私が民俗学を志して、さまざまな文献に目を通しているうちに、柳田国男の遠野物語や、大江の酒呑童子、八岐大蛇、黒髪山大蛇など、数えればキリがないほど怪獣伝説が生きていることに気づいた。



 これは世界でも同じで、ビッグフットや雪男、獣人伝説、大蛇伝説は無数といえるほど存在している。

 鬼については、狒々の一種に分類される可能性もあり、一方で、中世、西洋船が難破して赤鬼のような形相をした西欧人が、日本列島に上陸して「鬼」と表現された可能性は非常に強い。



 私が若い頃、何度も通った紀州大峰の前鬼という集落には、「鬼の子孫」とされた人が住んでいたが、最期の子孫である五鬼助五郎さんをもって途絶えた。

 五郎さんは前鬼で小仲坊という行者宿を営んでおられたが、宿泊ついでに、よく酒を酌み交わした。

 五郎さんは、完全に欧州人の人相であり、青い目をしておられたと思う。いろいろ話す内に、熊野に漂着したオランダ船乗組員の子孫なのだと確信した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E9%AC%BC%E3%83%BB%E5%BE%8C%E9%AC%BC



 前鬼の歴史は1300年も続いているので、漂着は、奈良時代前期のはずだが、当時の民族移動で、西欧人がいたと考えるのは困難であり、もしかしたら戦国時代のポルトガル船の漂着子孫かとも見当をつけた。熊野は沿岸部の人口が多かったので、大峰の山に逃げ込んだのではなかろうか?

 大江の酒呑童子も、おそらく同じで、平安時代に丹波に漂着したコーカソイド系民族の大男ではなかっただろうか?

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90



 全国の「鬼伝説」を調べてゆくと、どう考えても異形の人間そのものであり、外国人だったとしか思えないのだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC



 岩手県における、この種の民話を、まとめて取り上げた歴史的名著が、柳田国男の遠野物語だ。

 https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html



  このなかで、私が特に興味をそそられたのが「猿の経立」のような狒々を扱ったものだ。



  【四五 猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂まつやにを毛に塗ぬり砂をその上につけておる故、毛皮けがわは鎧よろいのごとく鉄砲の弾たまも通とおらず。】



 【四六 栃内村の林崎はやしざきに住む何某という男、今は五十に近し。十年あまり前のことなり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、これを真まことの鹿なりと思いしか、地竹じだけを手にて分わけながら、大なる口をあけ嶺の方より下くだり来たれり。胆潰きもつぶれて笛を吹きやめたれば、やがて反それて谷の方へ走り行きたり。】



 「経立」とは、歳を重ねた老猿のことで、一種の妖怪であり、鉄砲で撃っても弾が通らないほどの毛皮で覆われている。この描写は、「狒々」に共通している。

 厚い毛皮に覆われているというのだから、これは外国人などではなく、私は縄文人が日本列島に移住してくる以前から棲んでいた原生古代人=「原人」と呼ばれるホモエレクトスではないかと考えていた。



 もちろん、縄文人以前のネアンデルタール人世代以前に絶滅したことになっているのだが、当時の原生林に覆われた素晴らしい自然環境のなかで、細々と生き残っていたとしても不思議ではない。

 遠野物語に出てくる経立は江戸時代の話なので、古くはない。それどころか、ビッグフット、雪男、中国の野人などは、現代にまで記録されている。

 以下の記録は、「経立」に実に似ていると思った。

 https://chkai.info/qingmaoren



 https://www.recordchina.co.jp/b74747-s0-c30-d0050.html

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%92%E3%80%85#:~:text=%E7%8B%92%E3%80%85%E3%80%81%E7%8B%92%E7%8B%92%E3%80%81%E6%AF%94%E3%80%85%EF%BC%88,%E5%A6%96%E6%80%AA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82



 【江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には西南夷(中国西南部)に棲息するとして、『本草綱目』からの引用で、身長は大型のもので一丈(約3メートル)あまり、体は黒い毛で覆われ、人を襲って食べるとある。

 また、人の言葉を話し、人の生死を予知することもできるともいう。長い髪はかつらの原料になるともいう。実際には『本草綱目』のものはゴリラやチンパンジーを指すものであり、当時の日本にはこれらの類人猿は存在しなかったことから、異常に発育したサル類に『本草綱目』の記述を当てはめたもの、とする説がある】



 最古の民俗文献である今昔物語にも狒々の逸話がたくさんあったはずだが、検索していても、昔のように無料で読める本文が出てこない。

 今昔物語でも、狒々は猿の神様として扱われていることが多い。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%A5%9E



 以下は、酒呑童子と同じ古典民話の典型的パターンではあるが、分かりやすく描かれている。

 http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM063.html



 こうして、古い記録をあたってみると、○○人と表現される怪異な動物は、やはり、古代人の子孫が隠れ住んできたと考えるしかない。

 何せ、習近平とプーチンとトランプが世界人類を滅亡させようという、この現代というご時世に、インド洋の北センチネル島では、石器時代(1万年前?)の文化しか持たない民族が生き残り、近寄る異邦人を殺戮していると報道されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%97%8F



 これは、もはやロマンだ。殺人部族なんてケチな表現をしてる場合ではない。私の子供時代、1950年代には、まだ台湾やニューギニアには、センチネル族同様に近づく者を殺害する「首狩り族」が実在していた。まだ、たった60年前の話だ。

 彼らにはカリバニズムの習慣があり、「共食い」をするので、狂牛病が流行していたとの記録もある。



 同じころ、私は名古屋市天白区平針の周辺で、竹藪に住み、鼠や亀を主食とする「ポン・オゲ」と呼ばれた「サンカ」の生活を目撃していた。夜這いの習慣も、西日本の多くで生きていた。

 今や、サンカや木地屋だって、江戸時代の歴史博物館的存在だと思い込んでいる人が少なくないが、実際には、現在の60才以上の大半の人々が、自分の目で目撃してきたのだ。

 夜這いだって、そうだ。西日本にいる80才以上の婆さんに「夜這い」を聞いてごらん。みんな自分の実体験と重ね合わさった記憶を持っているはずだ。

 だから、狒々が実在していたって、何の不思議もない。



 生物学者たちは、ホモサピエンス以前の類人は、とっくに滅んだと決めつけているが、3億年前の魚シーラカンスだって生きていたし、メタセコイアだって純森林が残ってるし、生息条件に恵まれれば、ホモエレクトスが生き残ってきたことに何の不思議があるものか?

 遠野物語は、それが遠野の森の奥で、昭和前期まで生き残っていた可能性を示唆するものだ。



 もうひとつ、日本の古代民話に欠かせないのが、「大蛇物語」だ。



 もっとも有名なものが「ヤマタノオロチ」伝説だ。これはスサノオ神話とともにある。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81



 こちらは黒髪山大蛇伝説、スサノオよりもリアルだ。

 https://www.kurokami-saga.jp/katsudou_annai/daijya_taiji.htm



 「鎮西八郎為朝」というからには、鎌倉時代の民話だろう。これなどは、日本民話の代表的なパターンで構成されている。

 有田にいたのは、元寇の役に出陣していたのだろうか?



 こちらは、それより古い南北朝時代の大蛇伝説

 https://somayaki.jp/daihizan.htm



 大蛇といえば、現代の我々は、ニシキヘビやアナコンダを思い浮かべる。これらは、体長10メートル、胴回り1メートルなんて珍しくもないほどで、馬や牛ですら呑み込んでしまう。

 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/083000053/

 こんな巨大な蛇は日本にいなかったというのが定説だが、はたしてそうだろうか?

 いなかったなら、今昔物語など、たくさんの民話に登場するはずがない。



 大蛇の生息条件として気温がある。氷点下が続くような気温では、大蛇は生きてゆくことができない。しかし、平安時代から戦国時代までの中世、地球史には大きな温暖期があったので、この時代に、大蛇が生息できたとしても不思議ではない。

 以下の、今昔物語は、日本史における特異な温暖期に記録された民話である。

 

https://blog.goo.ne.jp/miyabikohboh/e/38254d9b84257d6876b23edc3910992a



 https://www.mikumano.net/setsuwa/daija.html



 https://blog.goo.ne.jp/miyabikohboh/e/8ef1c3501867156005c08264ef26b0a6



 https://japanese.hix05.com/Narrative/Konjaku/konjaku106.hebi.html



 この十数年、日本では、夏期に亜熱帯と見まごうような異常高温が続いているが、冬期でも、釣られたように温暖気候が生じている。

 こうなると、これまで厳冬の極低温によって繁殖を阻害されてきた動物たちが、幼獣が死なないですむため、異常に繁殖するようになった。

 例えば猪で、昔は福島県よりも北には生息できないと言われてきたが、今では青森県にまで生息を拡大している。ツキノワグマや鹿たちも同じだ。



 今の日本に、南方に棲む大蛇を連れてきたなら、九州あたりなら生き延びて繁殖できるのではないだろうか?

 だから、平安時代に大蛇が生息していても、繁殖条件は十分に満たされている。

 厳冬期に、良い穴蔵に入れば、江戸時代だって生息できたかもしれない。



 今回のブログは、ネタ切れにつき、番外の内容を書いた。だが、私が言いたかったのは、現代人、我々の思考、視野が狭過ぎるのではないかということだ。

 この地球上に生きるには、はるかに巨視的な視野が必要ではないかと書きたかった。



 私の若い頃には、「変なことを言うやつは異邦人=変人」として疎外されたものだ。

 私は、ずいぶん若い頃から、自分の人生は、もしかしたら茶番なのかもしれないと、たびたび思うことがあった。

 つまり、人間の実体は、はるか天の彼方の霊界にあって、肉体だけは、霊に支配されながら、茶番劇を体験することで、霊界では得られない物質界の体験を得る仕組みではないかという意味だ。



 だが、今から数十年前、こんなことを口にすれば、たちまち精神病院送りにされて薬漬けになり、一生病院から出てこれなかったのだ。

 私は、こんなことばかり空想していたので、とうとう、社会体制のエスカレータに乗ることができず、社会の片隅をとぼとぼと一人で歩いてきたのだ。



 巨視的という意味のなかには、霊界のことも、宇宙人のことも、引き寄せの法則のことも、世界の怪奇現象も、登山のことも、獄舎のことも、とにかく非日常的空間のことを含んでいる。

 そんな視点がないと、これからの凄まじい激動の時代に、我を見失わずに生き抜くことはできないぞ…… と思うから、変なことばかり書き続けようと思う。