がらない。遺体にガスが溜まってから浮上して、大井ダムの流木トラップに引っかかる。
飛び込む人は中年女性が多いそうだ。
https://haunted-place.info/5326.html
私の家から近いので、一日何回も通過することがあるのだが、橋の上で怖い思いをしたことはない。しかし、やや下手にある紅岩山荘では、恐ろしい思いをしたことがある。
やはり中年女性の遺体が上がった翌日、紅岩山荘の風呂に入ってから、広い木造デッキに出ていたとき、体が硬直し、カメラのシャッターが切れなくなった。
いわゆる霊が出たとき特有の、背筋の寒さを感じたので、慌てて逃げ出した。
********************************************************************
「カメラのシャッターが切れない」ことで、どうしても書いておかねばならないことがある。
それは、8年くらい前、網走監獄博物館ができて、ぜひとも見学したいので、わざわざ車で網走に向かった。
内部を見学して、たくさん写真を撮影したのはいいが、シャッターが切れないのだ。写ったつもりの写真も見てみると、すべて白くぼんやりしたカーテンのような景色ばかりで、まともな写真が一枚も撮れていない。
これは完全にカメラが壊れたと判断したが、その後、網走を離れたところでの撮影は、完全に普通だった。網走監獄の付近だけ、まったくカメラが写らなくなっていたのだ。
同じことが、うちの近所でも起きた。
それは2014年のことだ。近所の恵那市中野方町に棚折千枚田という風光明媚な場所があって、ここに友人と見学に行った。
すると、友人のカメラがまったく機能しなくなった。私は、そのときカメラがなかった。そして、一日で50回以上もの地震に襲われた。
帰宅後、友人のカメラは、何もしなくても正常に戻った。
私は、地震による電磁波で、友人のスマホが誤作動したのだと結論ずけたが、この地震が何を意味するのか、そのときは分からなかった。
それから数ヶ月後の、2014年9月27日、御嶽山が最大級の噴火をして、死者不明63名という雲仙噴火を上回る戦後最大の火山災害が起きた。
このとき、私は、坂折棚田でカメラが作動しなかった本当の理由に思い当たった。
御嶽山には、たぶん30回くらいは登っている。私の子供の頃からのライフワークのようなもので、私にとって特別の山なのだ。
様子を見たさに、年末に友人とともに濁河温泉に向かった。そのときは、濁河温泉から一歩も進むことができないほど厳重に登山道が封鎖されていた。
止まったのは湯ノ谷荘だ。一泊二食で8000円くらいだったと思う。
そうして、夜、楽しみな温泉に入った。すると、奇妙な出来事が起きた。
一般浴槽を通り抜けて露天風呂に行くと、一般浴槽でジャージャーとかけ流して体を洗う音が聞こえた。しかし、そこには誰もいないのだ。
そして、突然「カキーン」という金属音が聞こえた。音の源を探したが、どこにもなく、薄気味悪くなった。
友人も入り、同じ現象が起きたと、真っ青になって帰ってきた。
温泉で、強烈な心霊現象に遭ったのは、福島の横向温泉以来だ。このときは、福島県の放射能を測定に出向いたのだが、ぬるい湯船で、全身金縛りに遭って怖かった。
おそらく東日本震災で亡くなった人が入りに来ているに違いないと思った。
湯ノ谷荘では、金縛りはなかったが、音が凄かった。
これは、噴火で亡くなった人が入りに来てるに違いないと、ひそひそ話した。
ちなみに、震災後、北海道での講演から帰宅するとき、大間に出て、八戸から国道45号を南下した。田老のあたりで、立小便をして車に戻ると、魚とたばこの臭いで車がむせかえった。
このとき、私は、震災で亡くなった漁師が乗り込んだのだと思った。
それから釜石まで来ると、突然、この臭いが消えた。
ああ、降りてくれたんだ、と思った。
震災後、この手の話は、ごく普通に話されているという。とくにタクシー運転手の間では、乗り込んできた女性が「私は死んだのですか?」と聞く話は、特に珍しくもないという。
タクシー運転手に、数珠が必需品になっているのだという。
*****************************************************************
霊との遭遇
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-869.html
これは、私が健康上の理由で毎日歩いている笠置山のことだ。
すでに3回ほど、まるで暴走族のような若者が、手ぶらで登ってくるのを見た。挨拶もちゃんとした。
なんとなく生命現象が希薄に思えたのだが、彼が手ぶらなら車で来ているはずだ。そこで、彼の乗ってきた車を探したのだが、どこにも見つからなかった。
そして、彼の帰路を待ったのだが、忽然と消えてしまった。
私は、彼は霊なのだと思った。
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私は、名古屋から岐阜県東濃方面に向かうときは、よく志段見から多治見に抜ける愛岐国道を使った。
途中には、風光明媚な定光寺という場所がある。
狭い国道の両側にホテルが建ち並んでいて、かつて繁盛していた、それらの宿泊所も、定光寺人気の衰退とともに、営業が立ちゆかなくなり、廃墟のように変わっていった。
このなかに、定光寺でも、知られた「千歳楼」という廃墟がある。
https://traveroom.jp/chitosero
ここは、千歳楼の廃墟化とともに、心霊スポットとして有名になって、暴走族のような連中が、封鎖を壊して中に入り込んでいた。
だが、あるとき、恐ろしいものが発見された。
https://www.sankei.com/west/news/170728/wst1707280054-n1.html
物見遊山に肝試しに行った人も、このニュースを聞いて驚いただろう。実は、ホンモノの遺体があったのだ。
それは、たくさんの怖い物見たさマニアが入っていたにもかかわらず、完全に白骨化したまま誰にも発見されずに、長い間ソファーに座っていたのだ。
私も、千歳楼は盛況時から、よく知っているので背筋が寒くなった。
なお、言っておくが、この種の心霊スポットは、ほぼ必ず霊障を起こすといわれ、運命が悪化するとされている。
https://spicomi.net/media/articles/475
気功をやっていても、心霊現象を招いて、激しい副作用が起こることがある。気の波動を高めると、霊界と波動が合ってゆくのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%B7%AE_(%E6%B0%97%E5%8A%9F)
何の心得もない人が、こわいもの見たさだけで、この種の心霊スポットにゆけば、波長の合った浮遊霊に取り憑かれて、恐ろしい目に遭うことがある。
心の正しい人ならば大丈夫だが、やましい人は心霊スポットには行くべきでない。
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